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清原和博甲子園成績の凄さ、通算本塁打ランキングは永遠の1位!

100年以上の歴史を誇る高校野球の甲子園大会において不滅の記録を打ち立てた選手の一人元PL学園の清原和博選手。プロ入り後の活躍もさることながら高校野球を語る上で欠かせない天性のホームラン打者です。

甲子園通算本塁打記録のランキングでは断トツの1位、2018年に広陵高校の中村奨成選手が1大会の本塁打数6本で1位になるまで清原選手の5本が1大会での最高記録でもありました。

清原選手の甲子園成績の凄さについてプロフィールや数々のエピソードを交えながら甲子園通算本塁打ランキングとともに紹介したいと思います。

清原和博選手のプロフィールと甲子園通算成績

清原選手のプロフィール

名前 清原 和博(きよはら かずひろ)
誕生日 1967年(昭和42年)8月18日
投打・ポジション 右投右打内野手
出身 大阪府岸和田市
出身校 久米田中-PL学園
身長・体重 188㎝、104㎏
血液型 B型
ドラフト年、順位 1985年1位西武ライオンズ
所属球団 ~96年西武、~05年巨人、~08年オリックス

清原選手は大阪の岸和田市出身、小学生時代は岸和田リトルに入団、中学時には岸和田シニアでプレーします、岸和田シニアではエースで4番として全国大会で準優勝を果たしました。

高校進学時には30校近くからスカウトを受けますが、母親の実家奈良県にある天理高校と熱心に勧誘してきたPL学園のどちらに進むか迷います。両校の練習を見学しに行った際に、天理高校は1年生は球拾い、PL学園は1年から練習に参加という違いを目の当たりにして「PLの方が野球うまくなるで」とPL学園への進学を決めました。

PL学園入学後の5月に当時プロ注目の仲田幸司投手擁する沖縄県の興南高校との練習試合で、1年生ながら清原選手は急遽練習用ユニフォームのまま代打で出場、2塁打を放ちレギュラーへのきっかけをつかみます。

7月の大阪府地方予選では4番ファーストとしてレギュラーの座を獲得、KKコンビの1年生桑田投手とともに活躍して大阪代表を勝ち取り、甲子園へ乗り込みます。ここからKKコンビの3年間にわたる甲子園での伝説が始まりました。清原選手の甲子園での成績を大会ごとに見ていきましょう。

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清原選手の甲子園通算成績

1年生夏(昭和58年65回選手権)

回戦 対戦校 スコア 打数 安打 本塁打 打点
1回戦 所沢商 〇6-2 3 0 0 0
2回戦 中津工 〇7-0 4 0 0 0
3回戦 東海大一 〇6-2 4 2 0 1
準々決勝 高知商 〇10-9 4 3 0 3
準決勝 池田 〇7-0 4 0 0 0
決勝 横浜商 〇3-0 4 2 1 1

1年生KKコンビがエースと4番を務めるPL学園ですが、前年、前々年の53回、54回選抜大会で連覇を果たしてはいるものの、この大会ではほとんど注目されておらず、夏春連覇を達成した水野投手の池田高校、選抜準優勝三浦投手の横浜商、前年春夏ベスト4野中投手の中京(現中京大中京)が優勝候補に挙がっていました。

実際に名将中村監督も「甲子園に出場できただけで上出来のチーム」「1回だけでもいいから校歌を歌って帰ろう」というほど、チームに対する期待度は決して高いものではありませんでした。

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しかしいざふたを開けてみれば、PL学園は順調に勝ち進んでいき、準々決勝では優勝候補にも挙げられていた津野投手擁する高知商に清原選手の3安打の活躍もあり打ち勝ちました。

そして高校野球の歴史的転換点と言っても過言ではない池田高校との準決勝を迎えます。池田高校は事実上の決勝戦ともいわれた準々決勝の中京戦をものにし、史上初の夏春夏3連覇を遮るものはないという状況でした。

池田高校の水野投手も1年生が投打の軸のチームに負けるわけがないと完全に見下していました。しかしいざ試合が始まると1年生桑田投手が強力な池田打線を完封、7、8、9番の下位打線が水野投手からホームランを放っての完勝をおさめました。

この試合での清原選手は水野投手に4三振を喫しましたが、池田高校に完勝したことで1年生KKコンビは一躍脚光を浴びることとなります。池田高校の時代からKKコンビのPL学園の時代へと移り変わった瞬間でした。

決勝戦は春夏連続の決勝進出となった好投手三浦投手の横浜商との対戦となりますが、この試合の最初の打席で清原選手に待望の甲子園1号本塁打が生まれ、チームも3-0と完封して優勝を飾りました。

1年生のKKコンビが上級生になったらどんなチームになるのか、今後の甲子園での躍進が約束されているかのように感じさせる大会となりました。

2年生春(昭和59年56回選抜)

回戦 対戦校 スコア 打数 安打 本塁打 打点
1回戦 砂川北 〇18-7 4 3 1 4
2回戦 京都西 〇10-1 4 4 2 4
準々決勝 拓大紅陵 〇6-0 2 0 0 0
準決勝 都城 〇1-0 5 1 0 0
決勝 岩倉 ●0-1 2 0 0 0

清原選手が2年生となった翌春の選抜にもPL学園は出場します。この大会では1回戦、2回戦と3本の本塁打を放ちましたが、準々決勝以降は9打数1安打と調子を落とします。それでも準決勝の都城戦は土壇場の相手外野手の失策で辛勝、多くの予想通り決勝戦まで無事たどり着きました。

決勝は初出場東京の岩倉高校が相手、下馬評でもPL学園の夏春連覇は確実かと言われていましたが、まさかの完封負けを喫しました。KKコンビのPL学園の甲子園初黒星となりましたが、準優勝ではもはや周りが満足してくれないようなチームになったと言えるでしょう。

2年生夏(昭和59年66回選手権)

回戦 対戦校 スコア 打数 安打 本塁打 打点
1回戦 享栄 〇14-1 4 4 3 6
2回戦 明石 〇9-1 5 3 0 0
3回戦 都城 〇9-1 3 1 0 1
準々決勝 松山商 〇2-1 4 1 0 1
準決勝 金足農 〇3-2 2 0 0 0
決勝 取手二 ●4-8 3 1 0 0

この大会の1回戦では、愛知の強豪享栄高校との対決に注目が集まりましたが、清原選手の3本塁打などで一蹴。清原選手は1試合3本塁打という甲子園記録を残し、現在も1試合最多本塁打の記録です。

しかし2回戦以降はヒットは出るもののホームランを量産することはできませんでした。それでもチームは選抜に続いて決勝まで進出、木内監督が率いる取手二高との対決は延長10回に桑田投手がつかまり4-8で敗戦、春夏準優勝に終わりました。

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清原選手は準々決勝以降は9打数2安打と調子を落としましたが、大会成績は21打数10安打と5割近い打率を残しいよいよ3年生として翌年の最後の大会に臨むこととなります。

3年生春(昭和60年57回選抜)

回戦 対戦校 スコア 打数 安打 本塁打 打点
1回戦 浜松商 〇11-1 3 2 1 1
2回戦 宇部商 〇6-2 5 2 0 0
準々決勝 天理 〇7-0 3 1 0 0
準決勝 伊野商 ●1-3 3 0 0 0

最終学年となったKKコンビは春夏連覇を目論んで4季目の甲子園となる選抜大会に乗り込んできました。初戦の相手は清原選手がシニアの全国大会決勝で敗戦した時の浜崎淳投手率いる浜松商との対戦となりましたが、1本塁打を含む2安打、チームも11-1と圧勝しました。

この試合では清原選手は甲子園で初めてマウンドに上がりました。1回3分の2で5人の打者に対して2三振と無難に抑えています。

2回戦、準々決勝も安打を重ね挑んだ準決勝は高知県の伊野商と対戦しますが、1-3とまさかの敗退。伊野商の相手投手は後に西武ライオンズでチームメイトとなる渡辺智男投手でした。

この時の清原選手は、渡辺投手相手に3三振、1球もボールに当てることもできず渡辺投手の剛速球の前に屈辱の結果となりました。この時の清原選手は「今まで見たことのない球速だった」とコメントしています。

そして屈辱を味わった清原選手は敗戦した当日、PL学園の雨天練習場で上半身裸になってひたすらマシンのボールを打ち込みます。渡辺投手の速球が打てなかったのがよほど悔しかったようですが、試合疲れをもろともせずその日のうちに練習に臨むところに清原選手の凄さを感じます。

そしてこの屈辱から一回り成長して清原選手は3年生最後の夏の甲子園に戻ってくることになります。

3年生夏(昭和60年67回選手権)

回戦 対戦校 スコア 打数 安打 本塁打 打点
2回戦 東海大山形 〇29-7 5 2 0 1
3回戦 津久見 〇3-0 1 0 0 0
準々決勝 高知商 〇6-3 3 2 1 1
準決勝 甲西 〇15-2 3 3 2 4
決勝 宇部商 〇4-3 4 3 2 2

3年生最後も大阪府予選を勝ち抜いて見事5季連続の甲子園出場を果たします。この時は「絶対優勝」を合言葉に、選抜以降チームの結束は固くなります。KKコンビが1年生で優勝して以来、甲子園では優勝できずに最後まで来ました。

初戦の東海大山形戦では史上初の毎回得点、1試合最多得点など甲子園記録を次々に打ち立てての好発進、この試合でも清原選手はマウンドに上がりました。打つ方は「誰がアウトになるのかという感じが嫌だった」と述べていたようにホームランはなく2安打のみに終わりました。

準々決勝はプロ注目の剛腕中山裕章(元中日)投手擁する高知商との対戦、この試合の前夜清原選手は後輩にバッティングピッチャーを務めてもらい、至近距離から投じた球を打ち返して中山投手との対戦に備えます。

その結果、中山投手を相手に待望の今大会1号となる特大アーチを放ちます。さらに準決勝では1試合2本塁打を放ち決勝の宇部商戦までたどり着きました。この大会では宇部商の藤井選手が一大会4本塁打の新記録をマークしており清原選手は1本差で対戦を迎えます。

この時清原選手は桑田投手に「藤井だけはホームラン打たすな、俺が2本打つから」と頼んだ通り、1点ビハインドの4回、6回にともに同点となるホームランを放ち一大会5本の本塁打新記録を打ち立てました。

チームも9回裏に清原選手の前を打つ主将松山選手のサヨナラヒットで優勝を決めるという劇的な幕切れ、ネクストサークルにいた清原選手が右手にバットを掲げたまま歓喜の輪に加わるという名シーンが生まれました。

出場のたびに優勝候補の最右翼とされながら決勝戦で涙を飲むこと2回、集大成となる3年の夏の大会で見事優勝を果たし自身も大会新記録となる5本塁打を放つあたりは、まさに名実況にある「甲子園は清原のためにあるのか」と思わせる大会でした。

甲子園通算成績

試合数 打数 安打数 本塁打数 打点 打率
26 91 40 13 29 .440

1年生の夏の大会から3年生の夏の大会まで最大5回ある甲子園の出場機会全てで出場を果たし、26試合で打率.440、通算本塁打13本という大記録を残しました。甲子園で26試合出場するということ自体まずあり得ないですが、ホームランも2試合に1本ペースと驚異的な記録です。

これがどれくらい驚異的なのか甲子園での通算本塁打ランキングを見てみましょう。

甲子園大会の通算本塁打ランキングと破られることのない記録

甲子園大会通算本塁打ランキング

春は90回、夏は100回を超す長い歴史のある高校野球の甲子園大会、高校生は1年生の夏から2年生春夏、3年生春夏と最大で計5回出場のチャンスがあります。この最大5回のチャンスの中で、いったどれくらいの通算本塁打が記録されているのでしょうか?甲子園で放った通算本塁打ランキングを見てみましょう。

順位 本数 選手名 高校 学年 大会と本数
1位 13本 清原和博 PL学園 1年 65回選手権1本
2年 56回選抜3本、66回選手権3本
3年 57回選抜1本、67回選手権5本
2位 6本 桑田真澄 PL学園 1年 65回選手権2本
2年 56回選抜2本、66回選手権1本
3年 67回選手権1本
元木大介 上宮 2年 60回選抜1本
3年 61回選抜3本、71回選手権2本
中村奨成 広陵 3年 99回選手権6本
5位 5本 香川伸行 浪商 3年 51回選抜2本、61回選手権3本
鵜久森淳志 済美 3年 76回選抜2本、86回選手権3本
平田良介 大阪桐蔭 2年 76回選抜1本
3年 87回選手権4本
森友哉 大阪桐蔭 2年 84回選抜1本、94回選手権2本
3年 95回選手権2本

以上のように清原選手の通算本塁打13本は2位6本の倍以上の本数です。清原選手は1年の夏から最大の5回甲子園に出場しており、全ての大会でホームランを放っています。

1年生時は決勝戦の1本のみでしたが、2年、3年時は年間6本ずつマークしており、それぞれ2年、3年だけで2位の6本と同じ本数を記録したことになります。中村奨成選手が一大会6本を記録したものの桑田、元木両選手は2学年以上に渡っての6本だけに清原選手の数字は少し次元が異なります。

プロ入り後も525本の通算本塁打の成績を残した天性のホームランバッターでプロでも大舞台に強い選手でしたが、甲子園での通算本塁打記録も大舞台での強さがあればこそでしょう。甲子園の決勝戦で通算3本の本塁打を放つあたりはここ一番での勝負強さを表しています。

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通算13本塁打が永遠のランキング1位の理由

通算13本塁打は永遠のランキング1位と評しましたが、その理由について述べたいと思います。

まずこのランキングにあるように通算5本以上を記録した選手を見ても1年生から5季全てに出場したのは清原選手、桑田選手のみです。そもそも5季連続で甲子園出場すること自体が奇跡的です。

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またこれらの選手にほぼ共通しているのは、複数の大会に出場していることと出場した甲子園大会で決勝まで進出している点です。平田選手は準決勝止まりですが、清原選手と並んで歴代記録の1試合3本塁打を放って本数を上積みしました。

中村選手のように6試合で6本塁打というのは驚異的なペースですが、通算で5本以上記録するとなると複数の甲子園大会に出場し上位進出することが最低条件となるでしょう。さらに甲子園で通算本塁打を10本以上記録するとなると2試合に1本ペースでの量産が必須と言えます。

全ての試合でホームランを打つことは常識的にはありえません、試合状況、チーム事情によっては歩かされることもあるでしょう。清原選手の後ろの打順に桑田選手がいたことから清原選手が歩かされることが少なかったことも本塁打を量産する条件に適っていたといえます。

通算13本塁打を記録するならば少なくとも甲子園で通算試合数20試合は必要となると思いますが、清原、桑田選手のように5季連続での甲子園出場は困難です。仮に2年生から4季甲子園に出場したとしても、20試合以上出場するには各大会で5試合以上必要になります。

好投手との対戦が多い甲子園のほぼ全大会でチームとしてベスト4以上に勝ち進むのは相当困難です。すなわち甲子園で13本塁打を記録するには、個人の打力だけではなく1、2年時から甲子園に出場してほぼ甲子園の全大会で上位進出するというとてつもないハードルを越えなければなりません。

まして飛ばないバット、低反発バットが2024年第96回選抜大会から導入されました。ホームランを量産するのは状況的にもこの先難しくなります。こういった点から個人通算13本塁打という記録はこの先破られることはないでしょう。2位でも6本という記録から見ても10本塁打を記録する選手すら厳しいのではないでしょうか。

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まとめ

高校野球の甲子園大会を語る上で欠かせないのが元PL学園清原和博選手の記録です。甲子園通算本塁打13本は今後も破られることない永遠の記録と言えるでしょう。清原選手が残した甲子園での打撃成績の凄さについて見てきました。

といった点から、個人の打力のみならずチームとしてより多くの試合を甲子園で行うチーム力も必要となります。こういったハードルを乗り越えて通算本塁打13本を記録する、破ることは永遠に不可能ではないかと予測しました。

さらに2024年第96回選抜大会から飛ばない低反発バットが導入されましたので、この通算13本塁打は永遠の金字塔と言えます。清原選手の記録がいかに偉大であるか改めてすごいと思います。

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