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高校野球10人の名将!甲子園監督通算勝利数ランキングを2019年までまとめました!

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ベンチ前の円陣

高校野球ファンの方にとって名将といえば誰を思い浮かべるでしょうか?最近でいえば大阪桐蔭の西谷監督や明徳義塾の馬淵監督、2018年に勇退した智辯和歌山の高嶋監督などは有名です。

少し前の監督で言えばPL学園の中村元監督や池田高校の蔦元監督、横浜高校の渡辺元監督も甲子園ではお馴染みでした。名将と呼ばれる監督の条件は様々だと思います。

甲子園での通算勝利数や出場回数、あるいは教え子のプロ野球選手輩出数、はたまた弱小校を甲子園出場に導いた実績などいろんな名将がいますが、今回はシンプルに2019年夏の大会終了時点の甲子園での通算勝利数ランキングについてまとめてみました。早速見ていきましょう!

甲子園春夏通算勝利数監督ランキング

順位

監督名

(※現役)

高校通算
勝利敗戦優勝勝利敗戦優勝勝利敗戦優勝
1高嶋仁智辯和歌山・智辯学園683533013138222
2中村順司PL学園5810631732733
3西谷浩一※大阪桐蔭559723533244
4渡辺元智横浜512252312328102
前田三夫※帝京512332113130102
馬淵史郎※明徳義塾513311914032191
7木内幸男取手二・常総学院40193136127132
8阪口慶三※東邦・大垣日大383112315114140
9蔦文也池田3711321521661
小倉全由※関東一・日大三37192149023102

1位は高嶋仁監督で2位のPL学園中村順司監督を10勝引き離してのトップとなっています。高嶋監督は奈良の智辯学園でも9年間で7勝3敗の戦績を残しましたが、1980年に智辯和歌山高校の監督に就任して以降2018年に勇退するまでの38年間で61勝を積み重ねました。

優勝経験は平成に入ってからの遅咲きとなりますが、優勝3回、準優勝も春3回、夏1回と実に半世紀近く監督として活躍しました。甲子園での実績もさることながら、和歌山県大会の決勝戦は20連勝で通算23勝1敗と県内でも無類の強さを誇っていました。

2位の中村監督は、1980年に母校PL学園の監督に就任後、わずか18年間の監督生活で58勝をあげました。就任直後の1981年の選抜で監督として初出場初優勝を達成、以降1982年の選抜で連覇、その後も桑田真澄投手、清原和博選手の1年生KKコンビで1983年選手権で夏初優勝、1984年は決勝戦で取手二高に敗れるものの甲子園20連勝という前人未到の記録を残しています。

1985年夏には3年生KKコンビで優勝、そして1987年には立浪選手、野村投手、橋本投手、片岡選手の後にプロ入りする選手を引き連れて春夏連覇も達成します。2010年に高嶋監督に勝利数を抜かれるまで通算勝利数1位でしたが、在任期間18年間での達成は驚異的です。

そして3位の西谷監督は、通算勝利数では2位の中村監督にわずかに及ばないものの優勝回数7回は史上最多、勝率も.859と2位の中村監督.853を上回る実績を残しています。特に2000年以降の大阪桐蔭の戦績はすさまじく、春夏連覇2回、春の連覇1回と甲子園出場回数16回での達成は見事というほかありません。

特筆すべきは西谷監督は甲子園での決勝戦に7回進出して全て優勝している点です。まさしく甲子園での優勝を知り尽くした名将と言えるのではないでしょうか。

2位の中村監督、3位の西谷監督ともにそれぞれPL学園、大阪桐蔭の一時代を築いた名将ではありますが、何よりすごいのは激戦区大阪を制しての達成という点です。夏の大阪大会はシードもないため甲子園出場するためには最多で8連勝する必要がありますが、大阪代表を勝ち取っての甲子園優勝は相当強いチームを作り上げないと達成できない記録です。

この両監督が監督として率いていたころの1980年以降は、PL学園、大阪桐蔭以外にも上宮、近大付、履正社といった甲子園優勝校も大阪から輩出しています。まさに激戦区で群雄割拠の大阪を勝ち抜くこと自体が至難の業ですが、ここに両校や大阪勢の強さが凝縮されているといえるでしょう。

4位には横浜高校の渡辺監督、帝京の前田監督、明徳義塾の馬淵監督がタイで並んでいます。いずれの監督も名将として名をはせた監督ですが、渡辺監督は松坂大輔投手を率いての春夏連覇など計5回の優勝、前田監督も計3回の優勝を誇ります。

この両監督は当初はチームが低迷、弱小だったころに就任、苦労してチームを強豪校までたたきあげました。当時では当たり前だったスパルタの猛練習でそれぞれ激戦区の神奈川県、東東京を勝ち抜く甲子園の常連校にまで押し上げ、全国でも有数の名門校にまで育て上げた名将です。

馬淵監督は優勝こそ1回しかありませんが、高知高校、高知商業といった強豪校が名を連ねる高知県を制して春夏30回の甲子園出場、甲子園では20大会連続初戦突破という甲子園での勝ち方を熟知している監督と言えるでしょう。

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7位の木内幸男監督は、取手二高、常総学院を率いての勝利数となります。取手二高には1957年に監督就任、20年後の1977年に甲子園初出場とかなりの遅咲きでした。しかし1984年夏には甲子園で初の決勝進出を果たすとKKコンビが2年生時のあのPL学園を相手に延長10回の末打ち勝ち初優勝を達成します。

その後1985年に常総学院の監督に就任、1987年夏には準優勝、2001年春、2003年夏にそれぞれ優勝を果たします。茨城のズーズー弁での語り口や木内マジックと称された采配は対戦相手にとっても不気味だったのではないでしょうか?

8位の阪口監督は愛知の東邦高校で平成最初の1989年選抜で監督として初優勝、前年の1988年春、大垣日大での2007年春と選抜での準優勝が2回、夏は1年生投手バンビ坂本投手を擁して1977年に準優勝が1回あります。鬼の阪口と言われ猛練習で東邦高校を全国の常連に押し上げた指導者も大垣日大では仏の阪口としてまだ現役でチームを率いています。

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9位の蔦文也監督は、池田高校の名将、「攻めだるま」の異名をとり金属バットの特製を生かした超攻撃野球で高校野球の新たな時代を切り開きました。1974年春にはさわやかイレブンと呼ばれたわずか11人の部員で準優勝、1979年夏にも準優勝を果たしましたが、1982年夏の畠山投手を率いたチームは「やまびこ打線」として一世を風靡し見事初優勝を成し遂げました。

その翌年春には新3年生の水野雄仁投手を擁し選抜初優勝、夏春連覇の偉業を達成します。その後、1986年の選抜でも優勝を果たしました。徳島県の県立高校を実力、認知度ともに全国トップクラスにまで押し上げた手腕は当時の名将の代表格だったと思います。

同じく9位の日大三高の小倉監督は情熱あふれる熱血漢として甲子園でも2回の優勝を達成しています。1985年に関東一高で指揮をとり1987年選抜で準優勝(優勝は池田高校)など実績をあげますが、1997年に母校の日大三高に就任してからは2001年夏、2011年夏に優勝を果たしています。

まとめ

高校野球の名将を語る上で欠かせないのは甲子園での実績です。2019年の夏の大会終了時点での監督通算勝利数のランキングをまとめてみました。ベスト10に名を連ねる監督は、高校野球ファンなら誰しもが名前を聞いたことのある監督ばかりです。

  • 通算勝利数1位は、智辯学園、智辯和歌山の高嶋仁監督の68勝
  • 2位、3位にはPL学園中村監督58勝、大阪桐蔭西谷監督55勝と大阪勢の一時代を築いた監督が続く
  • 4位には横浜高校の渡辺監督、帝京高校の前田監督、明徳義塾の馬淵監督が51勝でタイ
  • 7位には取手二高、常総学院で優勝経験のある木内監督が40勝、8位には東邦高校、大垣日大で38勝の阪口監督
  • 9位には攻めだるまの異名をとった池田高校の蔦監督と日大三高現監督の小倉監督が37勝でタイ

となっています。大阪桐蔭西谷監督はまだ49歳と今後も勝利数を積み上げるでしょう。2020年の選抜も出場が濃厚です。一気に2位中村監督の58勝を上回るのか非常に見ものです。

同じく2020年の選抜出場を当確としている明徳義塾の馬淵監督が単独4位に躍り出るのか?にも話題が集まるでしょう。帝京の前田監督も久しく甲子園から遠ざかっていますが、2019年秋は東京大会決勝で敗戦したため選抜は微妙ではありますが、もし出場となれば通算勝利数を積み上げたいところです。

8位阪口監督、9位小倉監督もまだ現役です。2020年の選抜出場は絶望的ですが、夏に向けてチームを鍛え上げれば夏には通算勝利数に上積みできるかもしれません。

名将のチーム作りや甲子園でのノックや采配、ベンチでの所作を見られるのも甲子園観戦の楽しみの一つです。名将に会いに甲子園に足を運びたくなりますね!

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