都道府県別の優勝回数では、春夏合計13回で大阪、愛知に次いで神奈川県と並ぶ3位タイです。春の選抜6回、夏の選手権7回もともに3位タイをほこりますが、中でも優勝校数が8校、大阪の9校に次ぐ2位と兵庫県のレベルの高さを表しています。それでは春と夏の歴代優勝校を見ていきましょう。
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年 | 回 | 学校 |
1928年(昭和3年) | 第5回 | 関西学院中(現関西学院高等部) |
1929年(昭和4年) | 第6回 | 第一神港商(現神港橘) |
1930年(昭和5年) | 第7回 | 第一神港商 |
1953年(昭和28年) | 第25回 | 洲本 |
1974年(昭和49年) | 第46回 | 報徳学園 |
2002年(平成14年) | 第74回 | 報徳学園 |
選抜の兵庫県勢初優勝は1928年の第5回大会と早く、すでに始まっていた夏の選手権でも優勝を経験している関西学院中が達成しました。ここからがすごいのですが、県勢初優勝を達成した翌年には第一神港商が兵庫県勢として連覇、さらに第一神港商は翌年の優勝して選抜連覇を果たします。
選抜での連覇は、大阪のPL学園、大阪桐蔭の2校と第一神港商の3校しか達成していません。同一都道府県勢による連覇も愛知(中京商、東邦商)、東京(日大三、日大桜丘)と兵庫県の3都県のみです。甲子園大会草創期から兵庫県代表は全国に大きな存在感を示していたといえるでしょう。
戦後になると1953年の第25回大会で県立の洲本高校が初優勝を成し遂げます。この時は当時の名門、強豪校だった中京商、豊橋時習館、小倉、浪華商を下しての優勝でした。洲本高校はこれ以降1975年夏の選手権、1986年、2012年の春の選抜に出場するものの勝ち星がありません。次の甲子園1勝に期待したいですね。
洲本高校の優勝以降、約20年のブランクを経て報徳学園が1974年第46回大会で初優勝を果たします。この時の決勝戦の相手はベンチ入りメンバー11人のさわやかイレブンで話題となった徳島県池田高校でした。
この報徳学園の優勝以降、さらに28年のブランクを経て2002年第74回大会で報徳学園が2回目の優勝を果たしました。戦前の県勢3連覇に比べると戦後は優勝ペースが落ちたものの選抜6回の優勝も神奈川と並んで3位タイを誇ります。
年 | 回 | 学校 |
1919年(大正8年) | 第5回 | 神戸一中(現神戸高校) |
1920年(大正9年) | 第6回 | 関西学院中(現関西学院高等部) |
1923年(大正12年) | 第9回 | 甲陽中(現甲陽学院高校) |
1952年(昭和27年) | 第34回 | 芦屋 |
1977年(昭和52年) | 第59回 | 東洋大姫路 |
1981年(昭和56年) | 第63回 | 報徳学園 |
1993年(平成5年) | 第75回 | 育英 |
夏の甲子園制覇も兵庫県勢は1919年の第5回大会に早々と神戸一中が初優勝を飾ります。意外にも神奈川県勢の初優勝湘南高校と同様に兵庫県勢の初優勝も県内有数の進学校が果たしたものでした。
さらに翌年には兵庫県勢の関西学院中が初優勝、こちらも兵庫県勢による初の連覇を達成します。夏の選手権での同一都道府県勢による連覇は、大阪(大阪桐蔭、履正社)、神奈川(桐蔭学園、東海大相模)、千葉(銚子商、習志野)と兵庫県の1府3県のみが成し遂げています。
3年後には甲陽中が優勝、大会開始後10年以内に3回兵庫勢が優勝、しかもいずれも異なる学校による達成はまさしく野球王国といえる偉業です。この時甲陽中が決勝で対戦した相手和歌山中(現桐蔭高校)は前年、前々年に連覇しており和歌山中の3連覇を阻止しての優勝でした。
戦後には1952年第34回大会で県立芦屋高校が兵庫勢29年ぶりの優勝をもたらしました。芦屋高校は戦後最初の大会に初出場、この時の捕手が左利きの橋本捕手で話題にもなりましたが、昭和30年代まで芦屋高校は選抜、選手権ともに6回の出場を誇る強豪校でした。
ちなみにこの翌年の選抜1953年第25回大会では洲本高校が優勝してますが、夏春の同一都道府県勢による連覇は、愛知(夏中京商、春東邦商)と兵庫の2県のみです。
芦屋高校の優勝から25年後の1977年代59回大会では東洋大姫路が初優勝、決勝戦ではバンビの愛称で人気だった東邦高校の1年生坂本投手を相手に延長10回裏サヨナラ3ランによる劇的な優勝でした。
その4年後の1981年第63回大会は強豪報徳学園が夏の選手権初優勝しました。この時はエースで4番の金村義明投手を擁して、3回戦では2年生荒木大輔投手の早稲田実業、準決勝では工藤公康投手の名古屋電気(現愛工大名電)と好投手を打ち崩しての優勝でした。
決勝戦では優勝を決めた瞬間の金村投手の派手なジャンプが話題となりましたが、金村投手はこの翌日高野連から注意をされたと後に語っています。この年の選抜では報徳学園は金村投手の一人相撲で報徳学園初の1回戦負けを喫したと批判されたので、夏の初優勝で喜びを爆発させるのも当然でしょう。
1993年第75回大会では育英高校が初優勝、戦前には育英商業として準優勝も1回ありましたが、春夏通じて甲子園での初優勝でした。この時の育英は、3回戦で横浜商大(神奈川)、準々決勝で修徳(東東京)、準決勝で市立船橋(千葉)、決勝で春日部共栄(埼玉)と関東の高校を次々と撃破しての優勝でした。
夏の選手権では、兵庫県勢として7回の優勝がありますが、7回とも異なる高校が優勝しているのは兵庫県のみです。さらに同一都道府県勢による春の連覇、夏の連覇、夏春連覇をいずれも達成しているのは兵庫県のみです。なお同一都道府県勢による春夏連覇はどこの都道府県もありません。
順位 | 学校名 | 通算(出場数) | 春(出場数) | 夏(出場数) |
1 | 報徳学園 | 60(36) | 32(21) | 28(15) |
2 | 東洋大姫路 | 33(19) | 13(7) | 20(12) |
3 | 育英 | 28(19) | 11(13) | 17(6) |
4 | 神港橘 | 24(15) | 16(7) | 6(8) |
5 | 明石 | 21(14) | 12(8) | 9(6) |
兵庫県代表校の上位5校までの勝利数ランキングです。やはり報徳学園が断トツの60勝、春2回、夏1回の通算3回の優勝回数も県内最多です。続くのが東洋大姫路で夏は20勝と優勝1回もありますが、春は出場回数7回13勝とやや春に弱い結果となっています。
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兵庫県の強豪といえば東の報徳学園、西の東洋大姫路というイメージがありましたが、通算勝利数でもその通りの結果でした。勝利数は報徳学園と東洋大姫路の差はもっと少ないかと想像していましたが、報徳学園の約半分というのは意外でした。
3位の育英はやはり戦前の草創期から育英商業としても甲子園の常連だったころの勝利数もかなり貢献しています。2005年の選抜を最後に甲子園出場から遠ざかっていますが、激戦区兵庫県でなかなか勝ちきれない期間が続いています。
4位の神港橘も勝利数の多くは戦前のもので特に第一神港商として積み上げた功績が大きいですが、市立神港時代にも1960~70年代に7勝をあげています。
上位5校のうち明石は唯一優勝経験がありませんが、戦前は明石中学として春の選抜の準優勝2回、夏の選手権のベスト4が2回あり、特に1933年第19回大会の中京商業との延長25回の対決は甲子園史上最多の延長回数として歴史にも名を刻んでいます。
優勝経験のある関西学院、甲陽学院、芦屋、洲本、神戸は5位にはランキングしませんでしたが、これらの高校以外にも近年活躍している明石商業や神港学園、尼崎北、滝川二高、神戸国際大付、市立尼崎などとにかく甲子園に出場する高校が次から次へと出てくるのが兵庫県の印象です。
それだけ勝ち抜くのが厳しいのが兵庫県だけあって、都道府県別の春の勝利数171勝は大阪203勝に次いで愛知と2位タイ、夏の勝利数140勝は東京181勝、大阪178勝に次ぐ3位、通算勝利数311勝は大阪に次ぐ堂々の2位です。
優勝回数は3位タイですが、勝利数で2位だけあり甲子園に出場すれば勝つというのが兵庫県の代表校の特徴といえるのではないのでしょうか?
高校野球甲子園大会において出場すれば常に勝つという印象が強い兵庫県勢。特に報徳学園、東洋大姫路といった強豪のみならず時代ごとに強い高校が出場して甲子園でも勝利数を積み重ねてきました。
そんな兵庫県代表校の甲子園での過去の成績をまとめてみました。
兵庫県は報徳学園、東洋大姫路をはじめ8校が甲子園での優勝を達成して全国3位の優勝回数を誇ります。春夏の甲子園大会が開始して間もないころから各年代で優勝をしてきましたが、2002年の選抜の報徳学園以降優勝していません。
ベスト4、ベスト8までは行きますが、その先がやや遠いのが近年の戦績です。特に明石商業は2019年の春夏連続でベスト4に進出、この時の投打の柱2年生エース中森投手と来田選手が残り、2020年春の選抜出場が決定していましたが残念ながら中止となりました。
一気に優勝して選抜と通算の優勝回数を14回とし単独3位にできるか?にも注目していましたが、次回以降の甲子園大会に期待したいところです。
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