阿部慎之助選手は、2000年に逆指名ドラフト1位で読売巨人軍に入団し入団1年目から1軍出場を果たしました。プロフィールについて見ていきましょう。
名前 | 阿部慎之助(あべ しんのすけ) |
誕生日 | 1979年(昭和54年)3月20日 |
投打・ポジション | 右投左打・捕手、一塁手 |
出身 | 千葉県 |
出身高校、大学 | 安田学園高校(千葉)、中央大学 |
身長・体重 | 180㎝、97㎏ |
ドラフト年、順位 | 2000年1位(逆指名) |
阿部選手の出身は千葉県で、阿部選手のお父さんは習志野高校野球部時代にミスタータイガース掛布雅之氏とクリーンナップを組み、掛布選手が3番、お父さんが4番で甲子園にも出場もしています。
阿部選手は安田学園高校時代に通算38塁打を記録、お父さんの母校でもある中央大学へ進学、3年生の秋に東都リーグの1部昇格を果たし2000年9月の4年生時にシドニーオリンピックの代表にも選ばれています。
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2000年11月のドラフト会議では逆指名の1位でジャイアンツに入団、以降19年間チームの主力として活躍しました。阿部選手の通算成績について早速見てみましょう!
2000年に入団し2001年の1年目から1軍出場しています。2019年までの通算19年間の成績を見ていきましょう。
年度 | 試合 | 打席 | 打数 | 安打 | 打点 | 本塁打 | 打率 |
2001 | 127 | 428 | 386 | 87 | 44 | 13 | .225 |
2002 | 127 | 511 | 446 | 133 | 73 | 18 | .298 |
2003 | 94 | 371 | 314 | 95 | 51 | 15 | .303 |
2004 | 108 | 436 | 379 | 114 | 78 | 33 | .301 |
2005 | 130 | 534 | 476 | 143 | 86 | 26 | .300 |
2006 | 129 | 497 | 452 | 133 | 56 | 10 | .294 |
2007 | 140 | 580 | 499 | 137 | 101 | 33 | .275 |
2008 | 125 | 484 | 428 | 116 | 67 | 24 | .271 |
2009 | 123 | 462 | 409 | 120 | 76 | 32 | .293 |
2010 | 140 | 569 | 498 | 140 | 92 | 44 | .281 |
2011 | 114 | 437 | 390 | 114 | 61 | 20 | .292 |
2012 | 138 | 556 | 467 | 159 | 104 | 27 | .340 |
2013 | 135 | 529 | 422 | 125 | 91 | 32 | .296 |
2014 | 131 | 526 | 459 | 114 | 57 | 19 | .248 |
2015 | 111 | 419 | 343 | 83 | 47 | 15 | .242 |
2016 | 91 | 387 | 335 | 104 | 52 | 12 | .310 |
2017 | 129 | 512 | 455 | 119 | 76 | 15 | .262 |
2018 | 95 | 223 | 198 | 49 | 46 | 11 | .247 |
2019 | 95 | 192 | 158 | 47 | 27 | 7 | .297 |
通算 | 2282 | 8653 | 7514 | 2132 | 1285 | 406 | .284 |
2001年の入団1年目の開幕戦となる阪神戦で新人捕手として開幕スタメンを勝ち取ると、その試合でいきなり初打席初安打初打点となる4打点をあげます。1年目は規定打席には届かなかったものの13本塁打を記録、新人捕手としての2桁本塁打は田淵幸一氏以来2人目となりました。
翌シーズンの2002年は規定打席にも到達しベストナイン、ゴールドグラブを受賞、2003年は故障もあり規定打席に届かずも打率.303を記録しオールスターゲームにも初出場しました。
2004年には巨人捕手として史上初の33本塁打を記録、打率も.301とクリーンナップとして定着、2007年にはジャイアンツの第18代主将、第72代4番を務め、以降ジャイアンツの顔として、また球界を代表する捕手として安定した成績をおさめていきます。
2008年の北京オリンピック、2009年のワールドベースボールクラシックでは日本代表に選出、チームも2007年から2009年までセリーグを3連覇し、自身も2009年の日本シリーズMVPを受賞するなど選手としての絶頂期を迎えます。
2010年は10年連続2桁本塁打、2012年は首位打者、打点王、最高出塁率のタイトルも獲得、正力松太郎賞、リーグMVPと最高潮、2013年のワールドベースボールクラシックでは正捕手、主将、4番として日本代表をけん引、チームでも2012年から2014年までのリーグ3連覇に大きく貢献しました。
2015年からは一塁手へコンバート、捕手も兼任しますが打撃成績はふるわず、2016年は開幕二軍、捕手としての出場機会も0でした。それでも2017年には通算2000本安打を達成、2018年は開幕スタメンから外れましたが、入団1年目からの18年連続2桁本塁打を達成、清原和博、張本勲に次ぐ歴代3位となります。
2019年は代打での出場が多くなりますが、通算406本塁打を達成、ジャイアンツの400本塁打達成者は王貞治、長嶋茂雄氏に次ぐ3人目、捕手としての400本塁打は野村克也、田淵幸一に次ぐ史上3人目と日本球界の歴代を代表する捕手となりました。
しかしこの年に引退を発表、9月27日の東京ドームでの引退試合では本塁打を放ち、この年の日本シリーズにも全試合に出場、最後までチームをけん引しました。2020年からはジャイアンツの2軍監督に就任しました。
阿部選手は2000年に契約金1億円+出来高5,000万円、年俸1,300万円で入団契約しました。現役19年間での生涯年俸、年俸推移を見てみましょう。
年度 | 年俸(推定) |
2001 | 1,300万円 |
2002 | 3,800万円 |
2003 | 7,800万円 |
2004 | 7,500万円 |
2005 | 1億2,000万円 |
2006 | 1億4,000万円 |
2007 | 1億4,000万円 |
2008 | 2億4,000万円 |
2009 | 2億7,000万円 |
2010 | 3億5,000万円 |
2011 | 4億円 |
2012 | 4億円 |
2013 | 5億7,000万円 |
2014 | 6億円 |
2015 | 5億1,000万円 |
2016 | 3億2,600万円 |
2017 | 2億6,000万円 |
2018 | 2億1,000万円 |
2019 | 1億6,000万円 |
通算 | 49億3,000万円 |
2001年に入団1年目で1軍昇格を果たし翌年の年俸は一気に約3倍の3,800万円になりました。初のベストナイン、ゴールデングラブ賞に選出された2002年の翌年の年俸は倍増以上の7,800万円、入団5年目には1億円突破の1億2,000万円となります。
2度目のベストナインに輝いた2007年の翌年は1億円増の2億4,000万円、以降2014年まで8年連続でベストナイン、ゴールデングラブ賞も2008年、2013年、2014年に受賞し2014年には最高年俸6億円まで順調に伸ばしていきました。
しかし2015年にダウンの5億1,000万円となると2019年まで5年連続のダウンで引退年は1億6,000万円となりましたが、年俸総額は49億3,000万円とメジャー経験のない日本人選手としては破格のものとなっています。
阿部選手がもしメジャー挑戦していたらもっと稼いでいたのではないでしょうか?
2019年で現役引退後、2020年からはジャイアンツの2軍監督に就任しました。背番号は80、恩師の原監督の現役時代の「8」と自身の背番号「10」を合わせたものです。
原監督が1999年に長嶋監督の下で1軍野手総合コーチとして就任した時の背番号も80でした。歴史に残る名将としてのスタートを歩みだしたときと同じ背番号です。将来の1軍監督を見据えての球団の期待の表れでしょう。
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主将、4番打者、内野の要としてジャイアンツを引っ張ってきたあの大きな背中で2軍選手を鍛え上げ、やがては原監督に次ぐ名将となる日が来るのではないでしょうか。
2019年に現役引退しジャイアンツの2軍監督に就任した阿部慎之助選手の通算成績、年俸総額、年俸推移を紹介してきました。
2001年の入団1年目で開幕スタメン、年間13本塁打で新人捕手としての2桁本塁打は田淵幸一氏以来2人目
2004年には巨人捕手として史上初の33本塁打を記録
2007年にはジャイアンツの第18代主将、第72代4番を務める
2008年の北京オリンピック、2009年、2013年のワールドベースボールクラシックでは日本代表に選出
2010年は10年連続2桁本塁打、2012年は首位打者、打点王、最高出塁率のタイトルと正力松太郎賞、リーグMVPを受賞
2017年には通算2000本安打を達成、2018年は入団1年目からの18年連続2桁本塁打を達成、清原和博、張本勲に次ぐ歴代3位
通算406本塁打とジャイアンツの400本塁打達成者は王貞治、長嶋茂雄氏に次ぐ3人目、捕手としての400本塁打は野村克也、田淵幸一に次ぐ史上3人目
ジャイアンツのみならず日本球界を代表する歴代の名捕手阿部慎之助選手は名実ともに最高峰のスタープレーヤーでした。2020年からは指導者の道を歩むことになりましたが、歴代の名将原辰徳監督のコーチ時代の背番号80を継承して名選手名監督となるのか今後に期待です!