プロ野球のドラフト制度は1965年にスタートし50年以上の長い歴史があります。いろんな問題、課題を抱え解決しながら現在に至ります。大きく変わったのは93年から採用された逆指名制度、さらに2005年から高校と大学・社会人枠の分離開催、そして現在は高校と大学・社会人枠を一括とする元の指名制度に戻っています。
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さまざまな変遷を経て現在に至るドラフト制度ですが、巨人のドラフト1位選手には過去どんな選手がいたでしょうか?早速見ていきましょう!
1965年の第1回から1992年の第28回までは、基本的に1位指名して重複する球団があれば抽選、2位以降はウェーバー方式(前年の下位球団から指名、次の指名順位は上位球団から指名を繰り返し、抽選せずに指名権獲得)という現在の方式にほぼ近い形でドラフト指名会議が行われました。
ただし第3回から第13回は予備抽選方式で指名順をあらかじめ決定、指名順に指名権獲得となったため1位指名の競合抽選は行われませんでした。1993年からは逆指名制度が導入されていますので、この前年の1992年までのドラフト1位選手を見ていきましょう。
回 | 年 | 選手名 | 年齢 | 最終出身 | 備考 |
1回 | 1965年 | 堀内恒夫投手 | 18 | 甲府商高 | 抽選なし |
2回 | 1966年 | 山下司内野手 | 18 | 伊野商高 | 外れ1位 |
3回 | 1967年 | 高田繁外野手 | 22 | 明治大 | 予備抽選で指名順を決定したため競合抽選はなし |
4回 | 1968年 | 島野修投手 | 18 | 武相高 | |
5回 | 1969年 | 小坂敏彦投手 | 22 | 早稲田大 | |
6回 | 1970年 | 湯口敏彦投手 | 18 | 岐阜短大付高 | |
7回 | 1971年 | 横山忠夫投手 | 22 | 立教大 | |
8回 | 1972年 | 中井康之投手 | 18 | 西京商高 | |
9回 | 1973年 | 小林秀一投手 | 18 | 愛知学院大 | |
10回 | 1974年 | 定岡正二投手 | 18 | 鹿児島実業高 | |
11回 | 1975年 | 篠塚利夫内野手 | 18 | 新日鉄広畑 | |
12回 | 1976年 | 藤城和明投手 | 20 | 琴丘高 | |
13回 | 1977年 | 山倉和博捕手 | 22 | 早稲田大 | |
14回 | 1978年 | 会議欠席 | |||
15回 | 1979年 | 林泰宏投手 | 18 | 市尼崎高 | 外れ1位 |
16回 | 1980年 | 原辰徳内野手 | 22 | 東海大 | 4球団競合 |
17回 | 1981年 | 槇原寛己投手 | 18 | 大府高 | 抽選なし |
18回 | 1982年 | 斎藤雅樹投手 | 18 | 市川口高 | 外れ1位 |
19回 | 1983年 | 水野雄仁投手 | 18 | 池田高 | 抽選なし |
20回 | 1984年 | 上田和明内野手 | 22 | 慶応大 | 外れ1位 |
21回 | 1985年 | 桑田真澄投手 | 18 | PL学園高 | 抽選なし |
22回 | 1986年 | 木田優夫投手 | 18 | 日大明誠高 | 外れ1位 |
23回 | 1987年 | 橋本清投手 | 18 | PL学園高 | 抽選なし |
24回 | 1988年 | 吉田修司投手 | 21 | 北海道拓殖銀行 | 外れ1位 |
25回 | 1989年 | 大森剛内野手 | 22 | 慶応大 | 抽選なし |
26回 | 1990年 | 元木大介内野手 | 19 | 上宮高 | 抽選なし |
27回 | 1991年 | 谷口功一投手 | 18 | 天理高 | 外れ1位 |
28回 | 1992年 | 松井秀喜内野手 | 18 | 星稜高 | 4球団競合 |
第1回のドラフト1位指名は大投手堀内恒夫投手でした。巨人V9時代の大エースで通算203勝で名球会入り、日本シリーズでも歴代1位の通算勝利数11勝でのちに巨人軍の監督まで務め参議院議員にもなりました。
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第3回のドラフト1位選手は高田繁選手でV9時代の中心的選手で主に外野手として活躍しました。高田氏は後に日本ハム、ヤクルトで監督を務め日本ハム、DeNAではGM(ゼネラルマネージャー)に就任しています。
第10回の定岡正二投手、第11回の篠塚利夫選手、第13回の山倉和博捕手は当時のジャイアンツの主力として活躍しました。
第14回は今でも語り草の江川投手の「空白の1日事件」によるものです。前年のクラウンの1位指名を断った江川投手とクラウンとの交渉期限が切れた日の翌日、この年のドラフト会議の前日(空白の1日)に江川投手と巨人が契約しましたが、セリーグがこの契約を無効としたことに不服の巨人がドラフトを欠席したものです。
第16回の原辰徳選手は、大洋、日ハム、広島と巨人の4球団で競合、当時の藤田監督が見事当たりくじを引き当てました。原選手は新人王に輝くとともに巨人の4番打者として活躍、後に巨人の監督として8度のリーグ優勝を達成するなど名監督でもあります。
第17回から23回までは第20回の上田選手を除き全て高卒の投手がドラフト1位でした。槇原選手、斎藤選手、水野投手、桑田投手、木田投手、橋本投手といずれの投手もチームの主力として活躍、先発3本柱の槇原、斎藤、桑田投手に中継ぎの水野、木田、橋本投手は当時の盤石の投手陣でした。
いずれの選手も競合なく単独指名となりましたが、早稲田大学進学を表明していた桑田投手を単独一本釣りした時は、巨人入りを熱望し巨人と相思相愛とされていた同じPL学園のチームメイト清原和博選手を指名せず桑田選手を指名したことで物議をかもしました。
また第25回は当時高校野球界のスーパースターでスラッガーの元木選手と相思相愛とされていましたが、慶応大学の大森選手を指名。元木選手はダイエーに1位指名されるも入団拒否、1年間の浪人生活を経て翌年の第26回で無事1位指名されました。
第28回の松井秀喜選手は、原選手同様4球団競合の末、当時の長嶋監督が見事当たりくじを引き当てました。松井選手は言わずと知れた巨人の4番打者、その後メジャーリーグのヤンキースでも大活躍するほどの選手となり、長嶋監督と同時に国民栄誉賞を受賞することになります。
ここまでの巨人のドラフト1位指名選手は多くの選手が活躍していますが、実は外れ1位の選手も多くくじ引きの結果は決して良いものではありません。しかしともに4球団競合のくじを引き当てた原選手、松井選手は巨人軍の顔として球界をも代表する選手となりました。
ここ1番のくじ引きでスーパースターを引き当てるあたり何か運命めいたものがあるのを感じてしまいます。
第29回の1993年からは、球団が1位、2位で指名する大学、社会人選手に限り、選手側が希望球団を選べる逆指名制度が導入されました。高校卒の選手は従来通り1位で競合した場合に抽選が行われましたが、比較的無風なドラフト会議となります。
2001年からは自由獲得枠として大学、社会人選手を2名まで指名可能、2名指名すると1~3巡目まで指名できず1名指名の場合は1,3巡目のみ指名、0名の場合は2巡目のみ指名できない制度に変わります。さらに2005年からは高校と大学・社会人枠が分離され2007年まで続きました。
この期間の巨人のドラフト1位指名選手にはどんな選手がいるでしょうか?
回 | 年 | 選手名 | 年齢 | 最終出身 | 備考 |
29回 | 1993年 | 三野勝大投手 | 22 | 東北福祉大 | 抽選なし |
30回 | 1994年 | 河原純一投手 | 22 | 駒澤大 | 抽選なし |
31回 | 1995年 | 原俊介捕手 | 18 | 東海大相模高 | 外れ1位 |
32回 | 1996年 | 入来祐作投手 | 24 | 本田技研 | 抽選なし |
33回 | 1997年 | 高橋由伸外野手 | 22 | 慶応大 | 抽選なし |
34回 | 1998年 | 上原浩治投手 | 23 | 大阪体育大 | 抽選なし |
35回 | 1999年 | 高橋尚成投手 | 24 | 東芝 | 抽選なし |
36回 | 2000年 | 阿部慎之助捕手 | 22 | 中央大 | 抽選なし |
37回 | 2001年 | 真田裕貴投手 | 18 | 姫路工高 | 外れ1位 |
38回 | 2002年 | 木佐貫洋投手 | 22 | 亜細亜大 | 抽選なし |
39回 | 2003年 | 内海哲也投手 | 21 | 東京ガス | 抽選なし |
40回 | 2004年 | 野間口貴彦投手 | 21 | シダックス | 抽選なし |
41回 | 2005年 | 福田聡志投手 | 22 | 東北福祉大 | 希望枠1巡 |
辻内崇伸投手 | 18 | 大阪桐蔭高 | 高校枠、2球団競合 | ||
42回 | 2006年 | 金刃憲人投手 | 22 | 立命館大 | 希望枠1巡 |
坂本勇人 | 18 | 光星学院高 | 高校枠、外れ1位 | ||
43回 | 2007年 | 村田透投手 | 22 | 大阪体育大 | 大・社1巡、外れ1位 |
藤村大介内野手 | 18 | 熊本工高 | 高校枠、外れ1位 |
逆指名で1位指名された選手の中でも、第33回の高橋由伸選手、第34回の上原浩治投手、第35回の高橋尚成投手、第36回の阿部慎之助捕手は4年連続で大成功と言えるドラフト指名でした。
高橋由伸選手は、松井選手とともに巨人のクリーンナップを任され強力打線の中心選手として活躍、巨人の監督も務めました。上原投手、高橋尚成投手は左右のエースとして投手の柱として貢献、後に2人ともメジャーリーグで活躍しました。阿部捕手は強肩強打の正捕手として巨人の投手陣をけん引、名球会入りも果たしています。
その後も第39回の内海投手は巨人のエースとして活躍、42回の高校枠坂本選手は今や球界を代表するスーパースターとして現役で活躍しています。
巨人に逆指名で入団するだけの選手ですのでその実績は輝かしい選手が多いですが、高卒の選手は坂本選手以外は目覚ましい成績を残すことができなかったように思います。
逆指名制度ですので必然的に大学、社会人が多くなりましたが、高校枠での外れ1位が相変わらず多くくじ運が悪いという印象が強いです。1位指名の競合で当たりくじを引き当てたのが第41回の辻内投手のみという相性の悪さです。くじ運だけはどうしようもないですね。
2008年からは、大学・社会人枠と高校生枠が撤廃され制度スタート当初の一括会議に戻りました。逆指名がなくなりすべての選手が1位指名で競合されれば抽選というスタイルとなりました。
回 | 年 | 選手名 | 年齢 | 最終出身 | 備考 |
44回 | 2008年 | 太田泰示内野手 | 18 | 東海大相模 | 2球団競合 |
45回 | 2009年 | 長野久義外野手 | 25 | Honda | 抽選なし |
46回 | 2010年 | 澤村拓一投手 | 22 | 中央大 | 抽選なし |
47回 | 2011年 | 松本達也投手 | 18 | 英明高 | 外れ1位 |
48回 | 2012年 | 菅野智之投手 | 23 | 東海大 | 抽選なし |
49回 | 2013年 | 小林誠司捕手 | 24 | 日本生命 | 外れ1位 |
50回 | 2014年 | 岡本和真内野手 | 18 | 智辯学園高 | 抽選なし |
51回 | 2015年 | 桜井俊貴投手 | 22 | 立命館大 | 抽選なし |
52回 | 2016年 | 吉川尚輝内野手 | 22 | 中京学院大 | 外れ1位 |
53回 | 2017年 | 鍬原拓也投手 | 22 | 中央大 | 外れ1位 |
54回 | 2018年 | 高橋優貴投手 | 22 | 八戸学院大 | 外れ1位 |
55回 | 2019年 | 堀田賢慎投手 | 18 | 青森山田高 | 外れ1位 |
56回 | 2020年 | 平内龍太投手 | 22 | 亜細亜大 | 外れ1位 |
第44回以降の1位選手も活躍した選手が多くいます。第44回の太田選手は2球団競合の末に当たりくじを引き当てましたが、なかなか一軍で好成績を上げられず2017年からはトレードにより日本ハムへ移籍、日本ハムに行ってからは規定打席にも到達、主力として活躍しています。
45回の長野選手は2006年に日ハム4巡目、2008年にロッテ2巡目で指名されるも入団拒否、3度目の正直で巨人が1位単独指名で獲得しました。長野選手は2019年に巨人へFA入団した丸選手の人的補償として広島に移籍し、広島でも活躍してます。
第46回の澤村投手も巨人入りを熱望したため他球団も指名回避、巨人が2年連続で1位単独指名に成功しました。ここ数年はケガに悩まされてはいましたが、かつてはセーブ王も獲得し現在は中継ぎとして活躍しています。
しかし48回のドラフト1位指名は、巨人入りを熱望していた原監督の甥東海大菅野投手を指名しますが、日本ハムも1位指名したため抽選となり結局日本ハムが交渉権を獲得しました。菅野投手は断固として入団を拒否し、翌年48回のドラフトで巨人に1位指名されました。
49回は外れ1位ながら小林捕手を獲得、巨人の正捕手の座をつかみつつあります。以降の1位指名でも岡本選手、桜井投手、吉川選手、高橋優勝貴投手も若手ながら巨人の中心選手に育ちつつあります。
ここでも際立つのが外れ1位の多さです。大学・社会人も抽選対象となったため抽選の機会は増えましたが、太田選手以外の競合選手は全て外し、52回以降は5年連続で抽選を外しています。
巨人のドラフト1位指名選手の活躍ぶりも大したものですが、それ以上にくじ運の悪さも際立っています。実際どれくらいくじ運が悪いのでしょうか?続いて見てみましょう!
過去56回のドラフト会議において巨人が1位競合した回数は23回あります。このうち見事当たりくじを引いたのは4回です。この4回は
のみとなります。残り18回で外した選手は
回 | 年 | 指名選手名 | 最終出身 | 競合球団 | 交渉権 |
2回 | 1966年 | 江夏豊投手 | 大阪学院高 | 阪神、東映、阪急 | 阪神 |
15回 | 1979年 | 木田勇投手 | 日本鋼管 | 日ハム、大洋 | 日ハム |
18回 | 1982年 | 荒木大輔投手 | 早稲田実高 | ヤクルト | ヤクルト |
20回 | 1984年 | 竹田光訓投手 | 明治大 | 大洋、中日 | 大洋 |
22回 | 1986年 | 阿波野秀幸投手 | 亜細亜大 | 大洋、近鉄 | 近鉄 |
24回 | 1988年 | 川崎憲次郎投手 | 津久見高 | ヤクルト | ヤクルト |
27回 | 1991年 | 若田部健一投手 | 駒澤大 | ダイエー、広島、西武 | ダイエー |
31回 | 1995年 | 福留孝介内野手 | PL学園高 | 近鉄、中日、日ハム、ロッテ、オリックス、ヤクルト | 近鉄 |
37回 | 2001年 | 寺原隼人投手 | 日南学園高 | ダイエー、中日、横浜 | ダイエー |
42回 | 2006年 | 堂上直倫内野手 | 愛工大名電高 | 中日、阪神 | 中日 |
43回 | 2007年 | 佐藤由規投手 | 仙台育英高 | ヤクルト、楽天、中日、横浜 | ヤクルト |
大場翔太投手 | 東洋大 | ソフトバンク、オリックス、横浜、阪神、日ハム | ソフトバンク | ||
47回 | 2011年 | 菅野智之投手 | 東海大 | 日ハム | 日ハム |
49回 | 2013年 | 石川歩投手 | 東京ガス | ロッテ | ロッテ |
52回 | 2016年 | 田中正義投手 | 創価大 | ソフトバンク、ロッテ、日ハム、広島 | ソフトバンク |
53回 | 2017年 | 清宮幸太郎内野手 | 早稲田実高 | 日ハム、ロッテ、ヤクルト、楽天、阪神、ソフトバンク | 日ハム |
54回 | 2018年 | 根尾昴内野手 | 大阪桐蔭高 | 中日、日ハム、ヤクルト | 中日 |
55回 | 2019年 | 奥川恭伸投手 | 星稜高 | ヤクルト、阪神 | ヤクルト |
56回 | 2020年 | 佐藤輝明内野手 | 近畿大 | 阪神、ソフトバンク、オリックス | 阪神 |
以上となりますが、2球団競合が4回、3球団競合が5回、4球団競合が5回、5球団競合が2回、6球団競合が2回、7球団競合が1回でした。なお当たりを引いた時の競合球団数は、原選手、松井選手が4球団、辻内選手、太田選手が2球団です。
単純に2球団競合では6回中2回、4球団競合では7回中2回ですので2球団競合での確率が3分の1とやや勝率は悪いですが、4球団では逆に3.5分の1と勝率は若干良いです。しかし3球団競合は5回中0回、5球団以上の競合は確率がかなり低くなるとは言え1回も当たりがありません。
特に巨人が競合する球団でソフトバンク(ダイエー)、ヤクルト、日ハムとの相性が悪く、4球団以上の競合では松井選手の時はソフトバンクと競合して当たりくじを引きましたが、これ以外はソフトバンクに4回当たりを持っていかれています。また2球団の競合ではヤクルトに0勝2敗と当たりくじをさらわれています。
2球団競合、3球団競合での当たりが少ないのでくじ運は悪いというのもあながち外れてはいないと言えそうです。しかし外れ1位の競合でも2019年宮川哲選手、2018年辰巳涼介選手、2017年村上宗隆選手、2016年佐々木千隼選手と4年連続で外すという点からいえば筋金入りのくじ運の悪さです。
ここまでのドラフト指名選手を見る限り憧れの巨人軍への入団を熱望する選手が圧倒的に多い中、このドラフト1位指名を蹴った選手が過去にいます。巨人のドラフト史上1位指名を蹴った選手は1人しかいません、1973年の第9回ドラフト1位指名選手小林秀一選手です。
小林秀一選手とは、熊本県の八代第一高校(現秀岳館)から愛知学院大学へ進学し投手として活躍しました。4年生時の全日本大学野球選手権大会で早稲田大戦で完封、準優勝に大きく貢献して、即戦力の右のアンダースローとしてプロの注目を浴びました。
そして同年のドラフト会議で巨人に1位指名されますが、入団拒否します。小林投手は予定通り熊谷組に就職し、翌年の都市対抗野球大会でも活躍します。結局、熊谷組には8年間在籍した後、母校の愛知学院大の野球部監督に就任しました。
同大学の野球部監督として愛知大学野球リーグでは15年間で12度のリーグ優勝を果たし、準教授として教壇にも立っています。
小林投手が入団拒否した背景には、当時のプロアマ規定が影響しているようです。プロ野球経験者が引退後にアマチュア野球の指導者になろうとしても当時は制約が大きく、特に高校生以上の指導者になるのはかなり困難でした。
アマチュア野球の指導者になることも視野に入れていた小林投手はこのためプロ入りには消極的だったようですが、それでもプロ入りに気持ちは揺れていたようです。しかし巨人に指名されれば入団するのが当たり前という球団側のおごりを嫌がった小林投手は結局断る決心がついたようです。
今では考えられないドラフト1位指名の拒否ですが、当時のプロアマの関係といった時代背景が大きく影響したケースでしょう。この年の巨人は2位指名、3位指名の選手も入団拒否しています。1位指名以外の選手の入団拒否はこれまでもいくつかはありましたが、巨人のドラフト1位指名の入団拒否は小林投手が唯一でした。
読売巨人軍の歴代ドラフト1位選手について紹介してきましたが、実に多くの選手が活躍しています。代表的な選手は、
など多くのスター選手を輩出する一方で、くじ運が悪いのでは?という疑問も本当か検証してみました。
などくじ運は悪いといえます。
また過去に巨人の1位指名を蹴った唯一の選手が愛知学院大の小林秀一投手でした。
ドラフトの歴史も50年以上となればいろいろなエピソードがありますが、巨人の1位指名選手は活躍する選手が多い一方でくじ運はなかなか悪いと言えそうです。しかし確率の問題ですから、この先当たりを引くことが増えるかもしれません。
そういう点では2020年はそろそろ当たりを引くのではという思惑があって佐藤輝明選手にあえて競合を覚悟で指名したのかもしれないですね。結局5年連続で外してしまいましたが、2021年以降の巨人のドラフト戦略と抽選にも注目したいですね!