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ソフトバンク柳田悠岐の身長、血液型、経歴は?驚きの年俸推移とは?

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「ギータ」の愛称で福岡ソフトバンクホークスファンのみならず、プロ野球ファンにも親しまれている柳田悠岐選手。日本プロ野球史上初のトリプルスリーと首位打者を同時に獲得したスタープレーヤーです。

プロ入り前はそこまで有名ではなかったものの、プロ入り後はめきめきと頭角を現し、日本プロ野球界を代表する選手にまで上り詰めました。柳田悠岐選手とはどんな選手なのか?身長、血液型から出身校や通算成績などの経歴、日本人のプロ野球選手年俸ランキング2位に至るまでの年俸推移など紹介します!

柳田悠岐選手のプロフィール

福岡ソフトバンクホークス柳田悠岐選手は、2010年にドラフト2位で福岡ソフトバンクホークスから指名、外野手として入団しました。プロフィールについて見ていきましょう。

名前柳田 悠岐(やなぎた ゆうき)
誕生日1988年(昭和63年)10月9日
投打・ポジション右投左打外野手
出身広島県広島市
出身校広島商業高校-広島経済大学
身長・体重188㎝、96㎏
血液型AB型
ドラフト年、順位2010年2位

柳田悠岐選手は小学校3年生の時に野球を始めましたが、当時は右打ち、6年生の時に左打者に転向します。

広島市立伴中学校時代は八幡少年野球クラブシニアの軟式少年野球チームに所属していました。高校は全国区の名門広島商業高校に入学しますが、春夏ともに甲子園へ出場することはできませんでした。

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高校時代は通算11本塁打と目立った成績ではありませんでしたが、高校卒業後に広島経済大学に進学し、1年生からレギュラーで活躍します。1年秋には広島六大学野球リーグの首位打者、ベストナインを獲得。

2年以降は首位打者、ベストナイン、大学選手権出場などの実績を積み上げ、大学通算では82試合で打率.428、8本塁打、60打点の成績を残しました。2010年のドラフト会議では福岡ソフトバンクホークスから2巡目指名を受けて入団します。

柳田悠岐選手の通算成績

2011年に入団し1年目から1軍出場しています。2020年までの通算10年間の成績を見ていきましょう。

年度試合打席打数安打打点本塁打打率盗塁
2011655000.0000
20126821219548185.2466
2013104337298884111.29510
20141446155241667015.31733
20151386055021829934.36332
20161205364281317318.30623
20171305514481399931.31014
201813055047516710236.35221
20193815712837237.2894
20201195154271468629.3427
通算997408334301104611186.322150

入団1年目の2011年は6試合に出場して無安打、2年目の2012年は68試合の出場ながらも打率.246と1、2年目は目立った成績を残すことができませんでした。

しかし3年目の2013年に1軍に定着、入団以来初めての二桁本塁打、二桁盗塁を記録するなど頭角を現し始めます。2014年にはオールスターにも初選出、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞しました。

そして5年目の2015年にブレークを果たします。打率.363で初の首位打者を獲得すると同時に34本塁打、32盗塁と、打率3割、本塁打30本、盗塁30個以上を記録するトリプルスリーも達成、首位打者との同時達成は日本プロ野球初の快挙、MVPも受賞しました。

この2015年はヤクルトの山田哲人選手もトリプルスリーを達成、同年に複数人が達成するのは65年ぶりで、トリプルスリーという言葉が2015年の新語流行語大賞の年間大賞に選ばれるほどでした。

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2016年は、打率.306、18本塁打、23盗塁と打率3割は維持したものの、前年の成績を下回ってしまいます。しかし2017年は盗塁数は減ったものの打率.310、31本塁打、99打点と前年の成績を上回ります。

さらにこの年は、チームの2年ぶりの日本一に貢献、3度目のゴールデングラブ、2度目のベストナインを獲得し球界を代表する選手として存在感を大いに示すこととなりました。

2018年は打率.352で2度目の首位打者と36本塁打、102打点のキャリアハイの成績をおさめます。オールスターのファン投票でも3年連続の両リーグ最多得票、クライマックスシリーズのMVP、そしてゴールデングラブ、ベストナインを受賞、もはや球界の顔といえるほどの活躍ぶりでした。

2019年は一転、左足のケガで試合出場が激減しました。最終的に38試合の出場にとどまりましたが、オールスターにはファン投票で選出されるなどプロ野球界になくてはならない存在となっています。

コロナ禍により120試合に短縮された2020年は119試合に出場、主要3部門では打率.342はリーグ2位、本塁打29本、打点86はリーグ3位とタイトル獲得はなりませんでしたが、146安打、90得点はリーグ1位の成績でチーム3年ぶりのリーグ優勝に貢献、パリーグのMVPも受賞しました。

また1年程度の延期が決定された東京五輪でも日本代表として選出される可能性もあります。日本のメダルは柳田選手にかかっていると言っても過言ではないでしょう。

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柳田悠岐選手の生涯年俸、年俸推移

柳田選手は2011年に契約金7,000万円、年俸1,200万円で入団契約しました。2020年までの10年間の生涯年俸、年俸推移を見てみましょう。

年度年俸(推定)
20111,200万円
20121,200万円
20131,800万円
20143,200万円
20159,000万円
20162億7,000万円
20172億6,000万円
20185億5,000万円
20195億7,000万円
20205億7,000万円
20216億1,000万円
通算29億4,400万円

6試合の出場にとどまった2011年の翌年は現状維持の1,200万円でしたが、以降は順調に年俸額を伸ばしていきます。成績を落とした2016年の翌年年俸は1,000万円減の2億6,000万円となりましたが、チーム日本一に貢献した2017年の翌年には5億円を突破します。

2018年からは5億5,000万円プラス出来高の3年契約を結び、日本人選手ランキング2位、野手では1位というトッププレーヤーとなりました。ただし3年契約の3年目となる2020年以降は新たに7年契約を結びなおしました。

これにより2020年は5億7,000万円プラス出来高の現状維持、最初の4年は同じ条件となりますが、残り3年は契約を見直す契約となります。2021年は6億1,000万円の4,000万円増、2002年の松井秀喜選手と並ぶ日本人野手の最高年俸となりました。

7年契約により柳田選手本人は生涯ホークスを宣言、メジャー挑戦は現時点では頭にはないようです。

まとめ

福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手は、今やホークスのみならず日本を代表するスタープレーヤーとなりました。2011年に入団後、順調に成長しトリプルスリーと首位打者を同時に獲得するなど日本球界に欠かせない存在となっています。

2020年は4年連続日本一、パリーグ優勝に大きく貢献、2015年以来となる自身2度目のMVPも受賞しました。

そんな柳田選手の身長や血液型、通算成績や年俸推移などの経歴を紹介してきました。首位打者2回、ゴールデングラブ賞、ベストナインがともに5回、そしてシーズンMVP2回という輝かしい実績で年俸額も日本人野手最高額の6億1,000万円まで上り詰めました。

延期が決まった2021年東京五輪の代表選出の可能性もまだまだあります。2020年から7年契約を結びなおしたことでメジャー挑戦は封印されたようですが、東京五輪での活躍にも期待したいところです!

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