EU離脱をめぐる国民投票が最初に行われたのは2016年6月で、この時に離脱派が52%、残留派が48%と僅差で離脱派が上回りEU離脱が決定しました。これ以降EU離脱をめぐり離脱賛成派と反対派で議論が重ねられますが、離脱協定案はイギリス議会での合意も得られず3回も離脱が延期されました。
このEU離脱をめぐってイギリス国内が揺れているのは一体何が要因なのでしょうか?まずEUとは何なのか続いて見ていきましょう。
そもそもここまでEU離脱がこじれている根本としてEUとはどんなものなのかを簡単に説明したいと思います。
EUとは「European Union」の略で、ヨーロッパ連合あるいは欧州連合と言います。ヨーロッパの国々による地域統合体を指し、経済、社会、政治など様々な分野などで一つにまとまることを目的としています。
その成り立ちには、第二次世界大戦の反省からヨーロッパで戦争を起こさないようにすることをきっかけとしてありました。1950年代にフランス、西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクによるECSCというヨーロッパ石炭鉄鋼共同体が始まりになります。
これは戦争のきっかけでもあった石炭や鉄鋼を共同で管理、生産することで経済的利益を共有すれば戦争も起きにくくなるということが契機となりました。この組織体が発展してEUにつながっていきます。
しかし戦勝国であったイギリスは戦争の反省というスタンスもないためこのECSCには加盟していません。その後、ECというヨーロッパ共同体へと発展し、ヨーロッパ各国で市場を作っていこうという機運も高まりました。
この時、イギリスは経済的に低迷していた時期でもあったため、1973年にこのECに加盟します。さらにECには今まで経済の仕組みが異なる東ヨーロッパの国々も加盟するようになり、経済のみならず政治的にも権限のある組織へ変更する必要が出てきました。このため1993年にEUが発足し現在に至ります。
EUでは国それぞれは独立した国家として存在し続けますが、加盟国同士の関係をさらに強化するために
という2つの大きな政策がとられました。このEUのとった政策に対してイギリスはEU内でやや独自の立場をとります。続いて見てみましょう。
EUが加盟国同士のつながりを強めていこうと統一通貨の導入と加盟国間の移動の自由を取り入れましたが、イギリスはこれに対して別のスタンスをとります。
EUが大きくなって一つの国のように権限をもつようになると、もともと経済的な動機で加盟したイギリスにとって自分たちの権限は守ろうと距離を置くようになりました。
例えば通貨はEU発足時から独自の通貨ポンドと中央銀行を持ち続けていますが、経済政策のコントロールをするためにイギリスはユーロは導入しませんでした。さらに加盟国間での移動が自由という点でもイギリスは入国カードによる国境管理を行っています。
それでもEUに加盟している以上国家間の貿易交渉をはじめいろんな制約があるため、イギリスとしてはEUのルールに縛られず独自でやっていきたいという思いが強くなっていきます。さらにEU予算に貢献している割に見返りが少ないという意見もありました。
そこに来て移民の問題が大きくなってきました。入国管理はするものの国家間の移動が自由であることはイギリスでも同じで、経済的に好調なイギリスへ東ヨーロッパの比較的経済的によくない国々からの移民が増えていきます。
こういった移民が増えてくると病院や学校などの行政サービスを充実させる必要があるため、移民も税金は支払っているものの移民に対する風当たりは強まっていきます。しかしEUに加盟している限り移民の制限も自分たちで決められません。
こういった点から、自分たちの権限を取り戻そうというイギリス国内での機運が高まってきました。そんな国民の思いがピークに達した時に国民投票が行われました。
冒頭にも触れましたように2016年6月にEU離脱を問う国民投票を実施し、離脱賛成派が52%と残留を支持する反対派の42%を上回りました。しかしこの国民投票は当時のキャメロン首相にとっては賭けでもありました。
イギリス国内ではEUに対する不満は大きくなっていき、政権運営もままならない状況が続いていました。当時の政権は2大政党の保守党が与党でしたが、この保守党とはもともとEUに不満のあった人たちが多くいる党です。
当時の離脱反対派のキャメロン首相は党内の意見をまとめるのに苦労していたため、国民投票ではっきりさせてEUに不満を持つ人たちを黙らせようと目論みました。キャメロン首相はEUの恩恵をイギリスが受けているということが国民の多くから支持を得られ国民投票をすれば離脱反対派が勝つと読んでいたからです。
しかし国民投票では僅差とはいえ負けてしまい、キャメロン首相は辞任、後任の党首、首相にメイ氏が就きました。この国民投票以降、イギリス国内はEU離脱に向けて議論を重ねていきますが、困難を極めます。続いて見ていきましょう。
国民投票でEU離脱を決めたイギリスは、離脱後に向けてEUとどのような関係を維持するのかをEUと話し合う必要がありました。メイ首相はこのEUとの交渉で、イギリス国内で離脱を推す最大の理由だった移民を制限する権限を取り戻すよう主張します。
つまりヒト、モノ、カネが自由に行き来するEUにおいてイギリスはモノ、カネは今まで通り自由に移動させたいが、このヒトの受け入れだけは制限したいという主張です。EUからすればそんな都合の良い主張は受け入れられるわけもなく、結局ヒト、モノ、カネ全ての移動も制限することを意味する単一市場からの離脱をメイ首相は受け入れました。
単一市場から離脱することは今までかかっていなかったEU国内の関税がかかるようになるなど経済的なデメリットがあります。このためイギリスは離脱後の経済関係をどうするのかEUとの交渉を始めますが、さまざまな問題にぶつかります。ここから離脱問題は一筋縄でいかなくなります。なぜもめるのか?見ていきましょう。
イギリスはグレートブリテン島と海を挟んですぐ隣のアイルランド島の北アイルランドの2つの島から成ります。一方アイルランド島には国家として独立しているアイルランドも存在しています。
つまりアイルランド島ではイギリスの北アイルランドとEU加盟国のアイルランドが陸続きで隣接しています。かつての北アイルランド紛争時の和平条件としてこの北アイルランドとアイルランド間の国境の自由が保障されてきました。
しかしイギリスがEUから離脱するとEU加盟国アイルランドとイギリスの北アイルランドとの国境の自由が制限されます。しかし紛争の反省からこの国境の自由には制限しないというイギリスとEUでは一致していますが、この国境の自由を保障すればEUとイギリスの移動は自由になるという課題が残ります。
EU離脱後のこの北アイルランドとイギリスの問題を解決する方法がないという点が離脱の問題を複雑にしている一因としてあります。
メイ首相とEUが交渉して離脱に関する協定案をまとめました。この協定案では、関税に関してはイギリスは当面このEUの関税同盟にとどまり、以後も検討を続けてよい解決策がみつかれば移行していくというものでした。
しかしこの協定案はイギリス議会で3回も否決されてしまいました。結局EUの関税同盟にとどまることはEUのルールに縛られ続け、関税も決められない状態が続くこととなります。
しかも離脱すればEU内での発言権もないため、議会はこの協定案を否決しました。さらに与党保守党も国民投票以降の総選挙により議会の過半数を割り込んでいるため議会運営がままならない状況も拍車をかけました。
この議会で可決されない状態ではEUとの合意のないまま離脱、「合意なき離脱」に陥ってしまいます。この場合、EUとの取り決めがないのでEUとイギリスは単なる外国同士の関係となるため、世界標準の関税をかけられ移動の自由も大きな制約を受けることになります。
これはイギリスにとっては避けなければならない問題で、結局離脱の期限までに議会で可決されないため離脱の期限自体を延期することになりました。しかし議会との溝は埋まらず協議自体も打ち切られ、メイ首相は与党保守党の党首を辞任します。
そのメイ首相の後任が、現保守党党首のジョンソン首相です。ジョンソン首相になって離脱問題はどう進んでいったのでしょうか?
ジョンソン首相は強硬な離脱派を演じるなどのパフォーマンスもあり、就任当初は人気がありました。国民の間にもEU離脱問題一色の状況にうんざり感もあり、この状況を打開してもらえるという期待が背景にありました。
ジョンソン首相は議会で3回も否決された教訓から議会を閉会してしまいます。しかし議会制民主主義を重んじる議会からは反発を受け、保守党からも造反者が出て野党に協力します。
この結果、議会は2019年10月19日までに離脱条件をEUと合意できなければ離脱期限を翌年1月末まで延期するようEUに要請するようジョンソン首相に義務付けました。ジョンソン首相の公約は「10月31日までにEUとの合意の有無にかかわらず離脱する」というものですからジョンソン首相は拒否します。
こうした中、10月末のEU離脱をかたくなに主張し前倒し総選挙を過去3回求めましたがいずれも否決されました。しかしジョンソン首相は10月17日にEUとの新たな離脱協定案に合意、ところが野党はこの協定案に反発します。
新しい協定案は、イギリス全体がEUの関税同盟から抜けるというものでした。また北アイルランドだけには一定のEU経済ルールが適用されます。結局、イギリス下院は「合意なき離脱」を回避するためにこの協定案の審議を保留となります。
一方でEUはイギリスの離脱期限の延期を承諾します、最長で2020年1月末までの延期となりました。これにより合意なき離脱が回避されることとなり、今まで前倒し選挙に反対していた労働党も総選挙に応じる姿勢を見せ、12月12日投開票日とする総選挙の実施法案を可決します。
12月12日に実施された総選挙では、EU離脱実現に主張を絞ったジョンソン氏率いる保守党が圧勝しました。これにより2020年1月末のEU離脱が現実的なものとなりました。さらに離脱後も暫定的にEUと経済関係を保つ「移行期間」についても延長せずに2020年末に終了することも明言しました。
早期の完全離脱を約束することで離脱問題の混迷に疲れた一部の残留支持層にも響いたようです。最大野党の労働党は再度の国民投票を訴えましたが、支持基盤の離脱派の票も失い歴史的大敗に終わりました。
総選挙で保守党が大勝したことによりEU離脱に向けていよいよ本格的に動き出します。12月16日以降、新協定を含む離脱合意法案が下院に提出され、クリスマス休暇までに通過する見通しとなります。EUとの条約として批准手続きが完了すれば、2020年1月末の離脱が決定します。
離脱以降は、EUと結ぶ自由貿易協定(FTA)の交渉に入りますが、首相が公約しているように2020年末までにまとめられるかは懸念されます。この交渉がまとまらずに離脱となれば、合意なき離脱と同様な混乱に陥ることが考えられます。
通常の経済交渉、例えばEUとカナダの包括的経済貿易協定は妥結に5年、EUと日本の経済連携協定も妥結に5年要しています。ジョンソン氏は移行期間の期限延長はしないと明言していますが、現実的にはかなり困難と思われます。
今回のジョンソン首相の強硬的な手法は、EU離脱賛成派と離脱に反対する残留派との溝が深まったという見方もあります。
スコットランドでは、EU残留とイギリスからの独立を主唱したスコットランド独立党が急伸しました。特産品のスコッチウィスキーをEUに輸出する際に関税がかけられることになるため独立を求める声が高まるでしょう。
アイルランドの問題でも、北アイルランドとアイルランドの統一支持派を勢いづかせ、紛争の火種となりかねません。また留学や旅行が不自由になるため残留支持の多かった若者層の不満も残ります。
離脱後の交渉、政権運営は依然課題は残ったままとなりそうです。
2019年12月イギリスの総選挙でEU離脱を主張するジョンソン首相率いる保守党が圧勝しました。これにより2016年に実施した国民投票で支持されたEU離脱に向けてようやく道筋がつけられました。
そもそも国民投票でいったん離脱が決まったにもかかわらずここまでもめた理由は一体何だったのか?まぜもめるのか?という点について離脱に賛成する賛成派、残留を支持する反対派などわかりやすく簡単にまとめてきました。
など総選挙で一定の道筋がみえたEU離脱問題ですが、引き続き目が離せない状況は続きそうです。