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元木大介甲子園成績の凄さ、高校通算ホームランは?くせ者は天才打者だった!

2019年に読売巨人軍の一軍内野守備兼打撃コーチに就任、13年ぶりの球界復帰を果たしたジャイアンツの元ユーティリティプレーヤーの元木大介氏。2020年には一軍ヘッドコーチに昇格、2023年に退任するまでかつてのくせ者はジャイアンツのブレインとしても活躍しました。

球界から離れていた13年間は解説者やタレント活動を中心にメディアにもよく登場していましたが、高校時代はスーパーアイドルながら甲子園の通算ホームラン歴代2位の記録を持つほどの天才打者でした。

タレント時代はおバカキャラも演じた元木氏は、実は天才打者であるという甲子園成績の凄さや高校通算ホームラン、さらにくせ者とも言われたエピソードを紹介します!

元木大介氏のプロフィール

名前 元木 大介(もとき だいすけ)
誕生日 1971年(昭和46年)12月30日
投打・ポジション 右投右打内野手
出身 大阪府豊中市
出身校 豊中市立第十二中-上宮
身長・体重 180㎝、82㎏
血液型 О型
ドラフト年、順位 1990年1位読売ジャイアンツ

大阪府豊中市に生まれた元木氏は小学生時代は南海ホークスファンでホークスが運営するボーイズリーグのジュニアホークスで野球を始めます。しかし小学6年生の時に当時の巨人軍監督王貞治氏と写真撮影した際に感激、以降巨人ファンになりました。

高校はボーイズリーグの先輩が入学して甲子園に進んだ大阪の名門上宮高校に進学、1年生秋から4番に座りますが、初本塁打は2年生時の翌春第60回選抜大会と遅く、意外にも高校通算ホームランは24本とやや少なめ。しかし大舞台に強いのか甲子園では歴代2位となる通算6本塁打をマーク。

甲子園では数々のエピソードも残しますが、圧巻なのは打撃成績です。それでは甲子園での成績を見てみましょう!

元木大介氏の甲子園成績

回戦 スコア 対戦相手 打数 安打 本塁打 打点
88年第60回選抜(2年生)
2回戦 〇5-0 小松島西 4 1 0 0
3回戦 〇7-3 高知商 5 2 0 0
準々決勝 ●7-8 宇都宮学園 6 2 1 1
89年第61回選抜(3年生)
1回戦 〇8-3 市立柏 4 3 2 4
2回戦 〇3-0 北陸 3 0 0 0
準々決勝 〇5-2 仙台育英 4 2 1 2
準決勝 〇9-0 横浜商 4 2 0 2
決勝 ●2-3x 東邦 3 2 0 0
89年第71回選手権(3年生夏)
1回戦 〇10-3 丸子実 3 2 2 4
2回戦 〇1-0 東亜学園 4 1 0 0
3回戦 〇15-1 八幡商 5 1 0 1
準々決勝 ●2-10 仙台育英 4 1 0 0
打率.388 49 19 6 14

初出場は2年生時の春の選抜ですが、準々決勝で自身高校時代初本塁打を甲子園で放ちます。しかし試合はエース影山投手に後のヤクルト監督真中満選手、元オリックス高嶋徹捕手を擁する宇都宮学園(現文星芸大附属高校)に敗退、ベスト8に終わります。

2年生の夏は大阪府予選の4回戦で浪速に敗退しますが、2年秋の新チームからは主将に任命、平成最初の大会となる翌春の第61回選抜大会への出場を決めます。この選抜大会では、2年生エース宮田正直投手(元ダイエー)に種田仁(元中日、横浜)、小野寺在二郎(元ロッテ)といったタレント軍団を擁して快進撃を続けます。

そして今でも語り継がれる伝説の決勝戦、東邦高校との試合では延長10回表に2-1で勝ち越し、その裏2死無走者とあと1アウトで優勝というところまで追い込みながらまさかのサヨナラ負けを喫しました。

サヨナラ負けの瞬間にグラウンドに倒れこむ元木主将の姿が印象深い映像シーンは、今でもNHKの選抜中継の合間に流れる「選抜球春譜」で放映されるほどです。この大会では元木選手は選抜1大会最多タイの3本塁打を記録するなどの活躍、イケメン元木選手の人気ぶりは最高潮に達します。

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当時はマスコミや女性ファンの盛り上がり方もすごく「モッくん」と言えば元祖シブがき隊の本木雅弘ではなく元木大介のことだと言わしめるほどでした。かくして異様なほどの周囲の注目を集めながらも3年生最後の夏の大会に臨みます。

大阪府予選の決勝戦は、選抜ベスト8の近大付、3番脇坂浩二(元ダイエー)、2年生4番犬伏稔昌(元西武)にエース里田とこちらも上宮に負けないタレント軍団との対決となります。

試合は上宮が中盤までに3点リードするも近大付が8回裏に3ランで追いつくという展開、9回表に3点を勝ち越した上宮が結局6-3で逃げ切りましたが、全国クラスの両校の激闘ぶりには多くの高校野球ファンの注目を集めました。

激戦の夏の大阪予選を制した上宮高校は甲子園でも順調に勝ち続けます。しかし準々決勝の仙台育英戦では選抜で打ち勝ったエース大越基(元ダイエー)投手に抑え込まれ、ベスト8に終わります。

この大会では1回戦に2本塁打をマークし甲子園3大会で通算本塁打6本を記録、あのKKの清原和博選手の13本に次いで同じくKKの桑田真澄選手、広陵の中村奨成選手と並ぶ2位タイとなっています。

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甲子園の通算打率.388、14打点も大舞台に強い証しで、当時の元木選手をテレビで見ていた時にはどこに投げても打たれるというほどのすごみがありました。

当然1989年のドラフトでは1位候補として名前が上がります。本人の希望はジャイアンツ1本でしたが、ジャイアンツは慶応大学の大森剛選手を1位指名。元木選手はダイエーに1位指名されますが、この指名を拒否して1年間の浪人生活を選択します。

浪人中はハワイに野球留学というかたちをとって1年後のドラフト会議を待ちました。翌年のドラフト会議では晴れてジャイアンツに1位指名されることとなりますが、この浪人の1年間のブランクは大きかったように思います。

隠れた天才と言っては失礼ですが、このブランクがなければプロでももっとすごい成績を残していたのではないかと思うほどです。それでもプロ入り後は野球をよく知っているいやらしいバッターとして活躍、ジャイアンツになくてはならない存在となりました。やっぱり野球脳とセンスは抜群の選手だったのではないでしょうか。

そんな元木選手には数々のエピソードもあります。どんなエピソードか?見てみましょう!

くせ者元木大介氏のエピソード

高校時代はイケメンのスーパースターだった元木大介選手ですが、プロ入り後は長嶋茂雄監督をして「くせ者」と言わしめたユーティリティプレーヤーとして存在感を示しました。そんな元木選手のエピソードを紹介します。

2年生で出場した第60回選抜大会では優勝候補の高知商業戦でなんと今では考えられない隠し球を実行して2塁走者をアウトにします。2年生で初出場の甲子園で隠し球をする度胸もすごいですが、見事成功させるのもすごいです。

ただしこの試合以降、隠し球に対する抗議の電話が上宮高校に殺到したそうです。違反行為ではないですが、高校野球、それも甲子園での隠し球に違和感を覚えたファンから「正々堂々勝負しろ」との抗議だったようです。

なおプロ入り後も2回隠し球を成功させています。くせ者と言われるゆえんですね。

3年生の主将時の夏の甲子園3回戦での八幡商戦での出来事ですが、内野フライを打ち上げた元木選手は途中であきらめて1塁への全力疾走を怠り走るのを止めてしまいました。しかしその後相手内野手がファウルを落球、結局走っていなかった元木選手は1塁でアウトになります。

これを見た当時の山上烈監督が、ベンチに戻ってきた元木選手を激しく叱ります。ばつが悪いことにこのシーンがちょうどテレビに映ってしまい全国に流れることになってしまいました。このシーンは何となく覚えていますが、「そりゃ怒られるよな~」という思いで見ていたような気がします。

元木選手が現役の時、中日の監督はあの燃える男闘将星野仙一監督でした。ジャイアンツに並々ならぬ闘志を燃やす星野監督は、「元木は何をしてくるか読めん」と巨人戦での元木選手をかなり警戒していたようです。

追い込まれてもファウルで粘ったり、インコースも押っ付けてライト側にヒットにする技術もあれば、甘いコースなら長打もある元木選手は確かに相手に嫌がられる選手でしたし、野球を良く知っている選手だったように思います。

元木氏は2018年にU12世界少年野球大会の日本代表監督に選ばれましたが、これは星野氏の推薦があったからとのことです。星野氏は元木氏に野球センスや指導者としての資質を感じていたのでしょう。

元木選手はコーチとしてジャイアンツに復帰した際に背番号を77にしましたが、これも星野氏の背番号77を受け継いでのことです。闘将に一目置かれるほどのセンスはジャイアンツで花開くこととなりました。

甲子園大会での通算本塁打は6本で桑田真澄選手と2位タイの元木選手ですが、ジャイアンツ入りしてこの桑田選手と同じチームでプレーすることとなります。ある時、桑田選手とこの話題になった時に、桑田選手から「大介と一緒か~、もう1本打っておけばよかったな」と言われます。

しかし甲子園で近畿大会の試合が開催された際にホームランを1本打っていた元木選手は「実は甲子園で通算7本打ってるんです」とくせ者らしく冗談で返したそうです。もちろん甲子園大会の公式記録ではないものの甲子園球場でホームランを打ったこと自体「持っている」のかもしれません。

まとめ

読売巨人軍の1軍ヘッドコーチとしてジャイアンツの連覇を支えた元木大介コーチ。高校時代は甲子園大会での通算ホームラン2位タイに並ぶ成績を残し、プロ入り後はくせ者としてチームに欠かせない存在でした。

現役引退後はタレントとしても活動、一時はバラエティにも出演しおバカキャラも演じましたが、彼ほど野球を良く知っている天才打者はいないのではないかと思うほどの甲子園での成績やくせ者ぶりを紹介してきました。

高校時代のスーパースターがプロ入り後にはくせ者と呼ばれるようになるのは意外でしたが、これも野球を良く知っているセンスの塊ならではのことでしょう。今後も指導者としてそのセンスを大いに発揮するのではないでしょうか?

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