星稜高校は2020年時点で春の選抜14回(中止の第92回大会は出場回数1回カウント)、夏の選手権20回の甲子園出場回数で通算33勝33敗、選手権で準優勝2回の名門校です。
選手権大会は2回の決勝進出も1995年は東東京の帝京高校に1-3、2019年は大阪の履正社に3-5と決勝の相手は東西の横綱、いずれも2点差の接戦という不運ぶりです。そんな星稜高校は甲子園でも伝説となった試合に登場しますが、いずれも敗退しています。
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星稜高校が登場する甲子園伝説の試合3試合について紹介します。
甲子園伝説の試合として未だに語られる延長18回の激闘は1979年第61回選手権大会の3回戦星稜高校対箕島高校の試合です。対戦相手の箕島高校はその年のセンバツ大会で優勝、石井投手、嶋田捕手のバッテリーは後にプロ入りする優勝候補筆頭のチームでした。
先攻の星稜高校は4回表に幸先よく1点を先制するもその裏に同点に追いつかれます。以降は星稜堅田投手、箕島石井投手の好投で0行進、1-1のまま延長戦に突入します。
試合が動いたのは延長12回、星稜高校が相手のエラーで1点をもぎとって2-1と勝ち越すと、12回裏の箕島高校の攻撃も2死ランナーなしと星稜が王者箕島を追い詰めます。この場面で打順が回ってきた嶋田捕手は、打席に入る前に尾藤監督に「ホームラン打ってきます!」と宣言、監督も「よっしゃ狙え!」と応えます。
その後打席に立った嶋田捕手は、宣言通りレフトラッキーゾーンに起死回生の同点本塁打を放り込みます。まさかのツーアウトからの同点弾で試合は延長13回へと続きますが、星稜は延長16回にも1点を勝ち越します。
3-2で迎えた延長16回の裏も箕島はまたもあっさり2死ランナーなしと追い詰められます。この場面で打順は6番の森川選手、さすがに星稜がこのまま逃げ切るだろうと思われたその場面で森川選手は一塁ファールゾーンにフライを打ち上げます。
誰もがこのまま試合終了となると思ったその瞬間、フライを追いかける星稜の1塁手加藤選手がまさかの転倒、打球はファールゾーンにそのまま落ちてまさかのファール。加藤選手はその年から敷設されたファールゾーンの人工芝と土のグラウンドのアンツーカーに足が引っかかってしまいました。
打ち直しとなった森川選手はなんとその直後の直球を捉え、左中間へ本塁打を放ちます。延長12回裏に続くまさかの2死からの同点本塁打、両チームの選手、球場も唖然とする中、試合は延長は17回へと突入することとなりました。
すでに9回の時点で午後6時を過ぎ、延長戦はナイターとなったこの試合は3-3のまま延長の最終回18回まで進みます。すでに18回表星稜は無得点、このまま再試合となるのかと思われた18回裏に決着がつきました。
箕島高校のサヨナラ勝ちで幕を閉じたこの試合は、延長戦での2回に及ぶ2死からの同点弾、野手の転倒直後という悲運も重なり、選抜王者の箕島が土壇場で追いつく3時間50分のナイター、最後は18回で決着するという究極のドラマ性もあって高校野球史上最高の試合ともよばれます。
結局この劇的な試合を制した箕島は史上唯一の公立高校による春夏連覇を達成、この3回戦の一戦をより際立たせることとありました。当時星稜高校は春夏通算甲子園5回目の出場の新勢力でしかありませんでしたが、この試合をきっかけに数々の伝説の試合を演じていくこととなります。
甲子園の長い歴史で1試合5打席全ての打席で敬遠された打者、それがあのメジャーリーガー、ゴジラの愛称で甲子園を沸かせた松井秀喜選手です。1年生の夏に4番打者として甲子園に初出場、3年の選抜では1大会3本塁打の大会タイ記録を引っ提げての1992年第74回選手権大会、最後の夏に臨みました。
1回戦を完勝で勝ち進み迎えた2回戦、高知の明徳義塾高校戦は後世に永遠に語られる試合となります。試合前から明徳義塾の馬淵監督は松井選手との勝負は避けることを明言していました。
そしていざ試合が始まると初回にきなり星稜は二死三塁のチャンスを迎え、4番松井選手が打席に立ちます。この先制のチャンスで早速松井選手は歩かされ星稜は無得点に終わりました。
2回裏に明徳義塾が2点を先制、3回表の星稜は一死二三塁と反撃のチャンスで松井選手が2回目の打席を迎えます。初回に続き得点圏にランナーを置いての打席ではここでも当然のように歩かされ、1点の反撃のみに終わりました。
3回裏に1点を加点し明徳義塾3-1で迎えた5回、この打席から球場もざわめき始めます。初回、3回は得点圏にランナーをおいての松井選手の打席、一塁も空いているので敬遠はごく普通の作戦に見えました。
しかし5回の星稜の攻撃は一死一塁で松井選手の打席、一塁が埋まっているうえに得点圏にもランナーはいません。しかしこの打席でも明徳義塾は松井選手を歩かせます。試合終盤ならまだしもランナーを得点圏に進めてまでの敬遠は高校野球でもまずありません。
このあたりから松井選手の全打席敬遠もありうるのではないかと思われましたが、7回の松井選手第4打席は二死無走者で迎えます。試合も3-2と明徳義塾が1点リード、松井選手に一発が出れば同点という場面ではありましたが、明徳義塾は意図的な四球を与え異例の走者なしからの敬遠となりました。
3-2のまま迎えた最終回では二死三塁の場面で松井選手の打席を迎えますが、ここも当然の敬遠、5打席連続の四球となります。甲子園球場も異様な雰囲気でスタンドからはメガホンが投げ込まれ明徳義塾に対しても猛烈なヤジが飛びます。
試合は一時中断されるほど騒然となった甲子園球場、アマチュアまして高校野球でここまで球場から大ブーイングが起きた試合は先にも後にもこの試合しかありません。
結局松井選手を歩かせた後、二死二三塁のチャンスを星稜は生かせず2-3で試合終了、松井選手の夏は短い夏となりました。この年の星稜はエース左腕山口投手、主砲松井選手で初の全国制覇も狙えたチームでしたが、あえなく2回戦敗退となってしまいます。
試合終了後のインタビューでも松井選手は「相手の作戦については何も言えません」とほぼ無言を貫きましたが、この試合はその後も社会問題にまで発展し、いろんな議論が巻き起こりました。
甲子園の伝説の試合となった星稜明徳戦ですが、結果としてこの5敬遠は松井選手の伝説として語り継がれ、後に当時の明徳義塾の河野投手と松井選手の対談も行われるなど高校野球ファンにとっても思い出深い試合となりました。
当時は勝利至上主義の試合への批判も相当ありましたが、この伝説の試合は星稜高校や松井選手が称えられると同時に明徳義塾馬淵監督が名将への道を歩み始めるきっかけとなったという側面もあります。
個人的にも5敬遠はちょっとやりすぎじゃないかと思いましたが、今となってはあの試合、敬遠があったからこそ松井選手のスター性が際立つものとなったのかなとも感じます。いずれにしても星稜高校は数多くの高校野球ファンを惹きつける高校となったのは間違いないでしょう。
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甲子園の伝説の試合として挙げられる試合に2018年の第100回選手権大会2回戦の星稜高校対済美高校の試合です。この試合も壮絶な試合となりましたが、最後劇的な幕切れとなったことが伝説の試合と語られることとなりました。
星稜高校の先攻で始まったこの試合は初回に星稜が5点を先制、星稜のエースは2年生ながら150㎞を超える速球で甲子園でも注目の奥川恭伸投手。3回、5回にも1点を加点し5回表終了時点で星稜が7-1と済美をリードします。
奥川投手は試合途中で足をつるというアクシデントもあり5回裏からは控え投手がマウンドに上がります。それでも7回裏まで済美打線を無失点におさえゲームは7-1の6点差で8回裏済美高校の攻撃を迎えます。
試合終盤の6点差、このまますんなり星稜が逃げ切ると思われた8回の済美高校は一気に5得点を挙げて6-7の1点差まで追い上げます。さらに走者2人を置いての場面でまさかの逆転3ランが飛び出し、8得点で9-7と逆に済美高校が星稜を追い詰めます。
追い詰められた星稜も9回表の攻撃でなんと2得点で土壇場の同点劇、9回裏を無失点に抑えて9-9のまま延長戦に突入します。お互いに一歩も引かない両校はともに無得点のまま延長12回裏済美高校の攻撃にはいります。
12回裏は済美高校が一死満塁と星稜高校2年生左腕寺沢投手を攻め立てますが、ここからが圧巻、サヨナラのピンチで寺沢投手は2者連続の三振で切り抜けます。この場面もかなりしびれる場面でしたが、試合は大会通算2試合目のタイブレークへと突入します。
13回のタイブレークでは星稜高校が2点を勝ち越して13回裏の守りにつきます。12回裏のピンチをおさえて13回に2点を勝ち越し、星稜高校がこのままの勢いで済美高校を抑え込むかと思われた13回裏に奇跡が起きました。
済美高校は無死一二塁からセーフティバントで無死満塁と長打が出ればサヨナラのチャンスを作ります。ここで打席には1番の矢野選手を迎えます。2ストライクに追い込まれた矢野選手はインコースの球を振り抜き、打球はライトスタンドポール際まで飛んでいきます。
一瞬キレてファールになるかと思われた打球は高く舞い上がり、1塁へ向かう矢野選手もファールと思い一度足を止めます。しかし打球はライトポールを直撃、1塁塁審が大きく腕をまわしてホームランのジェスチャー。
両校一歩も引かない試合の結末は、なんと大会史上初の逆転サヨナラ満塁ホームランという劇的な幕切れとなりました。一度は6点差までついた試合を8回裏に追いつき、延長、タイブレークまでもつれこんだ試合が一振りで決まるというタイブレークならではの伝説の試合と言えるでしょう。
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星稜高校はこの翌年でも大会通算3回目のタイブレークを経験し見事勝利をおさめましたが、甲子園でのタイブレークを2回経験、勝利も敗戦も経験しているのは星稜高校だけです。
しかし甲子園で数ある伝説の試合を演じてここまで悲運の高校は星稜高校しか思いつきません。2度の準優勝もいまだ甲子園での優勝がないというのもツキのなさを物語っているのかもしれません。
一方で2014年夏の石川県予選では9回裏に0-8からの大逆転で甲子園出場を決めるというミラクルも演じています。何かを持ってる星稜高校、今後も甲子園で伝説の試合を演じ、悲願の初優勝を飾ってくれることに期待したいですね。
高校野球の超名門校、石川県の星稜高校は甲子園での数ある伝説の試合を演じてきました。しかもいずれの試合も敗戦という悲運の歴史を紹介しました。
いずれも甲子園での伝説の試合ですが、負けることで多くの高校野球ファンの心に思い出を刻み込んだ星稜高校。準優勝も2回ありますが、2度の決勝戦でも涙を飲む悲運。
しかし甲子園にはなくてはならない存在の星稜高校、悲願の初優勝はいつになるのか?プロ入り選手も多数輩出する名門校が歓喜に沸く日が来るのを楽しみにしています!