都道府県別の優勝回数では、春夏合計13回で大阪26回、愛知19回、神奈川15回、兵庫の13回に次いで5位です。6位には東京、広島が12回で肩を並べています。春の選抜5回は5位タイ、夏の選手権8回は2位タイを誇ります。それでは春と夏の歴代優勝校を見ていきましょう。
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年 | 回 | 学校 |
1927年(昭和2年) | 第4回 | 和歌山中(現桐蔭高校) |
1970年(昭和45年) | 第42回 | 箕島 |
1977年(昭和52年) | 第49回 | 箕島 |
1979年(昭和54年) | 第51回 | 箕島 |
1994年(平成6年) | 第66回 | 智辯和歌山 |
選抜の和歌山県勢初優勝は1927年の第4回大会と早く、すでに始まっていた夏の選手権でも連覇を達成している和歌山中(現桐蔭)が選抜初優勝を飾りました。この時点で和歌山中は夏の選手権で19勝をあげていましたが、選抜は過去3回大会で1勝3敗。選抜では分が悪かったのですが、この初優勝の翌年にも準優勝し強豪校としての面目を保ちました。
しかし和歌山県勢の選抜の優勝はこの和歌山中の優勝から実に43年経った1970年第42回大会の箕島まで遠ざかりました。箕島は1968年第40回大会の選抜に初出場でベスト4、2回目の出場となる42回大会で優勝を果たしました。
箕島はこの7年後の1977年第49回大会で2回目の優勝を飾るとその2年後の1979年第51回大会で3回目の優勝を達成、1979年には夏の選手権も制して史上3校目の春夏連覇も達成しています。箕島は初優勝から9年間で3回の優勝と一気に黄金時代を築きました。
昭和から平成に移ると和歌山県の勢力図は箕島から智辯和歌山の時代に変わります。智辯和歌山は1985年第57回大会の選抜に初出場するもその後1992年第74回大会の夏の選手権まで春と夏の5大会連続で初戦敗退が続きました。
1993年第75回大会の夏の選手権で甲子園初勝利を含む2勝をあげると1994年第66回大会の選抜で初優勝を果たしました。この時は、横浜、宇和島東、PL学園、常総学院といった並み居る強豪校を下して和歌山県勢15年ぶりの選抜制覇でした。
意外なことに194年以降和歌山県勢の優勝はありませんが、智辯和歌山は1996年、2000年、2018年と選抜では準優勝3回と存在感を示しています。平成はまさに智辯和歌山の時代となりました。
年 | 回 | 学校 |
1921年(大正10年) | 第7回 | 和歌山中(現桐蔭高校) |
1922年(大正11年) | 第8回 | 和歌山中 |
1939年(昭和14年) | 第25回 | 海草中(現向陽高校) |
1940年(昭和15年) | 第26回 | 海草中 |
1979年(昭和54年) | 第61回 | 箕島 |
1997年(平成9年) | 第79回 | 智辯和歌山 |
2000年(平成12年) | 第82回 | 智辯和歌山 |
2021年(令和3年) | 第103回 | 智辯和歌山 |
夏の甲子園制覇も和歌山県勢は1921年の第7回大会に早々と和歌山中(現桐蔭)が初優勝を飾ります。甲子園大会の草創期では兵庫県同様に県勢の初優勝は県内有数の進学校が果たしたものでした。
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さらに和歌山中は翌年1922年第8回大会も優勝し夏の連覇を果たしましたが、1923年第9回大会でも3連覇は逃すものの準優勝と全国にその名をとどろかせました。同じ時代に和歌山県で強豪校として名を馳せていたのが海草中(現向陽)です。
海草中は1929年第15回大会に初出場するといきなり準優勝、その後10年の時を経て1939年第25回大会で初優勝を成し遂げます。打倒和中(和歌山中)でまとまった海草中はエース嶋清一投手が準決勝、決勝でノーヒットノーランを達成する快投で悲願を達成しました。
エース嶋投手が抜けた海草中は翌年1940年第26回大会にも優勝、和歌山県勢として早くも2回目の和歌山中に次ぐ夏の連覇を達成しました。まさに和歌山が野球王国とよばれた一時代を築いたのがこの2校でした。
しかし野球王国も戦後は苦難の時期が続き、39年ぶりの1979年第61回大会まで夏の優勝を果たせませんでした。しかしこの第61回大会ではすでに選抜では2回の優勝を果たしこの1979年の春に3も回目の優勝をした箕島高校が史上3校目の春夏連覇を達成しました。
この年の箕島は、3回戦で星稜との延長18回の伝説の試合を制し、石井投手、嶋田捕手のバッテリーで偉業を達成、名将尾藤監督の尾藤スマイルで甲子園を席捲し野球王国和歌山を復活させました。
この春夏連覇以降、箕島は甲子園に何度か出場しますが優勝は果たせず、代わりに1980年代から台頭してきたのが智辯和歌山です。1985年の選抜に初出場したから5大会続けて甲子園で初戦敗退を喫しますが、1994年第66回大会の選抜で初優勝、3年後の1997年第79回大会の夏の選手権で初優勝を成し遂げます。
まさしく平成の30年間は名将高嶋監督の下で智辯和歌山の時代が到来します。春夏甲子園通算68勝の歴代1位の名将が積み上げた勝ち星のうち智辯和歌山での61勝全て(7勝は智辯学園監督時代)が平成時代のものです。
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もはや全国区の強豪となった智辯和歌山は、1997年夏の初優勝からわずか3年後の2000年第82回大会で2回目の夏の優勝を達成しました。
その後2002年第84回にも準優勝するなど2000年以降も甲子園での勝利数を積み重ねましたが、しばらく優勝から遠ざかります。ですが、最後の優勝から21年後の2021年第103回大会で3回目の優勝を果たしました。
この第103回大会は新型コロナウィルスの影響で、対戦校が感染のため試合を辞退することもあり、智辯和歌山は2回戦からの登場でしたが、いきなり対戦相手の宮崎商業が辞退、3回戦からの4試合に勝利しての優勝でした。
順位 | 学校名 | 通算(出場数) | 春(出場数) | 夏(出場数) |
1 | 智辯和歌山 | 70(41) | 27(15) | 43(26) |
2 | 桐蔭 | 45(36) | 13(16) | 32(20) |
3 | 箕島 | 37(17) | 24(9) | 13(8) |
4 | 向陽 | 21(22) | 7(15) | 14(7) |
5 | 海南 | 16(19) | 11(15) | 5(4) |
和歌山県代表校の上位5校までの勝利数ランキングです。智辯和歌山が70勝の1位、続くのが和歌山中時代の戦前に勝ち星を積み上げた45勝の桐蔭高校、3位には箕島高校が37勝となりました。
優勝回数では春3回、夏1回の箕島高校と春1回、夏3回の智辯和歌山が軽4回で県内最多タイですが、勝利数1位の智辯和歌山は、準優勝は春3回、夏1回と通算8回決勝戦に進出しています。
智辯和歌山は平成時代の30年間で7回の決勝進出、令和に入っても1回の優勝ですから平成以降の和歌山は智辯和歌山一強の時代と言えるでしょう。
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桐蔭高校も春1回、夏2回の通算優勝回数3回を誇るだけあって勝利数は箕島を上回る結果となりました。春夏連覇も達成した箕島は優勝回数も県内最多タイとはいえ通算出場回数が17回と少なく、昭和40年代から60年代の短期間に37勝を積み上げた点は驚異です。
4位の向陽も海草中時代の戦前に積み上げた勝利が大半で戦後は向陽高校として通算5回の甲子園出場を果たしていますが、この間はわずか2勝にとどまっています。5位の海南も優勝経験はなく、戦前の夏は桐蔭、向陽に甲子園出場を阻まれることも多く、勝利数の大半は選抜の11勝というのが特徴的です。
和歌山県の歴代甲子園出場校の通算勝利数は235勝で大阪、兵庫、東京、愛知に次ぐ全国5位です。夏は128勝で神奈川の134勝、愛知の133勝に次ぐ6位ですが、春が107勝と5位、神奈川の81勝を大きく上回り通算勝利数で神奈川県を上回っています。
高校野球甲子園大会において大都市圏でもプロ野球チームの本拠地でもない和歌山県が甲子園での優勝回数、通算勝利数ともにベスト5にランキングされています。
そんな和歌山県代表校の甲子園での歴代の成績をまとめてみました。
和歌山県の高校野球の歴史は、大会開始間もない草創期において早々と和歌山中、海草中が夏の連覇を達成、戦後はやや低迷期を迎えましたが昭和40年以降は箕島が春夏連覇を達成、そして平成以降は智辯和歌山が70勝を積み上げるなどいつの時代でも野球王国として全国に名をとどろかせてきました。
名将高嶋監督が勇退した後でも智辯和歌山は中谷監督の下で甲子園でも着実に勝ち星を積み重ねています。2021年夏の選手権も21年ぶりの優勝と平成以降は智辯和歌山の一驚がまだまだ続きそうで鵜ね。