プロ野球の打者成績、打撃部門の主要部門とは打率、本塁打、打点の3部門を指します。この主要3部門でトップの成績、すなわちこの3タイトルを獲得した選手が三冠王の達成者となります。
タイトル1つでも大変なことですが、3部門のタイトルを独占するのは相当困難です。日本のプロ野球でも過去に7人しか達成していません、それでは歴代の達成者を見てみましょう。
選手 | 所属 | シーズン | 打率 | 本塁打 | 打点 |
中島治康 | 巨人 | 1938秋 | .361 | 10 | 38 |
野村克也 | 南海 | 1965 | .320 | 42 | 110 |
王貞治 | 巨人 | 1973 | .355 | 51 | 114 |
王貞治 | 巨人 | 1974 | .332 | 49 | 107 |
落合博満 | ロッテ | 1982 | .325 | 32 | 99 |
ブーマー | 阪急 | 1984 | .355 | 37 | 130 |
落合博満 | ロッテ | 1985 | .367 | 52 | 146 |
バース | 阪神 | 1985 | .350 | 54 | 134 |
落合博満 | ロッテ | 1986 | .360 | 50 | 116 |
バース | 阪神 | 1986 | .389 | 47 | 109 |
松中信彦 | ダイエー | 2004 | .358 | 44 | 120 |
村上宗隆 | ヤクルト | 2022 | .318 | 56 | 134 |
初代の達成者はプロ野球が年間2季制だったころの巨人軍中島治康選手ですが、シーズン40試合での達成、また当時は三冠王という概念もなかったため、1965年に野村克也氏が三冠王を達成した時に、初代三冠王として公式に認定されました。
野村克也氏の三冠王は最初にして最後の首位打者となったシーズンで、本塁打王、打点王は複数回獲得していますが、唯一首位打者を獲得できたシーズンに三冠王となりました。
また王貞治選手は、プロ野球の最多記録となる本塁打王15回、打点王13回も獲得していますが、首位打者は5回とやや少なめ(でもすごいですが)ながら1973年、1974年の2年連続の達成となりました。
三冠王を達成したのは7人しかいませんが、落合博満氏が3回、王貞治氏、バース氏がともに2回と同一選手が複数達成しています。1986年のバース選手の打率.389は驚異的な数字ですが、プロ野球のシーズン記録です。俊足でもないバース選手が4割近い打率を残すのはものすごいことですね。
1985年、1986年はセパ両リーグとも落合博満選手、バース選手が2年連続で達成しています。打率3割5分超、ホームランも50本前後という数字は他の選手にとってはかなりハードルの高いタイトルです。
三冠王の達成者は多くが30代以降に達成していますが、初代の中島治康氏は29歳、1982年の落合博満氏は28歳で達成しました。
しかし2022年に三冠王を達成した村上宗隆選手はなんと22歳、史上最年少となりました。
20代の達成はこの3名のみです。中島氏はプロ野球創立3年目、まだ試合数も少なく草創期だったころの達成に比べて特筆すべきは落合博満氏、村上宗隆選手はプロ入り4年目での達成という点です。
特に村上選手は高校卒業後にプロ入りして4年目での達成、落合氏は社会人を経ての入団でしたので、この点でも村上選手の異例なスピード達成が際立っています。
とはいえ多くの選手がプロ入り10年近くかかっているところ両選手ともわずか4年で達成、並み居る先輩選手や外国人選手を抑えての3部門のタイトル獲得は圧巻です。
落合氏は1981年にも首位打者を獲得していますが、レギュラーになったのは1981年からでレギュラー定着とともに首位打者獲得、レギュラー2年目での三冠王の達成となりました。結局通算で史上最多の3回の三冠王を達成、ミスター三冠王といっても過言ではないでしょう。
また両リーグでの達成者はまだいません。そもそも三冠王達成者で両リーグでプレー経験があるのは落合博満氏のみです。落合氏は3回目の三冠王を達成した1986年の翌年にロッテから中日に移籍、その後もジャイアンツ、日ハムへと移籍をしましたが、三冠王は達成できずに終わりました。
中日時代の1990年には本塁打王、打点王の二冠王にはなりましたが、この時は打率は.290と極端に打率を落としてしまい打率10傑に入ることもできませんでした。それでも2冠を獲得するあたりはさすがというしかありません。
今後も両リーグで三冠王を達成する選手は出てこないのではないでしょうか?まず三冠王自体が2004年の松中選手から18年ぶりに村上選手が達成するほど難易度は超激高です。
さらに三冠王を達成するほどの選手がフリーエージェントで別リーグに移籍することはありえますが、球団も手放さないでしょうしメジャー移籍する可能性もあります。
そもそも三冠王の達成はどれくらい難しいのでしょうか?
三冠王を達成するのに最も大きなハードルが首位打者の獲得です。というのも本塁打王を獲得できれば、打点も自ずと増えるので本塁打王、打点王の二冠は割と達成しやすいでしょう。
2020年の岡本和真選手や三冠王の野村克也氏、王貞治氏も本塁打王、打点王のタイトル獲得に比べて首位打者の獲得が極端に少ないです。落合博満氏は本塁打王、打点王、首位打者を5回ずつ獲得していますが、中日時代の二冠王の時も首位打者にはなれませんでした。
本塁打王、打点王の2冠王は過去30名以上が達成しているのに対して、首位打者と打点王もしくは首位打者と本塁打王を獲得した選手は、1950年の2リーグ制以降では以下の通りです。
【首位打者と打点王】
年 | 選手 | 所属 |
1952年 | 西沢道夫 | 名古屋 |
1955年 | 川上哲治 | 巨人 |
1963年 | 長嶋茂雄 | 巨人 |
1979年 | 加藤英司 | 阪急 |
1989年 | ブーマー | 阪急 |
1995年 | イチロー | オリックス |
1999年 | ローズ | 横浜 |
2012年 | 阿部慎之助 | 巨人 |
2013年 | ブランコ | 横浜 |
【首位打者と本塁打王】
年 | 選手 | 所属 |
1951年 | 大下弘 | 東急 |
1955年 | 中西太 | 西鉄 |
1958年 | 中西太 | 西鉄 |
1961年 | 長嶋茂雄 | 巨人 |
1968年 | 王貞治 | 巨人 |
1969年 | 王貞治 | 巨人 |
1970年 | 王貞治 | 巨人 |
1992年 | ハウエル | ヤクルト |
首位打者と打点王の二冠達成者は9選手の9回、首位打者と本塁打王は5選手の8回達成しているのみです。パワーが必要な本塁打王に比べて首位打者は俊足好打の選手が獲得しやすいと言えるでしょう。
得点圏打率がよければ打点も稼ぎやすくなるので首位打者と打点王はまだ若干達成者がいますが、首位打者と本塁打王は5選手のみとわずかです。三冠王を達成するには本塁打王になれる打者であることが絶対条件となりますが、本塁打を量産できるパワーを備えながら打率も残すことが必須となります。
上記の二冠達成が少ないことからも本塁打王と同時に首位打者を獲得するのがいかに難しいのかがわかります。それだけに三冠王は非常に価値の高い称号であり、シーズンMVPも1986年の2年連続の落合氏、バース氏以外は全て三冠王達成者がMVP受賞をしています。
プロ野球の長い歴史において打者にとって最高の勲章「三冠王」。その意味や難易度、歴代の達成者や最年少、両リーグでの達成者について紹介してきました。
三冠王達成者は、落合氏、バース氏が2年連続で達成した1986年を除いてそのシーズンのMVPにも選ばれており、いかに達成が困難で価値のあるものなのかを物語っています。
2022年には、2004年松中信彦氏以来18年ぶりに村上選手が22歳で達成、今後も年齢的に2回目の三冠王の達成は十分あり得るでしょう。今後もプロ野球からますます目が離せないですね!