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夏の甲子園連続出場の最多回数の記録とランキング。聖光学院より連続回数が多い学校は?

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長い高校野球の歴史において100回を超える夏の選手権大会、90回を超える春の選抜大会で甲子園に何年間も連続出場する高校があります。

夏の大会ならば何年間も都道府県予選を勝ち続けること、あるいは春の選抜大会ならば秋季大会の地区予選で常に上位進出し続けること、これらを毎年乗り越えて連続出場するのは至難の業を通り越してもはや奇跡に近いといえるでしょう。

それでは過去の夏の大会で連続出場の最多回数の記録やランキングはどうなっているのでしょうか?現在13年連続で夏の甲子園に出場している福島県の聖光学院よりも連続出場回数の多い学校はあるのでしょうか?見ていきましょう!

夏の甲子園連続出場回数の最多記録は?

都道府県1校枠までの地区大会の変遷

現在では南北北海道、東西東京都の2校枠を除いて各都道府県から1校の代表枠を競って予選が行われる夏の選手権大会、かつては1県1校ではない時代がありました。

大正4年の第1回大会は、東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州の9地区で予選が開催され春の東京都下大会で優勝した早稲田実業を加えた10校で夏の大会が大阪の豊中球場で開催されました。

その後、北陸、関東地区が加わり、関西は大阪と紀和に分割、関東は東京が分割されました。さらに北海道、満州、朝鮮、台湾が加わり、大正13年の第10回大会から同年に完成した甲子園球場で開催されます。

以降、東北は奥羽が分離、九州は南北に分割され戦前まで22代表校で開催されました。戦後には満州、朝鮮、台湾が消滅、神奈川、愛知、福岡の3県が独立し、四国は南北に分割されて23校でしばらく開催されました。

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昭和33年の第40回大会は記念大会として各都道府県から1校が代表、沖縄県も新たに加わり47校で大会が開催されました、北海道、東京都はまだ1枠です。翌年41回大会からは長野、静岡、広島が独立、北海道が南北に分かれ、以降鹿児島も独立し30代表校が続きます。

昭和38年の第45回からは5回ごとの記念大会で各都道府県1校制が定着します。昭和49年の第56回大会から東京都が東西に分割、昭和53年の第60回大会から現在の49代表校となりました。

昭和63年の第70回大会は49代表のままでしたが、平成10年以降10回ごとの記念大会では、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫が東西あるいは南北に分割されて2代表校、第100回大会からは新たに福岡県も2代表となっています。

以上のように各都道府県1代表校制になったのは第60回大会からで、それまでの半世紀以上は都道府県大会の次の地区大会を勝ち抜かなければ甲子園出場ができない狭き門でした。

それでは夏の甲子園の連続出場の最多回数記録、ランキングを見ていきましょう!

夏の甲子園連続出場回数の最多記録とランキング

冒頭にも記載しましたように、現在福島県の聖光学院が13年連続で夏の甲子園に出場し現在も継続中ですが、実は戦前に連続出場の最多回数を記録した学校があります。早速ランキングを見てみましょう。

順位回数学校期間
1位14回和歌山中学(現桐蔭)第1回(大正4年)~第14回(昭和3年)
2位13回聖光学院第89回(平成19年)~継続中
3位9回作新学院第93回(平成23年)~継続中
4位8回智辯和歌山第87回(平成17年)~第94回(平成24年)
明徳義塾第92回(平成22年)~第99回(平成29年)
6位7回早稲田実業第8回(大正11年)~第14回(昭和3年)
敦賀商業(現敦賀)第11回(大正14年)~第17回(昭和6年)
明徳義塾第80回(平成10年)~第86回(平成16年)
9位6回慶應普通部第2回(大正5年)~第7回(大正10年)
大連商業第9回(大正12年)~第14回(昭和3年)
小倉第28回(昭和21年)~第33回(昭和26年)
松商学園第57回(昭和50年)~第62回(昭和55年)
青森山田第86回(平成16年)~第91回(平成21年)

連続出場の最多回数記録は、第1回大会から14年連続で出場した和歌山中学の14回連続です。第1回大会は関西大会を勝ち抜き、第2回からは関西から紀和が独立し奈良県と和歌山県で代表校を争いました。

全参加校数が100校から300校と現在より校数が少ない時代とはいえ14年連続は圧巻です。第7回、第8回大会には全国連覇も達成しています。

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聖光学院は13年連続で2位でした。聖光学院は2001年に初出場を果たしますが、この頃の福島県といえば学法石川、日大東北が入れ替わって福島県代表になるような全盛の時代でした。平成19年の第89回大会に4回目の出場を果たして以降、現在まで連続出場記録を更新中です。

2020年の夏の大会で甲子園出場すれば14年連続で和歌山中学の記録に並びます。福島県大会にも注目ですね。

3位は作新学院が9年連続で現在も更新中です。作新学院は高校野球史上初の春夏連覇を達成、あの昭和の怪物江川卓投手の母校としても有名な古豪です。しかし昭和53年第60回大会に出場して以降、なんと第90回大会まで30年間夏の甲子園から遠ざかりました。

平成21年の第91回大会に31年ぶりの復活出場を果たすと、2年後の平成23年第93回大会から9年連続出場とブランクの期間を取り返すかのごとく勝ち続けています。平成28年の第98回大会では2回目の優勝も達成、甲子園では優勝候補の一角に挙げられることも多くなりました。

4位タイの智辯和歌山、明徳義塾はもうすっかり甲子園でお馴染みの高校となりました。この2校はやはり高嶋仁、馬淵史郎の名監督の手腕による功績でしょう。それまで和歌山県と言えば箕島高校、高知県と言えば高知商業、高知高校といった全国常連校を倒して不動の地位を築いています。

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高嶋監督は勇退して教え子の中谷監督が引き継いでいますが、現在は3大会連続出場中、馬淵監督はU18日本代表の監督にも就任し、連続出場は99回大会で途絶えたものの第101回大会も出場して次回の連続出場記録を狙います。

6位にも明徳義塾はランキングされています。高知代表と言えば明徳といわれるほどの一強が続きました。同じく6位タイの早稲田実業、敦賀商業は大正から昭和初期の記録です。

このころの東京は第1回大会こそ早稲田実業が出場しましたが、第2回大会から9位タイの慶応普通部が6年連続、第8回から早稲田実業が7年連続、第15回は慶応普通部から分離した慶応商工、以降第23回まで早稲田、慶応の中等部が出場し続けます。

敦賀商業は7年連続出場後第18回大会は出場を逃すものの、第22回に福井商業が出場するまで福井県の代表を独占していました。現在は敦賀高校に名称変更しましたが、惜しくも出場権を逃すものの第92回選抜高校野球の21世紀枠の地区推薦校として候補に挙がりました。

9位タイには満州の大連商業が6年連続出場、大正10年から戦争により中断される昭和15年まで20年もの間、満州、朝鮮、台湾からも代表校が選ばれていたのは戦時下の時代ならではですね。小倉は小倉中、小倉北と学制改革、校名変更を経ての出場です。

同じく9位タイの松商学園は夏の甲子園出場回数36回と北海高校の38回に次ぐ2位だけあって、6年連続以外にも昭和25年第32回大会から5年連続出場も達成しています。青森山田は平成5年第75回大会に初出場、この頃から台頭してきた光星学院(現八戸学院光星)との2強で青森代表を独占していた時代の6年連続出場でした。

以上のように聖光学院と作新学院は現在も連続出場記録を更新中です。聖光学院斎藤監督、作新学院小針監督ともに名将の域に達しつつある両監督の手腕が発揮される限り、この両校の連続出場はまだまだ伸びるかもしれませんね。

まとめ

夏の甲子園大会の代表校は1都道府県1校ですが、それまでは都道府県大会を勝ち抜いた後に地区大会を勝ち抜く必要がありました。都道府県予選を勝ち抜くだけでも大変なのにさらに地区大会を勝ち抜いての甲子園出場するのは相当困難なのは想像に難くありません。

参加校数こそ今ほど多くはなかった分、戦前は代表校が連続出場しやすい環境にはあったものの和歌山中の14年連続はまさしく偉業です。それでも参加校数が多くなった現在においても聖光学院、作新学院が連続出場記録を更新中なのは驚きです。

連続出場の最多回数の記録は

  • 1位は14年連続の和歌山中学(現桐蔭)
  • 2位は聖光学院の13年連続で現在も継続中
  • 3位は作新学院の9年連続で現在も継続中
  • 4位タイは智辯和歌山、明徳義塾の8年連続
  • 6位タイは早稲田実業、敦賀商業(現敦賀)、明徳義塾の7年連続
  • 9位タイは慶応普通部、大連商業、小倉、松商学園、青森山田の6年連続

となりました。なお現在5年連続出場中の花咲徳栄高校も第102回大会で甲子園出場すれば9位タイに並びます。夏の地区予選でこれら現在継続中の高校が記録を更新するのかも注目ですね。

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