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春の選抜甲子園、高校野球無名校の初出場初優勝は何回ある?

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90回以上の長い歴史を誇る春の選抜高校野球大会には数々の高校が参加してきました。今では甲子園に何度も出場する常連校、強豪校が優勝することが多い甲子園大会ですが、これら常連校、強豪校も一番最初は初出場でした(あたりまえですが)。

この長い選抜大会の歴史において当時の無名校、初出場校が初優勝という偉業を達成したのは何回あるのでしょうか?早速見てみましょう!

春夏通じて選抜が甲子園初出場、初優勝校は?

1924年(大正13年)に第1回の産声を上げた春の選抜高校野球大会は名古屋市の山本球場で開催されていますが、第2回以降は甲子園球場に定着します。第1回大会は香川県の高松商業が優勝しましたが、参加校8校全て初出場ですので除外します。

第2回大会以降で春の選抜大会が春夏通じて甲子園の初出場校が初優勝した高校は10回あります。

第11回大会1934年(昭和9年)東邦商業(愛知)

センバツ大会で一番最初に初出場初優勝した学校は愛知県の東邦商業(現東邦)でした。平成最後の選抜大会で選抜の最多回数となる5回目の優勝を成し遂げた名門中の名門です。

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東邦商はこの大会では春夏通じて初の甲子園、夏の甲子園では1931年から前年の1933年まで同じ愛知の中京商(現中京大中京)が3連覇を達成した翌年の選抜で愛知からは中京商、享栄商と3校が出場しています。

東邦商は2回戦から登場、京都一商、明石中(兵庫)、海南中(和歌山)と撃破し、決勝戦では浪華商(大阪)に延長10回逆転サヨナラ勝ちで初優勝を飾りました。この大会では2回戦で中京商、準決勝で享栄商を破った浪商に愛知県勢3度目の正直でリベンジした試合となりました。

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意外にも戦前の選抜大会で初出場初優勝はこの東邦商の1回だけです。選考の参考となる秋季大会がある現在の選抜と異なり近畿、東海地区を中心に強豪校が選抜されていた性質上、選抜大会には甲子園常連校が出場していたことも背景にあると言えるでしょう。

第22回大会1950年(昭和25年)韮山(静岡)

第11回の東邦商の初出場初優勝以来、戦争を挟んだ1950年の第22回大会で静岡県の韮山が初出場初優勝を達成します。韮山も春夏通じて甲子園初出場の無名校ですが、1回戦、準々決勝で兵庫工、八幡(福岡)を下すと準決勝では前年優勝の北野(大阪)に快勝します。

決勝戦では戦後力をつけてきた高知商業と対戦しますが、4-1で下し初優勝を達成、静岡県勢の選抜初優勝をもたらしました。しかし韮山は選抜はこの大会が最初で最後、夏の甲子園には1995年の第77回大会に初出場して3回戦まで進出しますが、春も夏も1回だけの出場となっています。

第25回大会1953年(昭和28年)洲本(兵庫)

3校目の初出場初優勝は1953年の第25回大会で兵庫県の洲本が成し遂げました。洲本高校も春夏通じて甲子園初出場の無名校、当時の兵庫県も滝川、鳴尾、芦屋といった強豪がひしめく激戦区でしたが、初出場校が優勝してしまうほどのレベルの高さがうかがい知れます。

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洲本は2回戦でいきなり強豪愛知の中京商と対戦しますが、2-0の完封勝ち。準々決勝でも同じ愛知県勢豊橋時習館に1-0と2試合連続の完封勝ち、準決勝では福岡の強豪小倉を5-1と下し決勝に進みます。

圧巻なのは決勝戦で大阪の強豪浪華商業と対戦しますが、なんとこの試合も4-0の完封勝ち、まさしくジャイアントキリングの連続で初優勝を飾ります。4試合で1失点というスコアも初出場とは思えない試合ぶりでした。

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浪商は1937年第14回大会で優勝していますが、東邦商に続いて初出場校に決勝戦で敗退するという屈辱となりました。洲本高校は以降、春2回、夏1回出場しますがいずれも初戦負け、優勝したこの大会で勝利して以来勝ち星がありません。

第36回大会1964年(昭和39年)徳島海南(徳島)

4校目の初出場初優勝校は徳島県の徳島海南高校、春夏通じて初出場の甲子園でした。この時の徳島海南は後にプロ入りして引退後、プロゴルファーとして活躍するジャンボ尾崎こと尾崎将司投手がエースのチームです。

徳島海南は1回戦秋田工、2回戦報徳学園(兵庫)、準々決勝金沢(石川)、準決勝土佐(高知)を相手に秋田工戦の1失点のみ、後は全て完封勝利で決勝まで進みます。決勝戦は広島県の尾道商に3-2と終盤に逆転し優勝を果たしました。

徳島海南はこの大会が甲子園出場が最初で最後、春夏この1回のみの出場となっています。

第40回大会1968年(昭和43年)大宮工(埼玉)

大宮工業は春夏通じて初の甲子園、埼玉県勢としても初の優勝です。前年の津久見高校に続く選抜初出場初優勝となります。1回戦防府商(山口)、2回戦浜松工(静岡)、準々決勝平安(京都)、準決勝箕島(和歌山)と強豪校を撃破、決勝戦までコマを進めます。

決勝戦も広島の尾道商に3-2の接戦を制し優勝を決めます。尾道商は選抜2回の準優勝がいずれも初出場校に敗戦、スコアも2-3の逆転負けというあと一歩で悔し涙を流しました。

大宮校工業はその年の夏の大会にも甲子園に戻ってきますが、2回戦で津久見に敗退、結局春夏ともにこの1回だけの出場に終わっています。

第44回大会1972年(昭和47年)日大桜丘(東京)

6校目の初出場初優勝校は東京都の日大桜丘、春夏通じて初出場の日大桜丘はジャンボ仲根投手をエースに2回戦から登場しました。2回戦は松江商(島根)、準々決勝高知商、準決勝東北を下し決勝戦まで進出します。

そして決勝の相手は同じ東京勢、しかも同じ日本大学の系列校である日大三高との対戦となりました。日大三高は前年の選抜大会で優勝、この大会でも1回戦から4試合で34得点の強力打線です。

しかし仲根投手はこの強力打線を相手に5-0の完封勝ちをおさめ優勝を果たしました。仲根投手は決勝までの4試合で3失点、1試合の失点が1点以下という好投ぶりでした。

日大桜丘はこの年の夏の選手権で選抜準々決勝で倒した高知商に初戦敗退を喫してしまいました。結局日大桜丘はこの年の春夏に出場して以降甲子園出場はありません。

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第56回大会1984年(昭和59年)岩倉(東京)

7校目の初出場初優勝は、前回達成した日大桜丘に続いての東京勢の岩倉高校です。1回戦で近大福山(広島)、2回戦で金足農業(秋田)、準々決勝で取手二(茨城)、準決勝大船渡(岩手)と勝ち進みます。

この年の夏の選手権では金足農業ベスト4、取手二高は優勝したと力のあるチームを下しての決勝戦は2年生の桑田、清原KKコンビPL学園との対戦となりました。しかし岩倉高校はこのPL学園を1-0の完封で下し優勝を決めました。

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岩倉高校は選抜の出場はこの大会のみ、1997年に夏の選手権に初出場しますが初戦敗退しました。

第57回大会1985年(昭和60年)伊野商(高知)

8校目の初出場初優勝は前年の大会に続き春夏通じて初の甲子園出場の高知県伊野商業です。伊野商業は後にプロ入りする渡辺智男投手を擁して1回戦東海大(千葉)、2回戦鹿児島商工、準々決勝西条(愛媛)と勝ち進みます。

準決勝の相手は3年生KKコンビのPL学園、さすがにPL有利と見られた試合を渡辺投手が1失点完投勝ち、決勝戦は(東京)に4-0の完封勝ちで優勝を決めました。

伊野商業も前年の岩倉高校と同様に選抜はこの大会の1回限り、夏の選手権は1987年に初出場しましたが初戦敗退しています。しかし史上最強ともいわれるKKコンビのPL学園が岩倉、伊野商と2年続けて初出場校に敗退というのも意外でした。

第67回大会1995年(平成7年)観音寺中央(香川)

9校目の初出場初優勝は香川県の観音寺中央(現観音寺総合)、春夏通じて甲子園初出場。1回戦藤蔭(大分)、2回戦東海大相模(神奈川)、準々決勝星稜(石川)、準決勝関西(岡山)と勝ち進みます。

決勝戦は千葉県の強豪銚子商業との対戦ですが、4-0の完封勝ち。東海大相模、星稜といった甲子園常連校も撃破しての初優勝でした。観音寺中央もこの年の夏に出場しますが2回戦敗退。

観音寺中央は春夏ともにこの年の出場のみ、以降甲子園からは遠ざかっています。四国勢はこの観音寺中央の優勝で四国4県すべての県から選抜初出場初優勝を達成しています。

第76回大会2004年(平成16年)済美(愛媛)

10校目の初出場初優勝は愛媛県の済美高校、春夏通じて甲子園初出場ですが、大会前から優勝候補に挙げられるチーム力でした。さらに監督は宇和島東で初出場初優勝を果たした上甲監督。

1回戦土浦湖北(茨城)、2回戦東邦(愛知)、準々決勝東北(宮城)、準決勝明徳義塾(高知)、決勝愛工大名電(愛知)と初戦土浦湖北に9-0と打ち勝つも2回戦以降は全て1点差勝利、準々決勝の東北戦は9回裏に4点差をひっくり返しての逆転サヨナラ勝ちの勝負強さもありました。

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この年の済美高校は夏の選手権にも出場して春夏連覇まであと一歩の準優勝、夏の連覇を狙った駒大苫小牧(南北海道)に敗戦しましたが、春夏初出場とは思えない強さを発揮しました。

センバツはこの大会以降も2013年に準優勝がありますが、春夏ともに優勝はこの1回のみです。校歌の「やればできるは魔法の合言葉」の歌詞は当時話題にもなりました。上甲監督は初出場初優勝を唯一2回達成した監督になっています。

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夏は出場経験ありの選抜初出場初優勝は?

夏の選手権は出場経験があるものの春の選抜に初出場して初優勝した高校は6校あります。夏に出場経験があるので初出場というイメージはあまりないかもしれません。中には夏の大会に何回も出場している高校もあります。

第26回大会1954年(昭和29年)飯田長姫(長野)

長野県の飯田長姫(現飯田OIDE長姫)は選抜は初出場、夏の大会は1935年第21回大会に飯田商として出場しています。前年の第25回大会洲本高校に続き選抜初出場初優勝となりました。

当時の長野県内は松商学園(旧松本商業)が圧倒的な強さを誇り、選抜でも1926年第3回大会に松本商業準として優勝しています。そんな中、飯田長姫は選抜の2回戦で強豪浪華商と対戦、なんと1-0で完封勝ちしてしまいます。

準々決勝では高知商に2-1,準決勝では熊本工に6-0と並み居る全国屈指の強豪校を撃破、そして決勝戦でも福岡県の名門小倉に1-0の完封勝ち。前年の洲本に続くジャイアントキリングぶりで初出場、初優勝を達成しました。

しかし浪商、小倉と優勝経験のある名門校が初出場に白星を献上するあたり高校野球は本当にわからないものです。飯田長姫は選抜の長野県勢初の優勝をもたらしました。

飯田長姫は結局この選抜を最後に甲子園からは遠ざかっています。なお浪商は翌年の選抜大会で見事優勝を果たしています。

第33回大会1961年(昭和36年)法政二(神奈川)

神奈川県の強豪法政二高は、この大会までに夏の大会はすでに6回出場、1957年第39回大会の準優勝、前年の1960年第42回大会で優勝という当時名門中の名門校でした。

しかし選抜出場は1961年第33回大会のこの大会が初、前年夏に続く優勝で夏春連覇を達成します。そして前年の夏から法政二高柴田勲投手、浪華商尾崎行雄投手の好投手対決は話題となりました。

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前年夏には法政二高が2回戦で浪商を4-0で下し、この大会では準々決勝で再戦します。法政二高は浪商を3-1で返り討ち、そのまま準決勝平安(京都)、決勝高松商(香川)と強豪校を撃破して初出場初優勝を果たしました。

浪商はまたしても初出場校に白星を献上しますが、この年の夏の大会では準決勝で法政二高と3季連続の対戦、4-2で見事リベンジを果たし優勝しています。初出場初優勝校に3度も辛酸をなめた経験が浪商をさらに強くしたのかもしれません。

第39回大会1967年(昭和42年)津久見(大分)

1967年第39回大会では大分県の津久見高校が初出場初優勝を果たしますが、津久見高校も夏はすでに5回の出場経験がありました。すでに甲子園での実績はあるものの春は意外にも初出場です。

2回戦から登場した津久見は倉敷工(岡山)に3-2,準々決勝は岐阜商(現県岐阜商)に2-0、準決勝報徳学園(兵庫)に2-1と接戦続きながら全国の強豪校を撃破して決勝まで進出します。

決勝戦も高知の強豪高知高校と対戦、この試合も2-0の接戦で優勝を決めました。選抜初出場とはいえ、強豪校並みの試合運びで初優勝を果たしています。

第45回大会1973年(昭和48年)横浜(神奈川)

横浜高校は意外にも1973年が選抜初出場、夏の選手権は1963年に1度出場があるのみ、この時の夏はベスト4まで進んでますが、今のような名門校という存在ではありませんでした。

横浜高校はこの大会は2回戦から登場、2回戦小倉商(福岡)、準々決勝東邦、準決勝鳴門工(徳島)、決勝広島商を撃破。決勝の広島商は準決勝で怪物江川卓投手擁する作新学院を攻略したチームでしたが、決勝戦では3-1と名門広島商を退けました。

横浜高校はこの初出場以降、選抜優勝回数計3回、夏の選手権優勝回数2回の全国屈指の強豪校となります。

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第48回大会1976年(昭和51年)崇徳(広島)

広島の崇徳高校も夏の選手権は1961年に1度出場があるのみ、この時の夏はベスト8まで進んでます。

この選抜大会では1回戦で古豪高松商を下すと、2回戦鉾田一(茨城)、準々決勝福井、準決勝日田林工(大分)、決勝小山(栃木)まで鉾田一、福井、日田林工はいずれも選抜初出場、小山は選抜2回目というフレッシュな顔ぶれとの対戦が続きました。

高松商戦は11-8の乱打戦でしたが、2回戦以降は1失点、完封、1失点、完封と安定した投手力による優勝、その年の夏も甲子園に戻ってきますが、3回戦で長崎海星高校に敗退しました。

崇徳高校はこの年以降、選抜に2回出場したのみ、1993年を最後に甲子園から遠ざかっています。崇徳高校は軟式野球も名門で2014年には中京学院大中京(岐阜)との延長50回の死闘も世間の話題となりました。

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第60回大会1988年(昭和63年)宇和島東(愛媛)

愛媛県の宇和島東高校は前年の夏に甲子園初出場するも初戦敗退しています。初出場となったこの選抜では2回戦からの登場で野洲(滋賀)、3回戦近大付(大阪)、準々決勝宇部商(山口)、準決勝桐蔭学園(神奈川)と勝ち進みます。

決勝戦の相手は強豪東邦高校、試合前の予想では東邦有利とも言われましたが、終わってみれば6-0の完封勝利。宇和島東はこの選抜の優勝を機に選抜計4回、選手権計9回出場の甲子園常連校となりました。

まとめ

長い選抜大会の歴史において春夏通じて甲子園初出場初優勝校は10校、夏の出場経験がある選抜初出場初優勝校は6校ありました。最初は1934年第11回大会の東邦商に始まり2004年第76回大会の済美高校以降は現れていません。

歴史が長くなればなるほど初出場校は減っていくことになりますが、初出場で初優勝するには実力はもちろんのこと大会を通じて勢いがつくことも重要ではないでしょうか?今後初出場初優勝校はいつ出現するのでしょうか?今後の選抜大会にも期待したいですね!

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