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プロ野球12球団のチーム名変更の変遷。身売り、移転の歴史とは?

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現在日本プロ野球には12球団が存在しますが、12球団全てがプロ野球設立当初から存在していたわけではありません。球団によっては発足以降、身売りによる合併などで消滅した球団や移転により球団名が変更した球団もあります。

かつて鉄道会社、映画会社が球団を保有していた時代から最近ではIT系企業まで球団の親会社の業種は様々な変遷を経てきました。さらにわずか1年で球団名、親会社が変わってしまうなど当時の時代背景を反映した出来事もありました。

12球団の発足から前身となる球団名の変遷とそこにはどんな事情があったのか?まとめてみました。早速見ていきましょう!

12球団球団名の変遷

現在の日本プロ野球の球団名は、身売りによる親会社の変更や移転によりいくつかの球団は球団名が変更されて今に至ります。12球団の球団名がどのような変遷を経たのか見てみましょう。

読売ジャイアンツ

球団名
1934年大日本東京野球倶楽部
1936年東京巨人軍
1947年読売ジャイアンツ

1934年に設立された大日本東京野球倶楽部は、プロ野球リーグが発足する前はアメリカ遠征や日本各地を転戦していました。アメリカ遠征時にトーキョージャイアンツと名乗っていたことから、ジャイアンツを日本語訳した東京巨人軍を正式名称として出発します。

1947年には読売新聞社が球団経営に乗り出したことから、正式社名は読売興業を経て読売巨人軍となり、球団名を読売ジャイアンツとして現在に至ります。さすが日本国内最古の球団として改称もこの1回しかありません。

阪神タイガース

球団名
1935年大阪タイガース
1940年阪神軍
1946年大阪タイガース
1961年阪神タイガース

1934年に設立された大日本東京野球倶楽部に次いで、1935年に大阪野球倶楽部、球団名大阪タイガースとして国内2番目の球団が設立されました。甲子園球場を所有していた阪神電鉄が親会社となります。1940年には、第二次大戦の戦況悪化により英語使用を自粛して阪神軍と改称しました。

しかし戦後の1946年3月には再び大阪タイガースに名称を戻すこととし、しばらくは大阪タイガースの時代が続きます。ところが1961年プロ野球のフランチャイズ制度の導入により、タイガースはホームグラウンドの甲子園球場がある兵庫県が本拠地となったため、大阪から阪神へと改称、阪神タイガースとして現在に至ります。

中日ドラゴンズ

球団名
1936年名古屋軍
1944年産業軍
1946年中部日本
1947年中部日本ドラゴンズ
1948年中日ドラゴンズ
1951年名古屋ドラゴンズ
1954年中日ドラゴンズ

東京、大阪に次ぐ大都市として巨人、阪神に続いて1936年名古屋に設立された3番目の球団が、名古屋軍です。当初は現在の親会社中日新聞社の前身新愛知新聞社が親会社でしたが、球団経営見直しの一環もあり1944年には一時的に理研工業の傘下となり球団名を産業軍と改称します。

しかし新愛知新聞社と名古屋金鯱軍の親会社名古屋新聞社の合併によって誕生した中部日本新聞社が戦後すぐの1946年に経営に復帰、球団名を中部日本としました。翌年の1947年には球団名を中部日本ドラゴンズ、1948年には中日ドラゴンズへ改称します。

1951年には名古屋鉄道が球団経営に参画、球団名は名古屋ドラゴンズとなりますが、1954年に名古屋鉄道が経営から撤退し中日ドラゴンズへ球団名を戻し現在に至ります。

オリックスバファローズ

球団名
1936年阪急軍
1947年阪急ブレーブス
1988年オリックス・ブレーブス
1991年オリックス・ブルーウェーブ
2005年オリックス・バファローズ

日本プロ野球4番目の球団が、阪急電鉄を親会社として1936年に設立された阪急軍です。1947年に阪急ブレーブスに改称されて以降は、40年以上同じ球団名で存在し続けました。

しかし1988年シーズン終了後に球団が阪急電鉄からオリックスに譲渡され、球団名はオリックス・ブレーブスへと改称されます。さらに2年後には球団名が公募され1991年オリックス・ブルーウェーブへへ変更されました。

さらにブルーウェーブの名称が定着していた2004年にはプロ野球再編問題にまで発展したオリックスと近鉄の合併により近鉄バファローズが消滅、後継球団はオリックスに引き継がれますが、バファローズの名称を残したオリックス・バファローズが誕生、現在に至ります。

福岡ソフトバンクホークス

球団名
1938年南海軍
1944年近畿日本軍
1946年近畿日本グレートリング
1947年南海ホークス
1988年福岡ダイエーホークス
2005年福岡ソフトバンクホークス

1938年南海鉄道を親会社とする南海軍が発足しますが、戦時中の1944年には親会社の南海鉄道が関西急行電鉄と合併し近畿日本鉄道となったため球団名は近畿日本軍に変更されます。

戦後の1946年には近畿日本グレートリングへ改称しますが、翌1947年には旧南海鉄道の事業が近畿日本鉄道から南海電気鉄道へ譲渡されたことにより、球団名も何回ホークスへと改称されました。

南海ホークスは以降40年以上改称されることなく継続しましたが、1988年シーズン終了後球団がダイエーに売却されることとなり、本拠地も福岡へ移転、球団名は福岡ダイエーホークスへと改められました。

福岡ダイエーホークスとして福岡に定着、リーグ優勝するまでチーム力も向上してきた2005年プロ野球再編問題で揺れる中、ソフトバンクへ売却されることとなり、新球団名も福岡ソフトバンクホークスとして現在に至ります。

北海道日本ハムファイターズ

球団名
1945年セネタース
1947年東急フライヤーズ
1948年急映フライヤーズ
1949年東急フライヤーズ
1954年東映フライヤーズ
1973年日拓ホームフライヤーズ
1974年日本ハムファイターズ
2004年北海道日本ハムファイターズ

横沢三郎氏個人で立ち上げた球団セネタースとして1945年に設立し日本野球連盟に加盟しましたが、経営難のため東京急行電鉄(東急)に球団を売却、東急フライヤーズとして再出発しました。

しかし球団経営は依然赤字のため、翌1948年には映画会社大映が経営する大映野球が経営に参画し企業名を東急大映野球、球団名も急映フライヤーズと改称しますが、別の球団金星スターズを買収することとなった大映は1年で手を引き、1949年には投球フライヤーズへ名称を戻しました。

その5年後には映画会社の東映に球団運営を委託し、球団名を東映フライヤーズとします。その後19年間東映フライヤーズとして球団名も定着しますが、1973年に不動産会社日拓ホームへ球団が売却され、球団名は日拓ホームフライヤーズへ改称されました。

結局、日拓ホームは1リーグ化をにらんでロッテとの合併を画策するも破談、わずか1年で球団を手放すことになり日本ハムへ球団を売却しました。球団名は公募により日本ハムファイターズに変更されます。

以降、日本ハムが球団を保有しますが、2004年に北海道へ移転、新球場札幌ドームを本拠地とし球団運営会社、球団名は北海道日本ハムファイターズへ変更され現在に至ります。

埼玉西武ライオンズ

球団名
1949年西鉄クリッパース
1951年西鉄ライオンズ
1973年太平洋クラブ・ライオンズ
1977年クラウンライター・ライオンズ
1979年西武ライオンズ
2008年埼玉西武ライオンズ

球団設立当初の親会社西日本鉄道は1943年に大洋軍を譲り受け西鉄軍として球団経営に携わっていましたが、同年に解散。その後1946年にノンプロ、いわゆる社会人野球のチームを立ち上げ、1949年にはプロ野球チームとして復帰を目指しますが、日本野球連盟から却下されてしまいます。

しかしその後の2リーグ分立に絡み、西鉄クリッパーズとしてパリーグへの加盟が認められ新球団として出発しました。一方、福岡には地元の西日本新聞社が経営する西日本パイレーツも存在していましたが、経営難のパイレーツを吸収合併する形で1951年に西鉄ライオンズが誕生します。

以降、西鉄ライオンズとして定着しますが、経営悪化によりゴルフ場開発会社の太平洋クラブと提携、球団名を太平洋クラブライオンズに変更します。1977年にはガスライターのメーカークラウンガスライターと提携して、球団名をクラウンライターライオンズへ改称されます。

1977年には西武鉄道グループの国土計画が球団を買収、本拠地も埼玉県所沢市へ移転して西武ライオンズとして新たな歴史を刻んでいきます。2008年には球団名に埼玉という地名を入れた埼玉西武ライオンズへと改称し現在に至ります。

千葉ロッテマリーンズ

球団名
1949年毎日オリオンズ
1957年毎日大英オリオンズ
1964年東京オリオンズ
1969年ロッテ・オリオンズ
1991年千葉ロッテマリーンズ

千葉ロッテマリーンズの前身は、1949年に毎日新聞社が親会社として設立された毎日オリオンズです。しかし当時は巨人、中日の親会社である読売新聞社、中部日本新聞社が同業である毎日新聞社のプロ野球参画に反発します。

この結果、毎日オリオンズの加盟に賛成した阪急、南海、東急、大映、西鉄、近鉄の電鉄系球団を中心とした7球団による太平洋野球連盟(パシフィックリーグ)と加盟反対派の読売、大阪、中日、松竹、大洋、広島、西日本、国鉄の8球団によるセントラル野球連盟の2リーグが分立されることとなりました。

その後1957年には、大映ユニオンズとの合併により毎日新聞社と大映の共同経営として毎日大英オリオンズへと改称、通称大毎オリオンズとして再出発します。しかし1964年には毎日新聞社への承諾なく球団名を東京オリオンズへと改称すると、不快感を表した毎日新聞社は球団経営から手を引いてしまいます。

1969年にはロッテをスポンサーとして球団名をロッテオリオンズへ改称、しかしこの時点では正式な買収ではありませんでしたが、1971年にロッテが正式に親会社として球団経営に乗り出しました。

しばらくはロッテオリオンズとして活動しますが、1991年に千葉マリンスタジアムへ本拠地を移転、正式名称も千葉ロッテマリーンズへと変更され、現在に至ります。

広島東洋カープ

球団名
1949年広島カープ
1968年広島東洋カープ

広島東洋カープは、ほかの11球団とは異なり親会社を持たない球団として発足しました。元々は野球熱の高い土地柄に被爆後の健全な娯楽をもたらすことを目的に設立されます。

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この結果、株式会社広島野球倶楽部、球団名広島カープが1949年に誕生しますが、設立当初から資金難、経営難に陥り、カープ後援会や一般市民からのたる募金による資金援助を受けて何とか球団を存続させます。

しかし経営難から一向に立ち直れないまま1955年に株式会社広島野球倶楽部は倒産、東洋工業(現マツダ)、広島電鉄、中国新聞社など地元財界による出資により株式会社広島カープを発足させて球団は再出発します。

いよいよ1968年に東洋工業社長の松田恒次が筆頭株主となってオーナーに就任、東洋工業がメインスポンサーとなり広島東洋カープに球団名が変更されます。以降も松田家が主要株主、マツダも出資しますが、特定の親会社を持たない球団として現在に至っています。

東京ヤクルトスワローズ

球団名
1950年国鉄スワローズ
1965年サンケイスワローズ
1966年サンケイアトムズ
1969年アトムズ
1970年ヤクルトアトムズ
1973年ヤクルトスワローズ
2006年東京ヤクルトスワローズ

東京ヤクルトスワローズの前身の球団は、現在のJRとして民営化される前の国鉄により経営されていました。しかし日本国有鉄道法により国営である国鉄が球団の親会社になることはできなかったため、国鉄の外郭団体による出資によって国鉄スワローズが1950年に発足しました。

しばらくは国鉄スワローズとして存続しますが、公共企業国鉄の球団である性格上、緊縮財政を強いられ1962年には産経新聞社、フジテレビのフジサンケイグループと業務提携し、経営主体もフジサンケイグループへと移ります。

そしていよいよ1965年には国鉄が球団を産経新聞社、フジテレビに譲渡することとなり、球団名をサンケイスワローズとして再出発します。さらに翌年には少年野球ファンを開拓するために人気アニメ鉄腕アトムから球団名をサンケイアトムズへ改称します。

同時にヤクルトが球団運営に参加し、1969年にはヤクルト、サンケイグループの共同経営として球団名をアトムズに変更します。さらに翌年1970年にヤクルトが単独で経営することとなり球団名はヤクルトアトムズへ改称されます。

1973年には鉄腕アトムのキャラクター使用を中止し、ヤクルトスワローズへと球団名を変更、国鉄時代のスワローズを使用することとなりました。2006年には球団名を東京ヤクルトスワローズとして球団名を変更し、現在に至ります。

横浜DeNAベイスターズ

球団名
1949年大洋ホエールズ
1953年大洋松竹ロビンズ
1955年大洋ホエールズ
1978年横浜大洋ホエールズ
1993年横浜ベイスターズ
2012年横浜DeNAベイスターズ

横浜DeNAベイスターズの前身は大洋ホエールズで、1949年に現在のマルハニチロである大洋漁業がプロ球団を設立しました。当時は山口県下関市を本拠地としてスタートしています。

1953年には松竹ロビンスと対等合併し、球団名は大洋松竹ロビンスへ変更しますが、翌1954年には松竹が球団経営から撤退し、球団名を大洋ホエールズに戻しました。この時に本拠地も下関市から神奈川県川崎市へ移転します。

1978年には川崎から横浜へ移転し、横浜大洋ホエールズへと改称します。これに先立ち国土計画の出資を受け入れ大洋漁業と国土計画の共同経営となりましたが、結局国土計画は同年に西鉄を買収して西武ラインズを保有することとなり、大洋ホエールズの経営から手を引きます。

この結果、国土計画の保有株式は日本放送、TBSに譲渡され大洋、ニッポン放送、東京放送(TBS)による共同経営となりました。1993年には大洋漁業がマルハに改称したことに伴い、球団名も横浜ベイスターズへと変更します。

2002年親会社がマルハから東京放送ホールディングスへ変更されますが、2012年には東京放送ホールディングスが球団株式をIT企業のDeNAへ売却、親会社はDeNAとなり球団名も横浜DeNAベイスターズとして現在に至ります。

東北楽天ゴールデンイーグルス

球団名
2004年東北楽天ゴールデンイーグルス

2004年オリックスと近鉄の合併問題に端を発したプロ野球再編問題で、ライブドアとの競合の末に楽天が日本プロ野球に50年ぶりの新規参入をすることが決定されました。

新球団は東北楽天ゴールデンイーグルスとしてスタート、本拠地は仙台の宮城球場として東北の地に初めてプロ野球団が誕生しました。所属選手は、オリックス、近鉄の合併による「オリックス・バファローズ」との分配ドラフトによる40選手が楽天に移籍することとなります。

球団設立1年目の2005年シーズンは38勝97敗1分けとシーズン100敗は免れたものの勝率.281と3割を切るほどでしたが、その後チーム力も向上、2013年にはパリーグ制覇、日本シリーズでもジャイアンツを4勝3敗で下し初の日本一にまで輝きました。

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まとめ

日本プロ野球12球団の球団発足から現在に至るまでの球団名の変遷の歴史を球団ごとに見てきました。

  • 1936年プロ野球発足当初から存在する球団は巨人、阪神、中日、オリックス(当初阪急軍)
  • 1938年にはソフトバンク(当初南海軍)、1945年には日本ハム(当初セネタース)が設立
  • 1950年の2リーグ分立に絡み1949~50年に埼玉西武(当初西鉄クリッパーズ)、千葉ロッテ(当初毎日オリオンズ)、広島、東京ヤクルト(当初国鉄スワローズ)、横浜DeNA(当初大洋ホエールズ)がそれぞれ設立
  • 2004年に新規球団東北楽天ゴールデンイーグルスが12番目の球団として設立

球団発足以降は多くの新聞社、鉄道会社、映画会社が球団を保有してきましたが、現在では新聞社は読売、中日、鉄道会社は阪神、西武の各2社、映画会社は0社となっています。

これら以外には大洋漁業、ヤクルト、ロッテ、日本ハムといった食品会社や日拓ホーム、太平洋クラブといった不動産会社が保有する時代もありましたが、現在はヤクルト、ロッテ、日本ハムのみとなっています。

そして現在ではIT系のソフトバンク、DeNA、楽天といった企業が球団を保有し、その時々の経済情勢や時代背景を反映しています。東北楽天が新規球団として設立されてから10年以上が経過しましたが、この先球団の身売り、移転あるいは球団名の変更があるのか?興味深いですね。

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