第104回全国高校野球選手権大会で宮城県代表の仙台育英が東北勢初の優勝を果たしました。なかなか白河の関超えができず13回目の正直での達成。
これまでなぜか甲子園で優勝できない東北勢、甲子園の決勝戦に進むこと実に12回、いずれも決勝戦で敗退と最高成績準優勝の壁が超えられませんでした。
仙台育英が初優勝したよく2023年の第105回大会では仙台育英は2年連続の決勝進出、2連覇への期待もかかりましたが、またもや準優勝。そんな東北勢の過去の準優勝の歴史をまとめてみました。ご覧ください!
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東北勢甲子園の過去の決勝戦
高校野球界において長らくささやかれてきた「大旗が白河の関を超えられない」という言葉、検閲や徴税のために古代から国内各地の交通の要衝に設けられた関所のうち、福島県南部に位置する「白河の関」を超えて東北地方の高校が甲子園の優勝旗をなかなか持ち帰ることができないことを例えたフレーズです。
1915年(大正4年)に開催された甲子園大会の前身である第1回全国中等学校優勝野球大会で秋田中学がいきなり準優勝したものの、以降100年以上の時を経ていまだ東北勢の優勝がありません。
その間北海道の駒大苫小牧高校が夏の大会で2連覇を達成した際には、白河の関どころか一気に津軽海峡を飛び越えたということも話題となりました。いずれにしても通算14回の決勝戦進出がありながら、13回が準優勝に終わった過去の決勝戦の結果を見てみましょう。
年 | 回 | 学校 | スコア | 相手校 |
1915年 | 第1回夏 | 秋田中(秋田) | 1-2 | 京都二中(京都) |
1969年 | 第51回夏 | 三沢(青森) | 0-0 2-4 | 松山商(愛媛) |
1971年 | 第53回夏 | 磐城(福島) | 0-1 | 桐蔭学園(神奈川) |
1989年 | 第71回夏 | 仙台育英(宮城) | 0-2 | 帝京(東東京) |
2001年 | 第73回春 | 仙台育英(宮城) | 6-7 | 常総学院(茨城) |
2003年 | 第85回夏 | 東北(宮城) | 2-4 | 常総学院(茨城) |
2009年 | 第81回春 | 花巻東(岩手) | 0-1 | 清峰(長崎) |
2011年 | 第93回夏 | 光星学院(青森) | 0-11 | 日大三(西東京) |
2012年 | 第84回春 | 光星学院(青森) | 3-7 | 大阪桐蔭(大阪) |
2012年 | 第94回夏 | 光星学院(青森) | 0-3 | 大阪桐蔭(大阪) |
2015年 | 第97回夏 | 仙台育英(宮城) | 6-10 | 東海大相模(神奈川) |
2018年 | 第100回夏 | 金足農業(秋田) | 2-13 | 大阪桐蔭(北大阪) |
2023年 | 第105回夏 | 仙台育英(宮城) | 2-8 | 慶応(神奈川) |
第1回大会でいきなり秋田中が準優勝を果たすも、次に決勝戦進出するまで半世紀以上の年月を要しました。東北勢2回目の決勝進出となった1969年は三沢高校太田幸司投手の「コーちゃんフィーバー」で沸いた大会でしたが、古豪松山商との決勝戦は延長18回0-0で決着がつかず再試合となりました。
太田投手が18回を投げ切った翌日の再試合でも先発しますが2-4で敗退、再試合の9回も一人で投げ抜きました。準々決勝からの計45イニングを一人で投げ抜いていたためさすがに疲労は相当あったでしょう、決勝再試合で力尽きたのかもしれません。
その2年後の1971年選手権大会では福島県の磐城高校が決勝戦に進出します。磐城高校のエースは身長165㎝の田村隆寿投手、初戦から3試合連続完封、27イニング無失点で「小さな大投手」と呼ばれました。決勝戦も6回まで33イニング無失点を続けますが7回に初失点、結局この失点が決勝点となり敗退します。
この時の決勝戦の対戦校は桐蔭学園、創部6年目の甲子園初出場での快挙、さらに前年は創部5年目の東海大相模も優勝と神奈川県勢の新興高校による連覇となりました。磐城高校は初戦の2回戦で優勝候補の日大一を破るなど快進撃を見せましたが、決勝では初出場の桐蔭学園の前に1失点で涙を飲むこととなりました。
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磐城高校が準優勝した年に生まれた選手が3年生となる18年後の1989年には宮城県の仙台育英が決勝戦に進出します。この時は速球投手大越基選手をエースに擁して2回戦ではセンバツベスト4の京都西(現京都外大西)、準々決勝では元木大介、種田仁の強力打線で選抜準優勝の上宮などを倒します。
決勝戦の相手は西の横綱上宮に対して東の横綱と言われた帝京高校、本格派右腕吉岡雄二投手との投げ合いで延長9回まで0-0のまま延長に突入します。しかし延長10回表で力尽き2失点、結局0-2で準優勝に終わりました。
さらに12年後の2001年選抜大会でも仙台育英は決勝に進みます。東北勢初の選抜での決勝進出でしたが、名将木内監督率いる茨城の常総学院の前にまたも準優勝で終わります。
この2年後の2003年選手権大会では、同じ宮城県の東北高校が決勝進出します。この時のエースは2年生ダルビッシュ有投手でしたが、またもや常総学院の前に2-4で敗退。この時の常総学院は大会後に木内監督が勇退することを表明しており、花道を飾るために選手が奮起したチームでもありました。
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2009年の選抜大会には岩手県の花巻東が超速球左腕菊池雄星投手を擁して決勝に臨みました。決勝戦の相手も初の決勝進出の長崎県清峰高校でしたが、この時のエースは高校卒業後に広島にドラフト1位で入団する今村猛投手、菊池投手と今村投手の投げ合いの末、0-1で花巻東は敗退します。
2年後の2011年選手権から2012年選抜、同年選手権と3季連続で青森の光星学院(現八戸学院光星)が決勝戦に進みます。しかし2011年は好投手吉永健太朗投手の日大三、そして2012年は春夏ともに藤浪晋太郎投手の大阪桐蔭が決勝の相手でした。
この時の大阪桐蔭は3年生藤浪、2年生森友哉のバッテリーで春夏連覇を達成した超高校級チームでした。光星学院も北条史也選手、田村龍弘捕手の強力打線で勝ち進みましたが、大阪桐蔭の前に屈します。
3年後の2015年の選手権では仙台育英が3回目の決勝進出を果たしますが、対戦相手は150㎞左腕の小笠原慎之介投手と150㎞右腕の吉田凌のWエースで優勝候補の東海大相模。仙台育英もプロ入りする速球派佐藤世那投手がエースでしたが、東海大相模の強力打線の前に6-10の打撃戦に敗れました。
そして2018年の第100回選手権記念大会では、大会屈指の好投手吉田輝星投手がエースの秋田金足農業が決勝に進みます。吉田投手は一人で決勝まで投げぬき疲労が残る中、決勝戦では史上初の2回目の春夏連覇を達成する大阪桐蔭に大量失点の末敗退しました。
2023年の第105回選手権大会では仙台育英が5回目の決勝に進出します。前年の第104回大会で東北勢初の優勝を果たし、いきなり2連覇の期待がかかった決勝戦でした。
結果は、慶応高校に敗退し、同校4回目の準優勝に終わりましたが、平成以降で優勝1回、準優勝4回は高校野球を代表する強豪校です。
以上、東北勢は春夏合わせて14回の決勝進出がありますが、うち13回が準優勝に終わりました。しかし2000年以降は10回の決勝進出と2~3年に1回のペースで決勝進出と躍進しています。
なかなか優勝には縁がなかった東北勢ですが、2022年の仙台育英の初優勝で東北勢の強さが実証されました。翌2023年も準優勝となりましたが、今後の東北勢の優勝は続出するかもしれませんね。
東北勢がなぜ優勝できなかったのか?
第1回大会に決勝進出して以降、計14回決勝戦に臨んで1回しか勝てなかったのも不思議です。東北勢が優勝できなかった理由とはあるのでしょうか?
昭和のころまでは雪国の東北地方は冬から春にかけて練習ができない時期が長いという気候によるハンデも指摘されていましたが、近年では室内練習場も整備されるなどハンデを克服できる環境にあります。
また関東、関西方面から有望な選手が東北の高校に野球留学するケースも増えており、かつては初戦敗退が当たり前だった弱小地区というイメージは今は全くありません。現に2000年以降は10回も決勝進出の実績があります。
優勝できない明確な理由があるとは思えませんが、強いてあげるなら決勝の相手校が強すぎる、あるいは相性が悪いということはあるかもしれません。
1969年は選手権の通算優勝回数5回の古豪松山商、1971年の桐蔭学園、2015年の東海大相模はともに神奈川県勢、2001年、2003年は木内監督率いる常総学院といった相性の悪さに加え、1989年の帝京、2009年の清峰、2011年の日大三はいずれも大会屈指の好投手のチームが相手でした。
そして極めつけは2012年、2018年とともに春夏連覇を果たす大阪桐蔭が相手という運の悪さもあるでしょう。さらに東北勢も好投手で決勝戦まで進みますが、一人で投げ抜くチームが多く、決勝戦の時点では疲労もマックスといった状況も不利に働いたかもしれません。
2023年の対戦相手は慶応高校とこちらも神奈川県代表、また強力な応援団を背に甲子園球場が慶応一色になったのも戦いにくい部分もあったでしょう。仙台育英らしからぬ試合運びで敗戦しました。
決勝まで進む高校ですからどの対戦校でも決勝戦ともなれば勝つのが難しいのは仕方ないかもしれませんが、対戦相手に恵まれなかったという点も否定できないのではないでしょうか?特に神奈川、大阪、東京勢が相手という不運さもあるでしょう。
逆に初優勝となった2022年第104回選手権大会は山口県代表の下関国際でした。準々決勝で大阪桐蔭を下すほどの力もあるチームでしたが、これまでの決勝で対戦してきた古豪、強豪とは異なり甲子園での実績はまだ少ない高校だったとは言えます。
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近年は超高校級の選手を多く擁している東北勢が上位進出するのは珍しくなくなっています。仙台育英が優勝した2022年夏は聖光学院もベスト4でした。東北以外の高校が対戦相手として避けたい地区になりつつありますね。
まとめ
甲子園の優勝旗が「白河の関」をなかなか超えられなかった東北勢は、春夏合わせて通算14回の決勝進出で13回敗退しました。そんな東北勢の甲子園の過去の決勝戦の結果をみてきました。
- 宮城県は仙台育英4回、東北高校1回の準優勝
- 青森県は八戸学院光星が3季連続3回、三沢高校1回の準優勝
- 秋田県は秋田中、金足農業が各1回の準優勝
- 岩手県は花巻東、福島県は磐城高校が各1回の準優勝
- 山形県のみ決勝進出がない
といった結果となっていますが、2000年以降は10回の決勝進出があり、2022年第104回選手権大会では仙台育英が東北勢初の優勝を果たしました。
しかしそれまで東北勢が優勝できなかった明確な理由があるとは思えませんが、対戦相手が強い、相性が悪いという点もあったのではないでしょうか。
近年は毎年のように上位進出、今や東北勢は対戦したくない地区にまで力をつけているといえるでしょう。高校野球の勢力図はかつてとは明らかに変わっていますね!