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石橋貴明帝京高校時代の面白エピソードや経歴、甲子園経験はあるの?

押忍!帝京高校出身、東武東上線成増在住石橋貴明!で始まるとんねるずのデビュー曲「一気!」。と言ってもかなり昔の曲ですが、この冒頭にあるように帝京高校出身の貴さんこと石橋貴明さんは、強豪帝京高校の野球部出身です。

昔から野球部時代のエピソードを離していましたが、このエピソードが面白すぎて枚挙にいとまがありません。高校時代、甲子園のグラウンドにも立ったことがあるという石橋貴明さんの経歴や面白エピソードを披露したいと思います!

石橋貴明の経歴

石橋貴明さんの経歴は以下のように帝京高校時代は身長が高いだけあって投手でした。

名前 石橋 貴明(いしばし たかあき)
誕生日 1961年(昭和36年)10月22日
投打・ポジション 右投右打投手
出身 東京都板橋区成増
出身校 帝京高校
身長 182㎝
血液型 A型

高校卒業後に帝京高校の同級生でこちらも超名門サッカー部の木梨憲武さんとお笑いコンビを結成。素人参加番組に出演を繰り返し、当時のお笑い界の登竜門「お笑いスター誕生」で10週勝ち抜きグランプリを獲得しました。

以降、プロデビューしてからは「夕やけにゃんにゃん」「みなさんのおかげです」「ねるとん紅鯨団」「オールナイトニッポン」で若者を中心に大人気となり、「雨の西麻布」「ガラガラヘビがやってくる」など数々のヒット曲も生み出しました。

野球経験ということもあってか、貴さんはハリウッド映画の「メジャーリーグ2」「メジャーリーグ3」にも謎の日本人選手「タカ・タナカ」として出演しています。バットを頭で折るなど不思議なキャラクターとして話題にもなりました。

1980年代中盤から2000年代までお笑い界のみならず音楽、映画界でも活躍し続けてきたとんねるず、石橋貴明さんですが、自身の経験から高校野球部時代の話も時々ネタとしていました。特に名門校の超厳しい上下関係ネタを中心に抱腹絶倒のネタが目白押し、いくつか紹介したいと思います。

石橋貴明の帝京高校野球部時代の面白エピソード

元々7歳上のお兄さんが帝京高校野球部にいたことから、自身も帝京高校野球部に入部します。その野球部時代の面白エピソードを紹介します。

攻玉社に「ヨンゼロ」、谷間の世代

貴さんが入学したころは、今でこそ名将と言われる前田三夫監督も就任して間もなく東京大会でもベスト8、ベスト4あたりに顔を出すようになった頃でした。

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貴さんが入学した1977年に帝京高校は夏の東東京都大会で初めて決勝に進みます。この時の対戦相手が当時は荒木大輔選手のお兄さんや中日ドラゴンズで活躍した川又米利さんがいた甲子園の常連校早稲田実業でした。(早稲田実は当時は東東京地区)

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結果は決勝で敗退、甲子園まであと一歩のところで涙をのみますが、当時1年生の貴さんたちも甲子園を現実の目標として日々練習に励みます。すると1年生の秋の大会では東京都大会で準優勝、めでたく選抜甲子園の切符を勝ち取りました。

帝京高校の甲子園初出場となった第50回選抜高校野球大会で、貴さんは大会前の甲子園練習で人生で最初で最後の聖地のグラウンドに立ちました。

2年生夏の東東京大会でも決勝で早実と対戦します。この時は6回終了時点で10対4と帝京が6点リード、スタンドで応援していた貴さんもトイレでチームメイトと「楽勝だぜ」と話していたほどでした。

しかしトイレからスタンドへ戻ると早実打線があれよあれよと息を吹き返し、終わってみれば10-13と逆転負け。甲子園が決まれば居残り組の夏休みの練習が楽になると喜んでいた貴さんたちもがっくりと肩を落とします。

ちなみにこの試合はまだ売れる前のビートたけしさんも観戦したようです。漫才に嫌気がさしてたまたま夏の都大会の決勝を観ていたとのこと。同じ球場にまだ売れる前のビートたけしと石橋貴明が居合わせたというエピソードも驚きです。

さて、その後いよいよ貴さんが最上級生となった夏の予選ではベスト16で攻玉社に0-4で敗退します。貴さんは結局ベンチ入りもできず3年間の高校野球生活を終えます。

引退後の選抜甲子園では、貴さんの1年後輩、後にヤクルトで活躍する伊東昭光投手を擁して準優勝を果たしますが、1年先輩が甲子園初出場、1年後輩は選抜準優勝、貴さんたちの年代は、都大会ベスト16で「攻玉社にヨンゼロ」と見事な谷間世代となったというエピソードです。

結局、選手として甲子園出場はかないませんでしたが、大会前の練習で唯一甲子園のグラウンドにたてたことはささやかな誇りのようです。

帝京の秘密兵器

貴さんがベンチ入りできたのは2年生の秋季大会が唯一で背番号14、サードコーチャー要員でした。この後、3年時の春には調子も良く「俺って東京で一番球速いんじゃない?」と思うほどでした。

遠投でも110mくらいを投げていると、近くを通った前田監督が「おお石橋、おまえ肩強いな~」と驚くほどで、貴さんは「おい、今頃気づいてんじゃねーよ!」と思いながらも夏に向けて万全の状態でした。

しかし夏の大会前、雨の日に「ダッシュしとけ」って監督に言われたにも関わらず練習をさぼってみんなでサッカーをしていました。そこに前田監督が現れますが、ゴールキーパーをしていた貴さんは前田監督が入ってきたことに気づきません。

それを知らず「早く蹴ろよ!」と言ったところ、「お前何やってんだ」と監督に見つかってしまいました。これがきっかけで最後の大会はベンチ入りから外されてしまいます。

エースナンバーも目前だった貴さんは、帝京の秘密兵器とも言われていたが結局秘密のまま夏を終えてしまったと語っています。もしエースになっていたら違う人生を歩んでいたかもしれませんね。

厳しい上下関係と理不尽な結末

今では考えられないかもしれませんが、当時昭和の時代の高校野球部、特に名門校の上下関係は超厳しく、上級生による体罰が当たり前の時代です。当時の帝京高校も例にもれず上下関係が厳しい世界でした。

最初1年生で入学したころの4月くらいは上級生は1年生に優しく、気さくな関係だったそうです。貴さんたちもボールを足で止めてふざけるなど緩んだ雰囲気でした。それが5月くらいになると状況が一変します。

いつもは3年生と一緒に帰る2年生が、ある日3年生だけ帰って2年生は残ったまま。「どうしたんだろ?」と貴さんたち1年生が不思議に思っていると「おい!1年全員正座!」と集合がかかります。

貴さんたちも「どうしちゃったんですか~」なんて馴れ馴れしく2年生に問いかけると、ついさっきまで優しかった2年生の顔つきが一変「おい石橋、早く正座しろよ!」と厳しい返答。

「なんだろうな」と思っておとなしく正座すると、2年生が「1年、お前らちんたらやってんじゃねーよ!」といわゆる「説教」が始まります。この説教とは単なる2年生による1年生に対する体罰ですが、1年生の間はずっと続きました。

1年間ずっとこの説教に耐え続けて、いよいよ貴さんたちは2年生になり新1年生が入部してきます。前年に選抜に出場したこともあって1年生は100人ほど入部、貴さんたち2年生は20人程度でした。

貴さんたちも4月までは1年生に優しく接して、いよいよ5月になると初説教の日が訪れます。この時を待ちわびていた貴さんたち新2年生は、20人程度で100人いる新1年生に説教をします。

上級生の(屈折した)楽しみを味わった2年生は初の説教にご満悦。しかし翌日の練習時間になると前田監督が突然「おい、2年生、昨日お前ら1年生に何をしたんだ?」と問い詰められます。

返答に迷ってある2年生が「1年生に気合い入れてました」と答えるやいなや、前田監督から平手打ち!「2度とやるんじゃねーぞ!」と言われ2年生はしばらく練習も謹慎させられます。

今までは説教を受けても監督には告げ口しなかったのですが、100人もいる1年生の誰かが告げ口をしたようで結局「説教」はこの日をもって禁止となります。体罰が禁止されるのは当然と言えば当然ですが、1年間耐え続けていよいよ上級生の特権を手に入れたつもりがこの理不尽な仕打ちに貴さんたちは絶望を味わいます。

今でこそ笑えない話ですが、当時の面白話として語られるこの上下関係の理不尽な結末は時代を感じさせるエピソードですね。

エール交換を無視!

貴さんが1年生の夏の都大会、ベンチ入りできなかった選手たちがスタンドで応援してたころのエピソードです。この時の対戦相手は高校野球の名門二松学舎付属高校。二松学舎のスタンド応援は、学ランの応援団にチアリーディング、応援歌もありいかにも強豪校らしい華やかなスタンド応援でした。

一方の帝京高校はぼちぼちと強豪校の仲間入りしだしたころで、応援団やチアもない控え選手が大声を張り上げて応援するスタイル。応援団長には貴さんが急遽任命されました。

試合前には二松学舎の応援団長がわざわざ帝京の応援スタンドまで足を運び挨拶。1回表と7回の表裏にエール交換をするのでエールを返してもらうよう石橋団長にお願いして戻っていきました。

いよいよ試合が始まると、二松学舎スタンドから「フレ~、フレ~て・い・きょ・う」とエールが発せられます。エールが終わった二松学舎スタンドは全員整列して提供側スタンドからのエールを待っています。

しかしエール交換を良く知らない帝京側スタンドは、このエールに全く反応しません。結局二松学舎へのエールを送ることもなく試合は進行。そして7回表に二松学舎側から再びエールが送られますが、帝京側は全く無反応。

それどころか「二松学舎なんか目じゃねーよ!」「てめ~ら、ふざけんなよ!」などと激しいヤジを飛ばす始末。この時も二松学舎スタンドはエールの返答をずっと待ち続けますが、最終的にエール交換をしなかった帝京が二松学舎に勝利しました。

試合終了後、二松学舎の応援団長が帝京スタンドに抗議に来まて石橋団長も肝を冷やしたそうですが、険悪なムードになりつつもトラブルなく終わったそうです。

しかし今でこそ当たり前となったエール交換を無視してヤジを飛ばすとはマナー知らずにもほどがあるというものですが、この時のエピソードもつい腹を抱えて笑ってしまいます。

まとめ

とんねるずの石橋貴明さんは高校野球の名門帝京高校の野球部出身だったことは有名な話ですが、当時の野球部時代のエピソードが抱腹絶倒ものでした。テレビやラジオで語っていたエピソードを経歴とともに紹介してきました。

今の名門帝京高校や強豪校には考えられないエピソードですが、どれも当時の時代を表していて本当に面白い話ばかりです。自身も高校野球はよく見るという貴さん、特に閉会式では涙を流してしまうほどの思い入れがあるそうです。

YouTubeチャンネルも開設したということで高校野球ネタもたくさん聞けるかもしれないですね。

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