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高校野球甲子園のノーヒットノーラン歴代記録!完全試合との違いとは?

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野球において投手の最高峰の記録である完全試合とノーヒットノーラン。投手は初回から完全試合を目指してマウンドに臨み、出塁を許せば次はノーヒットノーラン、ヒットを許せば次は完封、得点を許せば次は完投を目指して投げると言われます。

12球団が年間143試合を戦い年間トータルで800試合以上開催されるプロ野球でもノーヒットノーランの達成者は2~3年に1回、多い時では1年に数回達成されることもありますが80年以上の歴史において歴代延べ92人しかいません。

まして高校野球の甲子園大会となると、春90回、夏100回を超える歴史がありながらも歴代の記録達成者も多くはありません。さらい金属バットが使用されるようになった昭和49年以降はそれまでの木製バットの時代に比べて明らかに記録達成者は減っています。

それではノーヒットノーランと完全試合の違いは何でしょうか?甲子園大会での歴代の記録達成者を見ながら、その記録の偉大さ、最高峰の記録と言われるゆえんについて解説したいと思います!

ノーヒットノーランと完全試合の違い

完全試合とは?

まず完全試合とは、完全と言われるだけあって「投手が相手チームの走者を一人も出さないで勝利すること」が条件となります。別名パーフェクトゲームともよばれます。地方大会でのコールドゲームや延長戦の末引き分けの場合は参考記録となり、公式記録とはなりません。

また達成する投手は通常一人で最後まで投げ切りますので、完全試合達成投手は一人となります。2007年のプロ野球日本シリーズの中日対日本ハム戦で中日の山井投手が8回、救援の岩瀬投手が1回を継投して達成した記録もありますが、プロ野球ではこの1例のみで参考記録となっています。

一人もランナーを出していない投手をそもそも変える理由はなく、まして試合終盤となれば完全試合という記録がかかるので継投しないのが普通です。この日本シリーズの例は、短期決戦で日本一がかかった試合であること、山井投手が指の血豆をつぶしていたことからやむなく継投したというレアケースです。

一人もランナーを出さないということですから、エラーや四死球、振り逃げや捕手の打撃妨害などによる出塁を一切許さないことになります。このため試合終盤になると投手もおろかバックで守る野手もエラーが許されない状況となるためかなりのプレッシャーがかかると言われます。

ちなみにファウルフライを落球した場合エラーが記録されますが、出塁はされないため完全試合として認められています。1試合9回27の打者を全てアウトにするというのは、至難の業であることは想像できます。

ノーヒットノーランとは?

それではノーヒットノーランの条件とはどんなものでしょうか?別名無安打無得点試合と言われるように、投手が「相手チームの安打、得点を一つも許さないで勝利すること」になります。ランとは英語で得点のことを指すため無得点のことをノーランともよびます。

完全試合と異なり、エラーや四死球、振り逃げや捕手による打撃妨害などヒットでなければノーヒットとなります。逆にノーヒットでも失点があれば記録達成とはなりません。完全試合同様にコールドゲームや引き分けでの達成は参考記録となります。

完全試合に比べて達成はし易いほうですが、それでも最低9回を1安打も許さないというのも至難の業です。ポテンヒットや内野安打すら許されないわけですから、エラーによる出塁は許されてもバックの野手の堅い守りも必要となります。

継投による記録は完全試合と同様にチームによる記録となりますが、こちらも通常ヒットを打たれていない投手を変えることはないので一人の投手による達成記録が通常です。またヒット以外に走者を一人のみ許した場合準完全試合と呼ばれることもありますが、これもノーヒットノーランに該当します。

それでは長い歴史を誇る高校野球の甲子園大会での完全試合、歴代のノーヒットノーランの達成者は何人いるのでしょうか?見ていきましょう!

高校野球甲子園での完全試合、ノーヒットノーラン達成者

春90回、夏100回を超える甲子園大会でも完全試合、ノーヒットノーランを達成した選手はそう多くはありません。春の選抜大会、夏の選手権大会でのそれぞれの記録達成者を見てい見ましょう。

完全試合達成者(選抜のみ)

歴代の甲子園での完全試合達成者は、春の選抜では2名いますが、夏の選手権はまだ一人もいません。

回戦投手高校スコア相手校
1978第50回1回戦松本稔前橋1-0比叡山
1994第66回1回戦中野貴博金沢3-0江の川

甲子園大会の長い歴史で夏は0人、春でもたったの2人です。達成した両投手は奪三振も松本投手が5、中野投手が6とほとんどが打たせて取ったアウトです。バックの堅い守りがあってこそ達成された記録です。

ちなみに両投手とも続く2回戦で敗退しています。松本投手は筑波大学進学後、硬式高校野球部の監督などを歴任、中野投手は青山学院大学、社会人の東芝と野球を続けますが両投手ともプロ野球の世界には進みませんでした。

プロ野球ならまだしも「ノーエラー」というところもハードルを上げています。高校野球では無失策試合もそんなに頻繁にあるわけではありません。さらに四死球すら許されないので完全試合という記録がいかに難しいかがわかります。

なお、1982年の第64回夏の選手権大会1回戦では、佐賀商業の新谷博投手が青森木造高校を相手に9回2死まで完全試合、最後のバッターにデッドボールを与えて夏の大会史上初の完全試合を逃しています。後続の打者をおさえてノーヒットノーランは達成しましたが、ノーヒットノーランがかすんでしまう試合でした。

また1988年第60回選抜大会では、中京高校(現中京大中京)の木村龍治投手が山口宇部商業を相手に9回1死まで1-0とパーフェクトピッチングも続く打者にライト前ヒットを打たれ完全試合を絶たれました。さらに送りバントで2死2塁とされてから逆転2点本塁打を浴びて1-2で敗戦という天国から地獄という試合もありました。

この先完全試合を達成する投手は現れるのでしょうか?超高校級と言われる投手でも達成していない記録ですので達成は困難極まりないですが、飛ばないバットが導入されればひょっとして達成者が現れるのかもしれません。

関連記事:2020年センバツ高校野球から球数制限と飛ばないバットの検討へ!高校野球はどう変わる?

春の選抜大会でのノーヒットノーラン達成者

投高打低と言われる選抜大会ですが、先の完全試合達成の2人以外でのノーヒットノーラン達成者は10人しかいません。

回戦投手学校スコア相手校四死球奪三振
1931第8回2回戦灰山元治広島商4-0坂出商39
1933第10回1回戦河合信雄一宮中3-0松山商313
1933第10回1回戦森田俊男海草中3-0桐生中99
1938第15回準々決勝野口二郎中京商4-0海草中213
1951第23回1回戦野武貞次鳴尾5-0静岡城内35
1955第27回準々決勝今泉喜一郎桐生12-0明星57
1967第39回2回戦野上俊夫市和歌商5-0三重49
1976第48回1回戦戸田秀明鉾田一1-0糸魚川商工710
1991第63回1回戦和田友貴彦大阪桐蔭10-0仙台育英19
2004第76回1回戦ダルビッシュ有東北2-0熊本工212

金属バット導入後の達成者は、戸田投手、和田投手、ダルビッシュ投手の3人で他の7人は木製バット時代の達成です。ほとんどは1回戦ないし2回戦での達成ですが、準々決勝での達成も2名、準決勝、決勝での達成はありません。

森田投手、戸田投手は四死球がそれぞれ9個、7個とやや多く走者も頻繁に出ているのでノーヒットノーランを達成した感覚は投げている本人も観ている側もあまりなかったかもしれないですね。今泉投手、和田投手は二桁得点で緊張をよく切らさずに達成できたと思います。

夏の選手権大会でのノーヒットノーラン達成者

選抜は投高打低と述べましたが、打高投低と言われる夏の大会の方が達成者が多く23回(22人)と選抜の倍以上の達成者がいます。単純に春の選抜大会より夏の選手権大会の方が1大会当たりの試合数が多く大会数も10回多いことも影響していることもありますが、やや意外といった感じです。

回戦投手学校スコア相手校四死球奪三振
1916第2回準々決勝松本終吉市岡中8-0一関中38
1927第13回2回戦八十川胖広陵中8-0敦賀商47
1928第14回準決勝伊藤次郎平安中6-0北海中512
1932第18回1回戦楠本保明石中4-0北海中115
1932第18回2回戦水沢清長野商6-0遠野中45
1932第18回準々決勝岡本敏夫熊本工3-0石川師範57
1933第19回1回戦吉田正男中京商11-0善隣商114
1934第20回2回戦長谷川治海南中5-0神戸一中17
1936第22回2回戦小林悟楼和歌山商10-0福井商52
1938第24回1回戦浦野隆夫大分商4-0台北一中12
1939第25回準決勝嶋清一海草中8-0島田商417
1939第25回決勝嶋清一海草中5-0下関商28
1951第33回準決勝服部茂次熊谷4-0県和歌商14
1957第39回1回戦清沢忠彦県岐阜商7-0津島商工210
1957第39回2回戦王貞治早稲田実1-0寝屋川48
1958第40回2回戦森光正吉高知商5-0松坂商35
1969第51回1回戦降旗英行松商学園14-0三笠33
1973第55回3回戦有田二三男北陽1-0高鍋29
1981第63回2回戦工藤公康名古屋電気4-0長崎西116
1982第64回1回戦新谷博佐賀商7-0木造18
1987第69回2回戦芝草宇宙帝京3-0東北83
1998第80回1回戦杉内俊哉鹿児島実4-0八戸工大一116
1998第80回決勝松坂大輔横浜3-0京都成章311

23回のうち12回が戦前の第25回までに達成されています。同じく選抜の場合は戦前までが4回ですので夏が圧倒的に多いです。また1974年の金属バット導入以降では、工藤投手以降5人しか達成していません。

やはり特筆すべきは、第25回の嶋投手が準決勝、決勝と2試合連続、しかも対戦相手が強くなる準決勝、決勝での達成と、第39回の王投手は延長11回をノーヒットノーランに抑えており延長戦での唯一の記録です。

決勝戦での達成はこの嶋投手と第80回の松坂投手のみです。準決勝での達成も嶋投手と伊藤投手、服部投手の3名と夏の暑い大会で体力の消耗度が激しい中で大会終盤での達成もすごいことだと思います。

芝草投手は8四死球での達成で達成時には喜びの表情よりも照れくささがあったように記憶しています。また新谷投手は先に述べたように完全試合を最後に逃しての達成だったので喜びの表情はあまりなかったのが印象的でした。

1大会に複数投手が達成したケースは、第18回の3投手、第39回、第80回の2投手がありますが、一人で複数回達成は第25回の嶋投手のみです。同一校からの複数達成者はありませんが、参考記録ながら第19回の明石中は楠本、中田投手の継投で達成していますので明石中としては第18回に続いて2回達成しています。

第80回大会から20年以上達成者が出ていませんが、過去に20年以上記録が出ていないことはありません。やはり金属バットの影響や猛暑や連投による投手の体力消耗度が強いことが理由としてあるのでしょうか?この先、記録達成者がいつ現れるのか非常に興味深いですね。

まとめ

ノーヒットノーランと完全試合は投手の最高峰の記録であり、その難易度は高校野球の甲子園大会での歴代記録を見ればわかりやすいでしょう。ノーヒットノーランと完全試合の違いは、

  • 完全試合とは「投手が相手チームの走者を一人も出さないで勝利すること」
  • ノーヒットノーランとは「相手チームの安打、得点を一つも許さないで勝利すること」

と定義され、ヒットも含めて一人の走者を出すことも許されない完全試合はかなり達成困難な記録です。同じようにノーヒットノーランも困難ですが、四死球、エラーなどのヒット以外の走者は許される分だけ完全試合より達成はしやすいです。

甲子園大会の歴代達成者は

  • 完全試合は春の選抜大会で2名いるのみ、夏の選手権での達成者はいない
  • ノーヒットノーランは、春の選抜大会は10人、夏の選手権大会は22人と夏の大会の方が多い
  • 金属バット導入以降は、春の選抜は3人、夏の選手権は5人と達成しづらくなっている

といった点からもこれらの記録がいかに困難で偉大かがわかるかと思います。

今後の甲子園大会で達成者が現れるのか?今後の高校野球も非常に興味深く見守りたいと思います。

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