夏の甲子園は、高等学校野球選手権大会という名の通り予選を勝ち抜いて出場権を獲得することで甲子園大会に出場ができます。一方、選抜大会には選考基準が定められており、選考委員会が出場校を決めています。ここで選考されない限り春の甲子園には出場できません。
この選考基準には技能についての文言もあり、そこには「その年度の全国高校野球選手権終了後より11月30日までの試合並びに実力などを勘案するが、勝敗のみにこだわらずその試合内容などを参考とする」とされています。
さらに「あくまでも予選をもたないことを特色とする。秋の大会は一つの参考資料であって本大会の予選ではない」とも明記されています。
これらによれば、夏の甲子園が終了後の3年生が引退した1、2年生の新チームが始動して11月末までの試合内容などを参考にして選考するが、秋の大会は参考程度で選抜の予選大会ではないとなります。
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ですが、これまでの選考を見る限りでは秋季地区大会の成績がそのまま選抜出場に直結しているケースが圧倒的に多いです。となれば選抜大会に出場するには秋の地区大会で上位進出、2枠の地区なら決勝戦進出、4枠の地区ならベスト4進出が条件となります。
このため選抜大会に連続出場するためには、秋の大会で続けて上位進出しなければなりません。各都道府県で勝ち上がるのも至難ですが、さらにそれらの勝ち抜き校で争う地区大会でもある程度、勝ち上がらなければなりません。
このような厳しい条件を達成して連続出場を重ねた高校の最多回数やランキングについて見てみましょう。
選抜には選考基準があり秋季大会の結果が大きく左右すると言いましたが、実はこの秋季地区大会が始まったのが昭和23年からでこれ以降選抜の選考基準に大きく影響することとなります。
それまでは第2回大会以降は前年優勝校が自動的に選抜(第10回大会で廃止)、一般枠は「過去一年間の試合で最強チームと認められた」学校を選抜していました。このため戦前と戦後では選抜の方法が大きく異なるため、戦前と戦後でわけてみる必要があります。
大正13年の第1回大会は名古屋市にあった山本球場で開催されましたが、第2回以降は前年夏に完成した甲子園球場で開催されるようになりました。第1回大会の参加校数は8校、第2回大会は12校、以降16校での開催が定着しました。
昭和2年は大正天皇の崩御で8校に縮小開催されましたが、昭和8年の第10回記念大会は32校、第9回大会以降戦前最後となる昭和16年第17回大会までは16校から20校へと増えました。
この期間は秋季地区大会が開催される前で各地区から有力校が選考されていたため、多くの学校が連続出場を果たしています。
順位 | 回数 | 学校 | 期間 |
1位 | 13回 | 岐阜商(現県岐阜商) | 第9回(昭和7年)~第21回(昭和24年) |
2位 | 11回 | 和歌山中学(現桐蔭) | 第1回(大正13年)~第11回(昭和9年) |
3位 | 8回 | 静岡中(現静岡) | 第3回(大正15年)~第10回(昭和8年) |
東邦商(現東邦) | 第11回(昭和9年)~第18回(昭和16年) | ||
4位 | 7回 | 平安中(現龍谷大平安) | 第12回(昭和10年)~第18回(昭和16年) |
5位 | 6回 | 高松商 | 第1回(大正13年)~第6回(昭和4年) |
松本商(現松商学園) | 第3回(大正15年)~第8回(昭和6年) | ||
平安中(現龍谷大平安) | 第5回(昭和3年)~第10回(昭和8年) |
戦前の連続出場の最多回数記録は、第9回大会に初出場してから13年連続で出場した岐阜商業(現県岐阜商)の13回連続です。選抜の出場回数でも29回と歴代4位ですが、実にその半数近くをこの時期に達成しています。
この間、第10回、第12回、第17回大会には全国連覇を達成、第16回大会には準優勝しており、トータル優勝回数3回は歴代3位と全て戦前に達成しています。
続いて2位は和歌山中学(現桐蔭)で11年連続で出場しています。和歌山中学は夏の甲子園でも連続出場14回の最多記録を保持しています。和歌山中もこの間、第4回大会に優勝、第5回大会に準優勝しています。
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3位タイには、東海地区の古豪静岡中(現静岡)と東邦商(現東邦)が8回連続で出場しています。静岡中はこの間の優勝、準優勝はありませんが、東邦商は第11回大会に初出場初優勝を果たすと、第16回、第18回に優勝、第15回大会に準優勝と「春の東邦」と言われる礎を築きました。
第10回大会から第18回大会までの9年間、岐阜商、東邦商、愛知商、中京商の東海地区のいずれかの学校が決勝戦に絡む野球王国ぶりを発揮しており、第15回大会は中京商(優勝)と東邦商(準優勝)、第18回大会は東邦商(優勝)と一宮中(準優勝)の同一県決勝対決もありました。
第16回大会は東邦商(優勝)と岐阜商(準優勝)と東海地区勢の決勝戦もあり、東海を制する者が全国を制するという一時代でもありました。
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4位は平安中(現竜谷大平安)が7年連続となりましたが、5位タイにも6年連続でランキングされました。龍谷大平安は選抜の出場回数は41回の歴代1位ですが、意外にも選抜は1回の優勝しかなく準優勝も0回、この間も決勝まで進むことはありませんでした。
龍谷大平安は夏は34回の出場で歴代3位、3回の優勝、4回の準優勝と輝かしい戦績を誇りますが、選抜は2014年第86回大会に初優勝と夏に圧倒的に強い成績となっています。
5位タイには平安のほかに高松商、松本商(現松商学園)の古豪が6年連続でランキング、高松商は第1回大会に優勝、第2回大会に準優勝、松本商も第3回大会に準優勝しています。
高松商は選抜の出場回数は27回と歴代4位ですが、松本商は夏は36回と歴代2位、優勝も1回なのに対して選抜は16回と歴代21位、最高成績の準優勝も2回と夏に強さを発揮しています。
このランキング以外に戦前の5年連続出場は、島田商、中京商(現中京大中京)、明石中、、広陵中、広島商、松山商、下関商といった古豪強豪も名を連ねています。
歴代の出場回数の上位10位にランキングされる高校のうち7校(龍谷大平安、中京大中京、東邦、県岐阜商、高松商、広陵、広島商)がこの時期に5年以上の連続出場を果たしています。
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秋季地区大会が開催されるようになった昭和23年から秋季都道府県大会、地区大会の成績が選考基準に大きく関わるようになり、選抜出場校の連続出場が非常に困難になりました。
加えて戦後の第20回(昭和23年)から第29回(昭和32年)までは代表校は16校から20校と選抜出場は狭き門でした。第31回(昭和33年)から第44回(昭和47年)までは23校から27校、第45回(昭和48年)からは30校まで拡大したものの32校代表校が定着したのは第55回(昭和58年)からでした。
順位 | 回数 | 学校 | 期間 |
1位 | 6回 | 平安(現龍谷大平安) | 第38回(昭和41年)~第43回(昭和46年) |
2位 | 5回 | 北海 | 第32回(昭和35年)~第36回(昭和39年) |
明徳義塾 | 第68回(平成8年)~第72回(平成12年) | ||
広陵 | 第72回(平成12年)~第76回(平成16年) | ||
天理 | 第80回(平成20年)~第84回(平成24年) | ||
大阪桐蔭 | 第92回(令和2年)~第96回(令和6年) | ||
7位 | 4回 | 平安(現龍谷大平安) | 第31回(昭和34年)~第34回(昭和37年) |
豊見城 | 第47回(昭和50年)~第50回(昭和53年) | ||
東北 | 第49回(昭和52年)~第52回(昭和55年) | ||
高知商 | 第51回(昭和54年)~第54回(昭和57年) | ||
星稜 | 第53回(昭和56年)~第56回(昭和59年) | ||
PL学園 | 第56回(昭和59年)~第59回(昭和62年) | ||
福井商 | 第59回(昭和62年)~第62回(平成2年) | ||
帝京 | 第61回(平成元年)~第64回(平成4年) | ||
愛工大名電 | 第74回(平成14年)~第77回(平成17年) | ||
今治西 | 第79回(平成19年)~第82回(平成22年) | ||
履正社 | 第83回(平成23年)~第86回(平成26年) | ||
龍谷大平安 | 第85回(平成25年)~第88回(平成28年) | ||
大阪桐蔭 | 第87回(平成27年)~第90回(平成30年) | ||
敦賀気比 | 第93回(令和3年)~第96回(令和6年) |
1位でも6年連続が最多となる困難さ、平安は歴代出場回数41回の1位だけあって戦前、戦後でも連続出場記録ランキングに顔を出すほどです。
2位タイは5年連続の5校ですが、北海、明徳義塾、広陵、天理、大阪桐蔭と春夏の甲子園の常連校としてお馴染みの顔触れです。さらに7位タイは4年連続で実に14校が名を連ねました。
特筆すべきは大阪の大阪桐蔭、履正社は第82回大会の平成22年からは両校の連続出場、アベック出場を含めてこの両校のどちらかしか出場しておらず、夏の甲子園も制覇、まさしく2強時代が続いています。
史上初の中止となった2020年第92回大会も両校のアベック出場が決まっており。出場回数にもカウントされています。そして第92回大会から第96回大会まで大阪桐蔭は5回連続出場を続けています。
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秋季地区大会での上位進出が条件となるため選抜大会の連続出場は非常に困難ですが、昭和50年代以降連続出場の学校が多くなってきたのは32代表校や記念大会の36校により代表校が増えたのも一因にあるでしょう。
春の選抜甲子園大会の代表校は、前年の秋季都道府県大会、地区大会を勝ち抜いて上位進出することが条件となります。選考基準には秋季大会は参考資料という位置づけとされていますが、事実上この条件が大きく影響しているのは否めません。
このため夏と違って負けが許されるという側面はありますが、代表校も夏より少ない分選抜大会の連続出場は至難の業です。戦前と戦後ではこの秋季地区大会の有無により選考基準が異なります。
戦前の連続出場の最多回数ランキングは
戦後の最多回数ランキングは
となりました。戦前と戦後では最多回数にかなりの差が出る結果となりました。
なお2024年第96回大会まででは、大阪桐蔭が5年連続、敦賀気比の4年連続を継続中です。2025年第97回大会でこの両校が連続出場回数を更新できるのか見ものですね。