そもそも田中将大投手がどんな大投手なのか?田中将大投手のプロフィールと日米通算成績についてまずは見ていきましょう。
名前 | 田中将大(たなか まさひろ) |
誕生日 | 1988年(昭和63年)11月1日 |
投打・ポジション | 右投右打・投手 |
出身 | 兵庫県 |
出身高校 | 駒澤大学附属苫小牧高等学校(北海道) |
身長・体重 | 190㎝、97㎏ |
ドラフト年、指名球団順位 | 2006年東北楽天ゴールデンイーグルス高校生1位 |
田中投手は兵庫県伊丹市出身、伊丹市の軟式少年野球チーム「昆陽里タイガース」で4番捕手として野球をはじめ、巨人坂本勇人選手とバッテリーを組んでいたのは有名な話です。
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駒大苫小牧高校時代は2年生から本格的に投手をはじめ、2005年の甲子園では同校の連覇に貢献、3年時の2006年はエースとして決勝であの早稲田実業の斎藤佑樹投手と投げ合い、再試合の末準優勝、3連覇を逃したものの日本中を沸かせました。
そして2006年の秋高校生ドラフトで日ハム、楽天、オリックス、横浜の4球団から1位指名を受け、抽選の結果楽天が交渉権を獲得、楽天に入団しました。
2007年の高卒ルーキー1年目から先発投手として大活躍した田中投手ですが、楽天で7シーズンプレーした後、ニューヨークヤンキースに移籍します。
年度 | 所属球団 | 登板 | 先発 | 完投(完封) | 勝利 | 敗戦 | 防御率 |
2007 | 楽天 | 28 | 28 | 4(1) | 11 | 7 | 3.82 |
2008 | 25 | 24 | 5(2) | 9 | 7 | 3.49 | |
2009 | 25 | 24 | 6(3) | 15 | 6 | 2.33 | |
2010 | 20 | 20 | 8(1) | 11 | 6 | 2.50 | |
2011 | 27 | 27 | 14(6) | 19 | 5 | 1.27 | |
2012 | 22 | 22 | 8(3) | 10 | 4 | 1.87 | |
2013 | 28 | 27 | 8(2) | 24 | 0 | 1.27 | |
2014 | ヤンキース | 20 | 20 | 3(1) | 13 | 5 | 2.77 |
2015 | 24 | 24 | 1(0) | 12 | 7 | 3.51 | |
2016 | 31 | 31 | 0(0) | 14 | 4 | 3.07 | |
2017 | 30 | 30 | 1(1) | 13 | 12 | 4.74 | |
2018 | 27 | 27 | 1(1) | 12 | 6 | 3.75 | |
2019 | 32 | 31 | 1(1) | 11 | 9 | 4.45 | |
2020 | 10 | 10 | 0 | 3 | 3 | 3.56 | |
通算 | 349 | 355 | 60(22) | 177 | 81 | 2.94 |
高卒1年目から28試合に登板、4完投を含む11勝で新人王を獲得しました。2年目はキャリアで唯一2桁勝利を逃しますが、翌2009年以降の楽天所属時は防御率は2点台から1点台と安定した失点の少ない投手としてチームの大黒柱と成長していきます。
圧巻なのは2013年の24勝0敗、投手のプロ野球記録を次々と塗り替えました。この田中投手の大活躍により楽天は球団創設以来の初優勝、日本シリーズでも巨人を破り初の日本一に輝きました。
この年は最多勝、最優秀防御率、勝率でタイトルを獲得、前年からの28連勝、開幕からの連勝記録24連勝とプロ野球新記録や無敗での最多勝など史上初記録など沢村賞、ベストナイン、MVPも満場一致で選出されました。
NPB時代は最多勝2回、最優秀防御率2回、最多奪三振1回、最高勝率2回のタイトルに沢村賞2回、新人王とMVP各1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞3回など日本球界を代表する投手にまで上り詰めました。
日本球界最高成績を引っ提げて翌年からはポスティングによるメジャーリーグニューヨークヤンキースへの移籍が実現しました。ヤンキースでは日本のように防御率1~2点台をキープすることはできていませんが、2019年までの6年間全て2桁勝利を達成しています。
30代前半でまだまだメジャーで活躍することが期待されましたが、2020年は3勝に終わり21年からは楽天に復帰することが決まりました。震災10年後となるシーズンに楽天がリーグ優勝を果たせるか?大いに期待されます。
高卒1年目からチームの主力として活躍し続けてきた田中将大投手ですが、年俸推移や生総年俸も破格なものとなっています。見ていきましょう!
年度 | 所属球団 | 年俸(推定) |
2007 | 楽天 | 1,500万円 |
2008 | 6,000万円 | |
2009 | 9,500万円 | |
2010 | 1億8,000万円 | |
2011 | 2億円 | |
2012 | 3億2,000万円 | |
2013 | 4億円 | |
2014 | ヤンキース | 22億1,000万円 |
2015 | 22億1,000万円 | |
2016 | 22億1,000万円 | |
2017 | 22億1,000万円 | |
2018 | 22億1,000万円 | |
2019 | 22億1,000万円 | |
2020 | 22億1,000万円 | |
2021 | 楽天 | 9億円 |
通算 | 177億4,000万円 |
高卒入団1年目で年俸1,500万円からスタートし、4年目には1億8,000万円と1億円をあっさり超え入団7年目の2013年には4億円に到達します。しかし翌年2014年にはポスティングによるメジャーリーグへの移籍が発表されました。メジャー移籍の時は何年契約だったのでしょうか?
この時の条件は7年総額1億5,500万ドル、投手としてMLB史上5位の契約額というものでした。2013年の楽天時代の5倍超の年俸が7年分、さらにオプトアウト条項により4年目終了時点にはFAとなれる条項がつく破格の条件でした。
このように破格の条件でヤンキースと契約した田中投手の総年俸は2020年までで168億円を超すものとなりました。2021年には東北楽天に復帰、年俸は日本球界最高額となる9億円で契約しています。
ところで日本国内では聞きなれないこのオプトアウト条項というのはどんなものでしょうか?
日本国内では聞きなれないこのオプトアウト条項とは一体どんなものなのでしょうか?
まずこのオプトアウトとは「Opt Out」と表記されます。「Opt」とは「選ぶ、選択する」といった意味があります。つまり選手自ら契約を途中で破棄する洗濯ができるという意味があります。
そしてこのオプトアウト条項としてFA権を新たに行使できる条項が盛り込まれます。これにより固定年俸で複数年契約していても、その後の活躍によりいったん複数年契約を破棄し新たにFA権行使により他球団を含めより良い条件で交渉することが可能になります。
この場合、所属球団としても当初複数年契約を結んだものの近い将来割高になると判断すればオプトアウトで複数年契約を破棄された場合、球団にとってもメリットがあることもあります。
このオプトアウト条項は田中投手とヤンキースとの契約にも盛り込まれています。すでに4年目終了時となる2017年にこの権利を行使できることとなっていましたが、このオプト条項による権利を行使しませんでした。
これにより当初の7年契約通り2020年まで年俸約22億円とヤンキースでプレーすることが確定しています。このため年末恒例の年俸の話題でも田中投手が話題に上ることなく2020年もヤンキースでプレーしました。
しかし2021年はFA権行使により楽天への復帰を選択しました。22年以降もメジャーに戻る可能性は残されています。
契約社会のアメリカならではの複雑な契約条項ですが、メジャーリーガーが代理人を立てて交渉するのはこういった複雑な契約も一因となっているのではないでしょうか?
駒大苫小牧時代から優勝投手として複数のプロ野球球団から1位指名され東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した田中将大投手は1年目から活躍、2013年には球界最高の成績を引っ提げメジャーリーグのニューヨークヤンキースへ移籍します。
この偉大なる大投手がどのようなプロ野球人生を歩んできたのか総年俸や通算成績、またヤンキースとは何年契約なのか紹介してきました。
などメジャーで活躍した田中将大投手が楽天に復帰することになりました。2022年以降にメジャーへ戻る可能性もまだありますが、震災後10年となるシーズンに楽天の優勝があるのか?田中将大投手に大いに期待したいですね!