高校野球ファンにとって多くの感動をもたらしてきた甲子園大会、その感動の多くの試合は夏の甲子園で演じられてきました。それは高校3年生にとって最後の公式戦となる夏の甲子園は負ければ引退という背水の陣だからこそ生まれてきたと言えます。
しかし春の甲子園、選抜高校野球大会でも日本一を目指すチーム同士の激闘には数々の名勝負、名場面があります。高校球児にとって憧れの甲子園での真剣勝負には春も夏も関係ありません。選抜史上伝説の試合と言われる感動の歴史を紹介します!
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1989年(平成元年)第61回大会決勝戦東邦vs上宮
センバツ大会の決勝戦での逆転サヨナラゲームは戦後では3試合のみです。第23回(1951年)大会鳴門(徳島)3-2鳴尾(兵庫)、第53回大会(1981年)PL学園(大阪)2-1印旛(千葉)、そして第61回大会(1989年)の東邦対上宮です。
中でもこの東邦と上宮の決勝戦は選抜史上最も劇的な決勝戦、伝説の試合と言っても過言ではありません。
平成最初の甲子園大会は優勝候補同士の決勝戦!
元号が昭和から平成に変わって最初の甲子園での選抜大会、前年の選抜で山田喜久夫投手、原浩高捕手の2年生バッテリーで準優勝した愛知の東邦高校が2年連続の決勝進出。
対するは元木大介、種田仁、小野寺在二郎のタレント軍団を擁する西の横綱として大会前から優勝候補と注目されていた大阪の上宮高校です。高校野球の強豪府県の名門校同士の対決に甲子園も盛り上がります。
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いざ試合が開始されると序盤からがっぷり四つの試合展開が進みます。先発の東邦山田、上宮2年生エース宮田の投げ合いで始まったこの試合、最初にゲームが動いたのは5回表でした。
5回表に上宮が1点を先制すると5回裏にはすかさず東邦も同点に追いつきます。その後は山田、宮田の好投と両校の堅守が続き9回終了時点で1-1の同点のまま10回の攻防へと突入します。
延長戦はハイレベルな攻防に!
10回表上宮は二死1、2塁から5番岡田選手が三塁線にタイムリーヒットを放ち、待望の勝ち越し点を奪います。山田投手が後続を何とか断ち切り、東邦は1-2の1点ビハインドで10回裏の攻撃へと移ります。しかしこの時点で流れは上宮に大きく傾いたように思われました。
10回裏東邦の攻撃は8番打者、下位打線の攻撃、8番、9番を抑えれば上宮の優勝が一気に近づくと思われましたが、力んだ宮田選手が8番の村上選手にデッドボール、無死1塁と東邦にチャンスを与えてしまいます。
次の9番打者安井選手を迎えると東邦阪口監督は、ほぼ100%想定される送りバントではなくヒットエンドランを仕掛けます。バントシフトがきつかったことと仮に同点に追いついただけでは延長で負けるという読みから強攻策に出ました。
宮田投手が投球する瞬間一塁手が猛然とホームまで突っ込んでくる中、安井選手はヒッティング、打球は二塁手の定位置方向へ転がります。一塁手がバントシフトで前進する場合、二塁手は一塁ベースカバーに向かうため一塁ベース近くまで行っているはずですが、この時はほぼ定位置の一二塁間で打球を処理。
ボールは4-6-3と転送されゲッツーが成立、東邦はチャンスをつぶしてしまいました。阪口監督は本来いないはずの二塁手が定位置にいたこの時のプレーが解せないと後に述べていましたが、上宮は打者の動きを見てバントでなければ一塁へのスタートを遅らせるというシフトを敷いていたというハイレベルな攻防だったようです。
東邦土壇場での最後の粘り
かくしてツーアウトランナーなし、攻める東邦もさすがにあきらめかけ、守る上宮も見ているファンもこれで決まったなと思った瞬間でした。しかし2年生宮田投手は感極まったのかまるで優勝を確信したかのようにマウンド上で泣き出します。
これを見た東邦ナインは「もう勝った気でいるのか!」と奮起します。ツーアウトからトップバッターのキャプテン山中選手の打席を迎えますが、宮田選手はストライクが入らず最後の最後いストレートのファーボール。
すかさずマウンド上に内野陣が集まりキャプテン元木選手が宮田選手を落ち着かせ、内野陣は定位置に戻り試合は再開されます。続く2番打者の高木選手は三遊間へ流し打ち、この打球に追いついた遊撃手の元木選手は逆シングルで捕球、すぐさまファーストへ送球しますが、高木選手の足が速く内野安打。
ゲッツーで一転ツーアウトランナーなしから東邦はツーアウト1、2塁までこぎつけます。ここで打席に向かうのは2年生時から山田投手とバッテリーを組んできた3番原捕手。ベンチを見ると阪口監督が「初球から行け!」と言ってるかのように感じたという原選手は初球ヒッティングに出ます。
内角球をやや詰まらせながらライナー気味となった打球はセンター小野寺選手の前にポトリと落ちます。ツーアウトで打った瞬間にスタートしていた2塁ランナーの山中選手は躊躇することなく3塁を回りホームへスライディング。
センターからの送球もホームへストライク返球となりますが、山中選手の足が一瞬早くベースに入り土壇場で同点に追いつきます。同点のホームインとなった次の瞬間、2塁を大きく回った高木選手を刺そうと塩路捕手は3塁へ送球、これを見てランナーの高木選手は慌てて2塁へ戻ろうとします。
送球を受けたサードの種田選手は2塁へすぐさま送球、しかし送球はワンバウンド送球となってしまいました。2塁へスライディングするランナーと二塁手がやや交錯する間に、バウンドした送球は二塁手の脇をすり抜けていきます。
痛恨のプレー、まさかの幕切れ!
サードから二塁への送球のバックアップに入っていた右翼手がこの逸れた送球を捕球しようとしたその手前でボールはさらにイレギュラー、まさかの出来事にすぐさま反応できなかった右翼手はボールを捕球できず後方へとボールは転がっていきます。
「ボールが逃げていく~」という実況の声とともに外野の芝生をボールが転々とする間、2塁ランナーは3塁を回ったところでこの様子を確認、ホームではキャプテンの山中選手がホームベース上の砂をさっと手で払い、ランナーはスピードダウンしながらガッツポーズで生還。
ホームベース付近に集まって喜びを爆発させる東邦ナインとは対照的に、グラウンド上では元木選手がうずくまり、上宮ナインの多くがその場にしゃがみ込んで肩を落とします。
初優勝まであと一人の状況から何が何だかわからないうちにサヨナラ負け、こんな展開が待ち受けているとは誰も想像していませんでした。
前年春も準優勝、バンビこと1年生坂本投手を擁した77年夏も準優勝、優勝には縁がないと諦めかけた阪口慶三監督も「考えられない」と試合後の監督インタビューで涙ながらに語り、選抜史上最多4回、48年ぶりの優勝の喜びをかみしめていました。
まさしく選抜高校野球、伝説の試合と言える一戦ではないでしょうか?
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1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 計 | |
上宮 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 |
東邦 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2x | 3 |
2003年(平成15年)第75回大会準々決勝東洋大姫路vs花咲徳栄
春の選抜では41年ぶりとなる再試合の激闘が繰り広げられたのは、2003年第75回大会の準々決勝、埼玉県花咲徳栄高校と兵庫県東洋大姫路高校との準々決勝でした。2000年にそれまでの延長18回打ち切り再試合から延長が15回に短縮されて始めての引き分け再試合となります。
この大会では花咲徳栄高校は初戦の2回戦熊本秀岳館戦を延長13回4-3、3回戦は2年生エースダルビッシュ有投手擁する東北高校に対して10-9と2戦続けてのサヨナラ勝ち、ダルビッシュ投手から6回9得点という強打で準々決勝まで勝ち進みました。
関連記事:ダルビッシュ有の甲子園成績や奪三振数、防御率は?ノーヒットノーランも達成!
一方の東洋大姫路も在日ベトナム人の好投手左腕グエン・トラン・フォク・アン投手を擁して初戦の2回戦岡山城東戦を4-2、3回戦では前年選抜準優勝の鳴門工業を3-0、アン投手がここまで2試合連続完投で勝ち上がってきました。
花咲徳栄も好投手福本真史投手が初戦は3失点完投するも、東北戦は9失点と打ち込まれてやや不安を抱えながらの準々決勝の登板となります。それでも好投手同士の対戦とあって両校の対決に好ゲームの期待が寄せられます。
ホームが遠い両校、延長戦へ突入
大会第9日の第4試合となった準々決勝は午後4時半過ぎに試合開始、アン、福本両投手の先発で始まったこの試合の立ち上がりはともにランナーを出すも無失点で上々の滑り出しとなります。
東洋大姫路は初回、2回とツーアウト2塁から安打を許しますが、いずれも外野手がホームへ好返球し本塁でランナーを刺すなど堅守でアン投手を盛り立てます。一方福本投手はコースを丁寧に突く投球で相手打線をかわします。
序盤から安定したピッチングを見せる両投手、試合中盤から球場には照明が灯され試合は0行進のまま最終回の9回まで進みます。ナイターの中両投手は9回もともに無失点で切り抜け延長戦へ突入します。
粘る東洋大姫路、2度の同点劇!
延長戦へ突入直後の10回表に試合は動き出しました。花咲徳栄の攻撃は1アウトからランナーが1塁へ出塁すると二盗に成功、ツーアウトとなりながらも2番水谷選手が打った打球はショートへの力ないゴロとなりますが、2塁ランナーがやや重なったのかショートが取り損ね(記録はヒット)待望の先取点を奪います。
しかし10回の裏東洋大姫路も諦めていません。先頭打者がライト前ヒットで出塁するとすかさず送って一打同点のチャンスを作ります。後続の打者もライト前ヒット、当たりが良かったため2塁ランナーは3塁でストップ、それでも1アウト1、3塁へとチャンスを広げました。
この場面で2番上野山選手が初球高めのストレートをヒッティング、打球はセンター後方へのフライとなりタッチアップには十分の飛距離で瞬く間に同点に追いつきます。東洋大姫路はさらに攻め立て2アウト2塁のサヨナラのチャンスで3番好打者でもあるアン選手が打席へ。
ここで花咲徳栄福本投手が粘りのピッチングでアン選手を打ち取り延長戦は11回へと進むこととなります。11回以降は両校とも再び0行進、試合はとうとう打ち切りとなる15回の攻防へと突入します。
延長15回の劇的な展開も引き分け再試合へ
15回表花咲徳栄の攻撃は、1死後一番打者がライトへフライを打ち上げます。この何でもないフライをライトの前川選手がいったんグラブに収めながらも落球してしまいます。この間にバッターは3塁まで到達、一転勝ち越し点を与えてしまうピンチを迎えます。
後続の打者を一人打ちとり2死3塁の場面、今度はセカンドの砂川選手が平凡なセカンドゴロを捕球後ファーストへ悪送球、3塁ランナーをホームへ返してしまい1点を勝ち越されてしまいます。
待望の勝ち越し点を得て最終回15回裏の守りにつく花咲徳栄ですが、東洋大姫路はヒットと送りバントで2死3塁と粘ります。ここで迎えるバッターは先ほどライトでエラーをした前川選手、前川選手はすかさず打って出ますが、ショートゴロ。
万事休すと思われたその瞬間、今度は花咲徳栄のショート水谷選手が捕球しそこねはじいてしまいます。なんと土壇場で起死回生の同点劇。結局この1得点で15回裏の攻撃は終了、翌日の再試合が決まります。
試合終了は夜の8時前、試合後の整列時には疲れ切った両選手がお互いを称え合い、翌日の再試合の健闘を誓いあう握手を交わしてベンチへと戻っていきました。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 計 | |
花咲徳栄 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 |
東洋大姫路 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 |
大会第10日再試合(4月1日)延長10回
翌日に開かれた再試合は両校のエースは先発を回避します。ともに控え投手が相手打線に失点を許しながら、花咲徳栄は2投手で8回、東洋大姫路は1投手で7回までマウンドを守りました。
試合は東洋大姫路が5-4と1点リードで9回表花咲徳栄の攻撃を迎えます。8回からはアン投手がマウンドに上がり2イニング目の投球ですが、先頭打者にファーボールを与えてしまいます。
花咲徳栄はきっちり送りバントを決めて1死2塁とスコアリングポジションにランナーを進めます。次打者をサードゴロに打ち取り2死2塁で迎える打者は3番エースの福本選手。福本選手はこの場面でレフトオーバーの2塁打を放ち土壇場の同点劇となりました。
9回の裏からは福本投手がマウンドに上がります。9回裏を見事無失点で切り抜け再試合は前日に続いての延長戦へと突入しました。延長10回表は花咲徳栄無得点で10回裏の東洋大姫路の攻撃を迎えます。
再試合はあっけない幕切れ!
10回裏は東洋大姫路は先頭打者の4番前川選手がいきなり三塁打を放ちサヨナラのチャンスを迎えます。ここで花咲徳栄は後続の打者を敬遠、満塁策を取りました。無死満塁とエース福本投手を攻め立て、7番野崎選手の打席でまさかの結末が訪れます。
一人のランナーも許されない場面でカウント2ボール2ストライクで投じた5球目、アウトコースへ投じたスライダーは外へ大きく外れ捕手は獲り損ねてしまいます。投球はバックネットまで転々と転がり痛恨のワイルドピッチ、3塁ランナーが生還してまさかのサヨナラ劇。
2試合で26イニングもの攻防を繰り広げたこの対戦は、ワイルドピッチで決着というあっけない幕切れとなりました。しかし延長戦での2回と再試合9回の計3回の同点劇と再試合での延長戦は、選抜史上でもまれな対戦、選抜史に刻まれた激闘として記憶に残る試合となりました。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 計 | |
花咲徳栄 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 5 |
東洋大姫路 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1x | 6 |
2004年(平成16年)第76回大会準々決勝済美vs東北
選抜史上、劇的な幕切れの試合のもう一つとして紹介したいのが、2004年の準々決勝の済美高校対東北高校の試合です。創部3年目ながら春夏通じて甲子園初出場愛媛県の済美高校と3年生エース快速右腕ダルビッシュ有投手擁する宮城県の東北高校の対戦は注目のカードとなりました。
上甲監督率いる強力打線対ダルビッシュ、真壁2枚看板の東北
「上甲スマイル」で愛媛県の宇和島東高校を1988年第60回選抜大会で初出場初優勝の偉業へと導いた上甲監督が率いる済美高校は、3番主将の高橋、4番鵜久森の強力クリーンナップに好投手2年生福井投手がエースと初出場ながら優勝候補にも挙げられました。
一方の東北高校も前年の選手権で2年生エース怪腕ダルビッシュ有投手で準優勝、控えの真壁賢守投手も150㎞近い速球を投げる2年生好投手の2人が3年生となったこの選抜大会でも充実の投手力で優勝候補筆頭格。
ダルビッシュ投手は1回戦の熊本工業戦でノーヒットノーランも達成、東北高校にスキなしと思われたこの試合はダルビッシュ投手は登板回避、控えのメガネッシュこと真壁投手が先発。真壁投手もサイドスローとトレードマークの眼鏡で全国区の好投手です。
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ダルビッシュ選手は5番レフト、真壁投手は6番ピッチャーの先発メンバーで試合は始まります。
東北高校幸先よくスタート!
東北高校の先攻で始まったこの試合は初回から東北打線が済美の2年生エース福井投手に襲い掛かります。初回に3安打にホームランを絡めて3得点、2回にも2安打で1得点と4-0のリードで試合の序盤は東北高校ペース。
しかし3回の裏済美の攻撃では、今大会注目の4番打者鵜久森選手が今大会自身2本目となる2ランホームランを放ち2点差に詰め寄ります。済美の追い上げが始まったかと思われましたが、試合中盤の6回表に東北が1点を追加して5-2で試合は終盤へと進みます。
この時点で真壁投手は強力済美打線を4安打に抑え、東北高校ペースのまま進んだ終盤の8回表東北高校はさらに1点を追加して4点差とします。いざとなればダルビッシュ投手も後ろに控えており、東北高校がこのまま逃げ切るかと思われた最終回に奇跡が起こります。
9回ツーアウトランナーなしからまさかの逆転劇!
9回表は無得点だった東北高校ですが、4点差のまま9回裏の済美高校の攻撃を迎えます。済美高校の攻撃は6番打者から始まる打順、下位打線へと続いていく打順の巡りあわせも東北高校には有利のように見えました。
しかし6番野間選手はしぶとくライト前ヒットで無死1塁、4回以降のヒットで逆転への希望をつなぎます。続く7番田坂選手はライトオーバーの3塁打でまず1点を返しました。
無死3塁で打者は8番新立選手はセカンドゴロに倒れますが、この間に3塁ランナーがホームイン。4-6の2点差としますが、9回から福井投手を救援した9番打者の藤村投手はセカンドゴロに倒れ、ツーアウトランナーなしと逆転のチャンスは潰えたかと思われました。
打順は先頭打者に返って甘井選手、ツーストライクまで追い込まれながらライト前へヒット、最後の最後まで諦めません。続く2番小松選手も三遊間を破る連打でツーアウトながら1、2塁とランナー2人、一発が出れば逆転サヨナラスリーランという状況まで粘ります。
この時点でレフトのダルビッシュ投手は投げる仕草を見せて救援マウンドに上がる意欲をアピールしますが、ベンチは動きません。ここで迎えるのは済美の3番打者主将の高橋勇丞選手、注目の好打者ですが今大会はここまで10打数1安打と不振にあえいでいました。
真壁投手はあっさりツーナッシングに追い込みますが、高橋選手もここからファウルで粘ります。そして高橋選手に対して真壁投手が投じた5球目、この試合158球目の投球となるストレートがストライクゾーン真ん中に入っていくと高橋選手はこの失投を見逃さずに強振します。
ジャストミートでとらえた打球はレフトを守るダルビッシュ選手のはるか頭上を越えてスタンドイン。ダルビッシュ選手も途中から打球を追うのを諦めるほどの打球はスタンド中断まで届く打った瞬間それとわかる当たりでした。
大会第11日第1試合(4月2日)
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 計 | |
東北 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 6 |
済美 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5x | 7 |
9回裏4点差、2点差に追い上げた後も最後はツーアウトランナーなしからの逆転サヨナラスリーランという誰も想像しなかった結末で済美高校が東北高校を下しました。この時点で選抜史上3本目となる逆転サヨナラホームランには高校野球、甲子園の怖さと面白さを感じた印象深いものとなりました。
結局この試合を制した済美高校は、準決勝の明徳義塾戦、決勝の愛工大名電戦も1点差で勝ち切り、2回戦の東邦戦からは全て1点差勝利という試合巧者ぶりで初出場初優勝を飾りました。
この大会で優勝した済美高校の校歌にある「やればできるは魔法の合言葉」はそのポップなメロディとともに、大会を通じて5回球場に流れたこともあり一躍有名となりました。
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まとめ
負ければ引退という高校3年生にとって最後の公式戦となる夏の甲子園に比べて、春の甲子園では激闘、奇跡のゲームというのはどうしても少ない印象を受けます。そんな中選抜高校野球大会でも選抜史上伝説の試合と言われる感動の歴史を紹介してきました。
1989年(平成元年)第61回大会決勝戦東邦vs上宮
2003年(平成15年)第75回大会準々決勝東洋大姫路vs花咲徳栄
2004年(平成16年)第76回大会準々決勝済美vs東北
これらの試合以外にも激闘、感動の伝説の試合はまだまだありますが、やはり想像を絶する展開、結末が印象深かった3試合を紹介しました。今後のセンバツ甲子園大会でもどんな激闘、感動の名勝負、名試合が繰り広げられるのか楽しみですね!