名前 | 張本勲(はりもと いさお) |
誕生日 | 1940年(昭和15年)6月19日 |
投打・ポジション | 左投左打・外野手 |
出身 | 広島県 |
出身高校、大学 | 浪華商業(現大体大浪商) |
身長・体重 | 181㎝、85㎏ |
所属球団 | 東映(日拓、日ハム)→巨人→ロッテ |
日本球界を代表する張本勲氏の経歴ですが、広島県出身の在日韓国人二世です。幼少時代には右手に大やけどを負い、戦時中の広島で被爆体験もしています。戦中、戦後で珍しくはないものの生活も貧しく、まさしく逆境だらけの壮絶な幼少時代を過ごしています。
そんなつらい少年時代を送りながらも張本少年は裕福な生活を送るプロ野球選手への憧れを抱き、当初は右利きだったものの火傷で右手が不自由であったため左投げへ転向しています。
中学生時代はエースで4番として広島県大会で優勝の活躍をするも喧嘩など素行も悪く、広島の名門広島商業、広陵高校への入学も素行不良で叶いませんでした。最初は地元の松本商業(現瀬戸内高校)の定時制に入学しますが、定時制で野球する時間がとれないため大阪の名門浪華商業へ転校することになります。
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名門浪商でも4番打者として活躍しますが、3年生時には選抜出場を決めるも一般性の刑事事件で出場辞退します。同年夏にも大阪予選を優勝して甲子園出場を決めますが、今度は部内の暴力事件に巻き込まれ張本選手は休部扱い、チームは甲子園出場するも試合に出ることはできませんでした。
転校、出場辞退といった激動の高校時代を終えて、1959年東映フライヤーズに入団します。この後、東映フライヤーズは日拓ホームフライヤーズ、日本ハムファイターズと身売りされますが、1975年オフに張本氏は憧れの巨人へ移籍、さらに1980年にはロッテへ移籍後、1981年に現役を引退します。
引退後は監督のオファーを受け取こともありますが、結局ユニフォームを着ることはなく野球解説者として過ごします。1982年の韓国プロ野球発足に尽力し、1990年には野球殿堂入りも果たしました。
そして2000年ころからTBSのTV番組サンデーモーニングの週刊ご意見番のコメンテーターとして現在に至ります。現役時代は数々の輝かしい成績をおさめ、引退後は球界のご意見番として長きにわたり野球界に貢献してきた張本氏の生涯成績について見てみましょう!
日本プロ野球界の通算安打記録3085安打や史上唯一の通算500本塁打300盗塁、さらに通算で唯一となる3割300本塁打300盗塁のトリプルスリーといった大記録を保持する張本勲氏の経歴についてみてみましょう!
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 打率 |
1959 | 東映 | 125 | 454 | 418 | 115 | 57 | 13 | .275 |
1960 | 106 | 414 | 384 | 116 | 56 | 16 | .302 | |
1961 | 129 | 526 | 473 | 159 | 95 | 24 | .336 | |
1962 | 133 | 568 | 472 | 157 | 99 | 31 | .333 | |
1963 | 150 | 626 | 529 | 148 | 96 | 33 | .280 | |
1964 | 129 | 547 | 461 | 151 | 72 | 21 | .328 | |
.1965 | 132 | 538 | 455 | 133 | 88 | 23 | .292 | |
1966 | 122 | 493 | 443 | 146 | 90 | 28 | .330 | |
1967 | 120 | 499 | 414 | 139 | 88 | 28 | .336 | |
1968 | 114 | 432 | 363 | 122 | 65 | 24 | .336 | |
1969 | 129 | 557 | 480 | 160 | 67 | 20 | .333 | |
1970 | 125 | 537 | 459 | 176 | 100 | 34 | .383 | |
1971 | 128 | 546 | 480 | 150 | 78 | 26 | .313 | |
1972 | 127 | 548 | 472 | 169 | 89 | 31 | .358 | |
1973 | 128 | 550 | 441 | 143 | 93 | 33 | .324 | |
1974 | 120 | 491 | 406 | 138 | 62 | 14 | .340 | |
1975 | 119 | 473 | 410 | 113 | 46 | 15 | .276 | |
1976 | 巨人 | 130 | 574 | 513 | 182 | 93 | 22 | .355 |
1977 | 122 | 493 | 440 | 153 | 82 | 24 | .348 | |
1978 | 115 | 456 | 424 | 131 | 73 | 21 | .309 | |
1979 | 77 | 255 | 228 | 60 | 32 | 8 | .263 | |
1980 | ロッテ | 102 | 370 | 341 | 89 | 39 | 12 | .261 |
1981 | 70 | 175 | 160 | 35 | 16 | 3 | .219 | |
通算 | 2752 | 11122 | 9666 | 3085 | 1676 | 504 | .319 |
日米通算安打数の記録はイチロー選手の4,367安打ですが、通算3,085安打は日本プロ野球記録で2位の野村克也氏の2,901安打を100本以上引き離しての記録です。
タイトルは、主要部門では首位打者7回(表中赤字)は日本タイ記録、これ以外に最高出塁数9回、シーズン最多安打3回があります。さらに新人王(1959年)、MVP1回(1962年)、ベストナイン16回の表彰があります。
もっともすごいのは通算504本塁打で歴代7位と500本塁打以上を放って300盗塁を記録している唯一の選手で、これに次ぐ記録では秋山幸二選手の通算437本塁打、303盗塁くらいです。本塁打と盗塁を量産するのがいかに難しいかがわかります。
ONの王貞治氏、長嶋茂雄氏、そして野村克也氏と並ぶ日本球界を代表する打者として立派な成績を残しています。「喝!」といえるのもうなずけますね。
とにかく幼いころからの逆境をはねのけて稀代の大打者まで上り詰めるという精神力は相当なものだと思います。そんなタフな精神力をもったハリさんならではの逸話、エピソードも紹介します。
僕自身も毎回楽しみにしているサンデーモーニングの「週刊ご意見番」ですが、やはりハリさんの「あっぱれ」「喝!」は日曜の朝には欠かせません。特に異様にメジャーリーグを嫌うコメントややや時代錯誤的なコメントもないわけではないですが、「ハリさんが言うなら」と妙に説得力を感じてしまいます。
そんな張本勲さんがいかにものすごいプレーヤーだったか、幼少期の逆境を乗り越えて大選手まで上り詰めたタフな精神力を知ればハリさんのコメントには重みがあると感じてしまいます。
張本勲氏の経歴、生涯成績がいかにすごいか?そして数々の逸話について紹介しました。
プロ野球界のレジェンドとしてのハリさんの偉業、そして意外な一面を知れば今後も「あっぱれ」「喝!」が楽しくご覧になれるのではないでしょうか?時に批判をあびることもあるかと思いますが、まだまだ野球界、スポーツ界を盛り上げていただきたいと思います。