千賀滉大投手は、2010年に育成ドラフト4位で愛知県の公立高校蒲郡高校から福岡ソフトバンクホークスに入団。プロフィールについて見ていきましょう。
名前 | 千賀滉大(せんが こうだい) |
誕生日 | 1993年(平成5年)1月30日 |
投打・ポジション | 右投左打・投手 |
出身 | 愛知県蒲郡市 |
出身校 | 蒲郡市立中部中学 |
愛知県立蒲郡高校 | |
身長・体重 | 186㎝、84㎏ |
ドラフト年、順位 | 2010年育成ドラフト4位 |
千賀投手は小学生の時は軟式野球チーム、中学も学校の部活動の軟式野球部に所属、そこから近所の愛知県の公立高校に入学して野球を続けました。
この時は高校で野球を続ける気はなかったそうですが、高校野球部の練習に一度参加した際に当時は120㎞そこそこだったものの球速が一番早かったため野球部に入らざるをえなくなって入部しました。
入部後は1年生ながら夏の大会に登板、その時に感じたマウンドの独特の雰囲気にはまって野球を続けることになります。しかし当時も愛知県と言えば私学4強を中心に強豪校がたくさんあって、夏の大会は3年時の3回戦が最高の成績です。
千賀投手が2年生の時には、中京大中京が夏の甲子園を制覇します。1学年上には広島に入団した堂林翔太投手、同級生には同じく広島に入団した磯村嘉孝捕手がいて、甲子園は遠すぎる場所でした。
また高校時代の千賀投手はケガも多く、大会で満足に投げられることは少なかったようです。それでも球速は3年生時には140㎞近く出るようになりますが、特に目立った存在ではありませんでした。
しかしアマチュア野球に詳しい地元愛知県のスポーツショップを経営する西川正二さんが、ソフトバンクのスカウトに「面白い投手がいる」と勧めたことをきっかけに育成4位で指名されることになります。
その際にも千賀投手は指名はないものだと思って大学進学も考えていたそうです。そもそも高校3年間でプロ入りするなんて思ってもいなかったとのことですから、当然でしょう。
振り返ってみれば、高校野球部の練習に参加していなかったら、ソフトバンクのスカウトに進めてくれる人がいなかったら、そしてソフトバンクが獲得していなかったら、果たして今の千賀投手が誕生していたでしょうか?
本人の努力、才能があったからこそではありますが、ちょっとしたきっかけでここまで人生が大きく変わる選手というのも珍しいですね。
それにしても愛知県の全国的に無名の公立高校からプロで活躍した投手が多いのも奇遇です。中日ドラゴンズから名球会入りした岩瀬仁紀投手は西尾東高校、同じくドラゴンズでセットアッパーとして活躍した浅尾拓也投手は常滑北高校と公立高校にはまだまだ逸材がいるかもしれません。
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ソフトバンクに入団した千賀投手は2年目のキャンプから好調を維持し、支配下登録されるようになります。入団後の年度別の成績を見てみましょう。
入団1年目からの千賀滉大投手の年度別成績は以下の通りです。
年度 | 登板 | 先発 | 完投(完封) | 勝利 | 敗戦 | 防御率 |
2012 | 2 | 2 | 0(0) | 0 | 1 | 9.64 |
2013 | 51 | 0 | 0(0) | 1 | 4 | 2.40 |
2014 | 19 | 0 | 0(0) | 1 | 1 | 1.99 |
2015 | 4 | 3 | 0(0) | 2 | 1 | 0.40 |
2016 | 25 | 25 | 3(0) | 12 | 3 | 2.61 |
2017 | 22 | 22 | 0(0) | 13 | 4 | 2.64 |
2018 | 22 | 22 | 1(1) | 13 | 7 | 3.51 |
2019 | 26 | 26 | 2(2) | 13 | 8 | 2.79 |
2020 | 18 | 18 | 1(0) | 11 | 6 | 2.16 |
通算 | 189 | 118 | 7(3) | 66 | 35 | 2.69 |
1年目の2011年は3軍戦での登板のみ、2軍戦はみやざきフェニックスリーグでのみ登板してます。2012年の春季キャンプの紅白戦で好投した千賀投手は、キャンプ終盤に1軍に抜擢されますが、その後ケガをして開幕は2軍で過ごしました。
その後、2軍で活躍し4月末に1軍デビューを果たします。しかしこの年は2試合のみの登板で終わりますが、2軍では最優秀防御率のタイトルを獲得します。
2013年にはセットアッパーとして1軍に定着、救援投手による公式戦連続無失点イニングのパリーグタイ記録を樹立します。2014年も救援投手として1軍登板を重ねますが、右肩の違和感から6月に登録抹消し残りシーズンは実戦登板はありませんでした。
2015年からは先発に転向しますが、1軍昇格は8月だったため結局4試合の登板に終わりました。そして2016年からは一気に開花し12勝をマーク、2017年にはワールドベースボールクラシックで日本代表に選抜、最優秀投手に輝いています。
2018年、2019年は開幕投手も努めるほどのチームの大黒柱となりました。2019年には令和初のノーヒットノーランを達成するなど球界を代表する投手にまで上り詰めました。
2020年はコロナ禍によりシーズン試合数は120試合に短縮されましたが、最多勝11勝、最優秀防御率2.16、奪三振数149の三部門でタイトルを獲得、チームの3年ぶりのリーグ優勝に大貢献しました。
千賀滉大投手は2010年に育成選手として支度金300万円、年俸270万円で契約しました。現役生活はまだ9年ですが、年度別の年俸推移は以下の通りです。
年度 | 年俸(推定) |
2011 | 270万円 |
2012 | 440万円 |
2013 | 650万円 |
2014 | 3,300万円 |
2015 | 2,500万円 |
2016 | 2,500万円 |
2017 | 6,500万円 |
2018 | 1億2,500万円 |
2019 | 1億6,000万円 |
2020 | 3億円 |
2021 | 4億円 |
通算 | 11億4,660万円 |
育成選手として入団しただけあって最初の3年目までは1,000万円にも満たない年俸ですが、2013年に1軍定着して好成績をあげると翌2014年の年俸は一気に3,300万円まで急上昇します。
登板数が減った2014年、2015年の翌年は年俸を2,500万円に減らしますが、コンスタントに10勝をあげるようになると年俸も順調に増えていき、2018年に1億円の大台を突破すると、2020年は3億円、そして4年連続日本一、パリーグ優勝に貢献した2020年の契約更改で2021年年俸は4億円に到達します。
2017年は勝率1位、2019年は最多奪三振、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞するなど今やパリーグを代表するエースとなりました。プライベートでは、千賀投手は2015年オフに22歳で一般女性と結婚、2017年には第一子が誕生しています。
本人はメジャー志向が強いようですので、近い将来メジャーデビューを果たす日が来るかもしれませんが、2021年の契約更改をしたことでメジャーは封印のようです。
2010年にソフトバンクの育成ドラフト4位で入団した千賀昂大投手、入団9年で日本代表のエース格にまでのぼりつめた千賀投手の身長、体重や出身中学などのプロフィールや経歴と、甲子園とは無縁だった高校時代はどんな高校球児だったのか紹介しました。
育成選手として入団以降、かなり早く支配下選手登録され1軍にもすぐに定着します。プロ入り後の変遷は
など今やチームどころか日本代表に欠かせない存在です。千賀投手本人はメジャー志向も強いようですのでメジャーデビューしてメジャーリーガーをきりきり舞いさせる日が近い将来訪れるかもしれないですね。