閑話休題 高校野球

高校野球甲子園大会の歴史や面白エピソード!夏休みの自由研究にもお勧め?!

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球児が憧れる阪神甲子園球場

日本におけるメジャースポーツはプロ野球です。

観客動員数は12球団で年間延べ2,000万人を超えます。ちなみに観客動員数の比較でもJリーグがJ1で年間延べ500万人、国技である大相撲でも年間6場所で100万人未満ということからもメジャースポーツといっても過言ではありません。さらにプロ野球選手の年俸は1年で億を超える選手が今や当たり前です。

そしてプロ野球選手のほとんど全員が経験しているのが高校野球であり、「甲子園」を目指して練習してきました。その「甲子園」は春と夏にそれぞれ開催される全国大会で、NHKが完全中継、新聞、テレビも連日取り上げます。

そもそもこの「甲子園」大会とはどういうものなのでしょうか?ここでは甲子園大会の概要と歴史、面白エピソードについてお伝えします。夏休みの自由研究の参考に、そして高校野球を楽しく観戦するための第一歩を踏み出しましょう!

2つの甲子園大会

夏の甲子園

正式な名称は「全国高等学校野球選手権大会」といいます。朝日新聞社が主催しており、高校野球のメインの大会です。なぜメインかといえば高校3年生にとっては最後の大会、負ければ引退という集大成の大会だからからです。

それ故に負けた瞬間に号泣する選手の姿は多くの方に知られるところであり、最近では「○○の甲子園」といろんなところで用いられているゆえんです。

47都道府県から49代表校(北海道は南北、東京都は東西で各1校)を決めるため、早いところで6月から7月末まで各都道府県で予選が行われます。なお10周年ごとの記念大会ではさらに埼玉県、千葉県、神奈川県、愛知県、大阪府、兵庫県、福岡県から各2校が参加し56代表校が出場します。

地方予選から甲子園での全国大会まで2か月近くの期間、連日のように試合結果が新聞、テレビ、インターネットなどで取り上げられるほど日本においてのメジャースポーツ大会となっております。

甲子園での夏の全国大会は8月上旬から下旬までの約2週間ほぼ毎日甲子園で試合が行われます。ここ数年は高校野球人気も高く、チケットを確保するのも困難な日もあります。僕も毎年観戦しますが、年々チケットの確保が困難になっています。

春の甲子園

正式な名称は「選抜高等学校野球大会」といいます。毎日新聞社が主催しており、1年の最初の公式大会です。

「春はセンバツから」という言葉もあるように、選抜大会の始まりとともに春が訪れるという意味で夏の大会に次いで多く方に親しまれている大会です。

選抜という名の通りあくまでも高校野球連盟から選抜された高校が3月下旬から4月初めまでの約10日間ほぼ毎日甲子園で試合を行います。

どういった基準で選抜されるのかといいますと、厳密には選考基準があり、その基準を満たした高校が選考委員会から選抜されて出場が決定するのが特徴です。

事実上、前年の秋に開催される各エリア(北海道、東北、関東、北信越、東海、近畿、中国、四国、九州)の大会の上位進出校が選ばれる傾向にあります。これとは別に現在では「21世紀枠」という野球の実力だけでなく地域での活動や勉学での実績などを考慮して選抜される枠もあります。

例年では32校で開催されますが、これも10周年の記念大会ではさらに4校が選出され36校で優勝をかけて戦います。3月の下旬から4月頭まで約10日間開催されます。

夏の大会に比べると季節がら寒い日もあるので、チケットの確保は難しくはないです。逆に機構の良い日はぽかぽか陽気で観戦するのが気持ち良い日もあり、なかなかお薦めです。

春の大会の特徴は、予選から一度も負けずに勝ち進まなければ出場できない夏の大会と違って地方大会で負けても出場するチャンスがあります。各都道府県の大会で敗戦してもその後の地方大会に出場して上位に食い込めば選抜大会への出場は可能です。

関連記事:選抜甲子園の出場条件とは?高校野球秋季大会の4つの魅力と観戦のおすすめ!

甲子園大会の歴史を知ろう!

試合開始前の挨拶

高校野球の甲子園大会の一番の醍醐味は各県、各地域の代表校がそれぞれの地区の誇りをかけて憧れの舞台で対戦するところにあります。

甲子園大会が始まった頃から出場し続ける古豪や、優勝回数を複数数える強豪校、有名大学への入学者を多数輩出する文武両道校など全国でも有名な高校から初出場校、地元選手だけで地区を勝ち抜いた地方の高校など出場する高校の特徴は様々です。

それらの高校の対決には、出場すると必ず上位に進出する強豪同士の対戦や、時に戦前の予想を覆して強豪校を倒すケースなどこれまで多くの注目を集め、数多くのドラマを生み出してきました。

まだ娯楽の少なかった時代に学生野球が大衆の関心を集めていたころから、現代のように多様な娯楽がある中でも甲子園大会は多くの観衆を魅了しています。

関連記事:高校野球甲子園観戦の楽しみ方。快適に観戦するための3つの対策

最初の全国大会

まず甲子園大会の前身である大会は「全国中等学校優勝野球選手大会」という名称でした。まだ高等学校ではなく学制により中等学校だった時に第1回大会が大正4年(1915年)に、しかも甲子園球場はまだなく大阪の豊中球場で始まりました。

第1回の開催案内は朝日新聞で告知され、全国の予選を勝ち抜いた10校で全国大会を行うというものでした。この時は各都道府県の代表ではなく、各地方(東北、関東、東海、京津、兵庫、関西、山陽、山陰、四国、九州)から代表校を選出しました。

しかし全国大会を8月中旬に行うにもかかわらず、告知が7月2日だったため日程調整がつかず必ずしも各都道府県の学校が参加したわけではありません。また対外試合が禁止だった北海道、日程調整がつかなかった北陸地区からは出場せず、関東地区は地区大会が間に合わなかったため春の東京大会優勝の早稲田実業が出場しました。

結局予選参加校数も73校とまだまだ規模は小さな大会でしたが、100回の歴史を数える全国大会が幕を開けたのです。ここから高校野球の甲子園の歴史が始まりいろんなエピソードを残してきました。

甲子園で開催されたのはいつから?

第1回から2回までは豊中球場、第3回から9回までは兵庫県の鳴尾球場で全国大会が行われました。しかし年々高まる中等学校人気で観衆が収まりきらず、東洋一大きい球場を目指して阪神電鉄が建設したのが甲子園球場でした。

大正13年(1924年)、十干、十二支のそれぞれ最初の甲(きのえ)と子(ね)が60年ぶりに重なる縁起の良い年に完成したことから甲子園と名づけられました。今思えば「甲子園」以外に似合う名称はないくらい定着してますが、名前の由来からして歴史を感じずにはいられないですね。

かくして第10回から甲子園球場で開催されるようになりました(一時西宮球場使用)。なお春の選抜大会は第1回は大正13年に名古屋の八事球場で開催されましたが、翌14年から甲子園で行われるようになりました。

今では考えられない面白エピソード

大正3年に始まった全国大会ですが、戦前まではまだ大会運営が安定していなかった時期です。日本自体も戦争など激動の時期でしたので、今では考えられない面白エピソードもありました。

  • 敗者復活戦から優勝?!

負ければ終了の夏の大会でかつて敗者復活戦がありました。第2回、第3回大会です。なぜ第3回で制度がなくなったかといいますと、敗者復活戦を勝ち上がった学校が優勝してしまったためです。さすがに1度負けた学校が優勝するとはいかがなものかということで第3回をもって終了したのです。

この優勝校というのが愛知一中(現旭丘)でした。愛知一中は、初戦で敗戦した後、敗者復活戦を勝ち上がり、ついに準決勝、決勝と勝ってしまったのです。なお決勝戦でもあと1アウトで降雨コールド負けのところで試合中断、そのまま降雨ノーゲームとなり翌日の再試合で勝ったものでした。

同校は第1回から100回まで全ての大会(予選含む)に参加した皆勤賞として第100回の記念大会の甲子園で開会式に参加しました。当時からユニフォームが変わっておらず、少し古めかしいのも話題となりました、

  • 米騒動で中止?!

大正7年の第4回大会は、なんと「米騒動」のため全国大会が中止となりました。歴史の教科書で見聞きしたあの米騒動が甲子園大会にも影響を及ぼしていたのは驚きですね。なおこの時は代表校も決まり、組み合わせ抽選を行った3日後に中止が決まりました。

なおこの第4回大会は、前年敗者復活から優勝した愛知一中がそのまま優勝旗を持ち帰りました。この時、優勝候補だったのが関西学院で前年の愛知一中の決勝の相手でした。雪辱を果たすつもりでいたところで本大会の中止とは2年続けて不運に泣かされることになりました。

  • 幻の優勝?!

ご存知のように昭和16年からは戦争の激化にともない昭和20年まで4年間、甲子園大会は中止となりました。昭和16年は予選の途中で中止となりましたが、昭和17年は全国中等学校総合競技会の1種目として全国大会が開催されました。

この大会で優勝したのが、四国の名門徳島商業でした。しかしこの大会は高校野球の歴史としては公式記録とならなかったため歴代の優勝校には徳島商業の名前は刻まれなかったのです。戦争の暗い歴史がいろんなところに闇を落とした事例ともいえますね。

  • 日本国内の都道府県以外からの参加もあった?!

大正10年から中止になる前年の昭和15年までなんと朝鮮、満州、台湾(大正12年~)からも代表校が出場していました。この期間はこの各国は日本の統治下におかれていたためですが、時代を感じますね。

なおこの3地区から優勝校はでておらず、大正14年に大連商業(満州)昭和6年に嘉義農林(台湾)が夏の大会で準優勝しています。嘉義農林と中京商業(現中京大中京)の試合はマイナーですが映画化もされました。

  • 甲子園球場以外で開催された?!

甲子園球場完成後の第10回からは甲子園球場で開催されるようになりましたが、戦後最初の昭和21年、第28回大会のみ阪急西宮球場で開催されました。これは甲子園がまだアメリカ軍の接収下にあり使用できなかったためです。

また1958年、1963年の第40回、45回の記念大会は参加校数が多いため甲子園球場と西宮球場の2球場の併催となりました。しかし甲子園球場で試合できない高校の選手、父兄、応援団から不評を買い、以降は甲子園球場で単独開催されるようになりました。

そもそも憧れの甲子園で試合することを夢見て厳しい練習をしてきたのですから、甲子園球場以外で試合をするとなると「おいおい、話が違うよ!」となるのも当然ですね。阪神タイガースの本拠地でもあるので余裕の試合日程が組めないのもあると思いますが、現在では考えられないですね。

ちなみに兵庫県の県予選では甲子園が使用されていた時期もありましたが、これはこれで憧れの甲子園とは違う感覚ではないでしょうか?やはりあの大観衆、応援団、周辺の雰囲気などがあってこその甲子園ですね。

まとめ

高校野球甲子園大会には100年を超える長い歴史があり、それぞれの時代を背景にしたいろんな面白エピソードが残されています。まずここでは

  • 春と夏の甲子園大会
  • 甲子園大会の歴史
  • 今では考えられない驚きエピソード

について紹介してきました。甲子園のこういったいろんな歴史を知ることでさらに甲子園の観戦が楽しくなります。さらに高校野球の歴史に隠された社会的背景なども合わせて夏休みの自由研究の参考にしみてはいかがでしょうか。

過去の歴史、エピソードの思いを馳せて観戦すれば一段と感慨深いものになること間違いなしです!

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