1998年の甲子園で横浜高校のエースとして春夏連覇を達成した松坂大輔投手ですが、同年のドラフト会議で3球団競合の末ドラフト1位指名を受け西武ライオンズへ入団します。
高卒ルーキーとして入団1年目の1999年からいきなり活躍します。それでは年度別の通算成績を早速見ていきましょう!
1999年の1年目から2006年までは西武ライオンズに在籍しました。成績は以下の通りです。
年度 | 登板 | 先発 | 完投(完封) | 勝利 | 敗戦 | 防御率 |
1999 | 25 | 24 | 6(2) | 16 | 5 | 2.60 |
2000 | 27 | 24 | 6(2) | 14 | 7 | 3.97 |
2001 | 33 | 32 | 12(2) | 15 | 15 | 3.60 |
2002 | 14 | 11 | 2(0) | 6 | 2 | 3.68 |
2003 | 29 | 27 | 8(2) | 16 | 7 | 2.83 |
2004 | 23 | 19 | 10(5) | 10 | 6 | 2.90 |
2005 | 28 | 28 | 15(3) | 14 | 13 | 2.30 |
2006 | 25 | 25 | 13(2) | 17 | 5 | 2.13 |
入団1年目は16勝5敗で最多勝、新人王、ゴールデングラブ賞を獲得、高卒ルーキーとして史上初となるベストナインも受賞しました。入団3年目の2001年まで3年連続最多勝、2001年には沢村賞を獲得します。
2002年は右ひじの故障で14登板6勝に終わりますが、これ以外の年では全て2桁勝利、メジャー挑戦の前年2006年には17勝5敗、防御率2.13という驚異的な数字を残しました。
2006年にポスティングシステムによりメジャーリーグのレッドソックスへ移籍します。
年度 | 登板 | 先発 | 完投(完封) | 勝利 | 敗戦 | 防御率 |
2007 | 32 | 32 | 1(0) | 15 | 12 | 4.40 |
2008 | 29 | 29 | 0(0) | 18 | 3 | 2.90 |
2009 | 12 | 12 | 0(0) | 4 | 6 | 5.76 |
2010 | 25 | 25 | 0(0) | 9 | 6 | 4.69 |
2011 | 8 | 7 | 0(0) | 3 | 3 | 5.30 |
2012 | 11 | 11 | 0(0) | 1 | 7 | 8.28 |
メジャー移籍後もいきなり15勝、翌年には18勝をあげますが、2009年には右肩の疲労で故障者リスト入りした後復帰するものの12登板4勝6敗に終わっています。2010年には9勝で復活の兆しを見せるものの以降は故障者リスト入りを繰り返し思うような成績を上げられませんでした。
メジャーでの成績が下降するなか、2013年にはインディアンスとマイナー契約を結ぶもののシーズン途中に自由契約となります。しかし同年8月にニューヨークメッツとメジャー契約を結びました。
年度 | 登板 | 先発 | 完投(完封) | 勝利 | 敗戦 | 防御率 |
2013 | 7 | 7 | 0(0) | 3 | 3 | 4.42 |
2014 | 34 | 9 | 0(0) | 3 | 3 | 3.89 |
2013年のメッツ時代はシーズン後半ながら3勝3敗と復調するかに見えましたが、翌2014年は故障者リスト入りをしリリーフとして起用されます。この年も3勝3敗となりシーズン終了後にはフリーエージェントとなりました。
メジャーでフリーエージェントとなった松坂投手は2014年に福岡ソフトバンクホークスと3年契約で移籍しました。3年契約が満了後、中日の入団テストを受け合格、中日に移籍します。
年度 | 登板 | 先発 | 完投(完封) | 勝利 | 敗戦 | 防御率 |
2016(ソフトバンク) | 1 | 0 | 0(0) | 0 | 0 | 18.00 |
2018(中日) | 11 | 11 | 0(0) | 6 | 4 | 3.74 |
2019(中日) | 2 | 2 | 0(0) | 0 | 1 | 16.88 |
ソフトバンク時代は右肩の故障が長引き、2016年に1試合だけ登板するものの3年間の1軍登板はこの1試合のみに終わりました。球団からは育成選手かコーチ契約を結んだうえでのリハビリ継続を打診されますが、これを拒否し中日ドラゴンズの入団テストを受けます。
中日の入団テストでは無事合格、入団1年目の2018年には見事復帰、11試合登板ながら6勝4敗でカムバック賞を受賞しました。しかし翌年には春季キャンプで右肩を故障、わずか2試合の登板に終わり10月に中日退団となりました。
2020年は古巣埼玉西武ライオンズへの復帰が濃厚です。ここからの復活に期待したいところですね。
松坂投手は1999年に西武からドラフト1位指名、契約金1億円で入団しました。初年度は年俸1,300万円からスタートしますが、以降の活躍に合わせ年俸はメジャー移籍までほぼ右肩上がりに増えていきます。
年度 | 球団 | 年俸(推定) |
1999 | 埼玉西武ライオンズ | 1,300万円 |
2000 | 7,000万円 | |
2001 | 1億円 | |
2002 | 1億4,000万円 | |
2003 | 1億1,500万円 | |
2004 | 2億円 | |
2005 | 2億5,000万円 | |
2006 | 3億3,000万円 | |
2007 | ボストンレッドソックス | 8億6,700万円(867万ドル)※ |
2008 | 8億6,700万円(867万ドル)※ | |
2009 | 8億6,700万円(867万ドル)※ | |
2010 | 8億6,700万円(867万ドル)※ | |
2011 | 8億6,700万円(867万ドル)※ | |
2012 | 8億6,700万円(867万ドル)※ | |
2013 | ニューヨークメッツ | 1,000万円(10万ドル)※ |
2014 | 1億5,000万円(150万ドル)※ | |
2015 | 福岡ソフトバンクホークス | 4億円 |
2016 | 4億円 | |
2017 | 4億円 | |
2018 | 中日ドラゴンズ | 1,500万円 |
2019 | 8,000万円 | |
2020 | 埼玉西武ライオンズ | 3,000万円 |
通算 | 79億300万円 |
※メジャーリーグ時代の年俸は米ドル、1ドル100円換算で表記。
高卒ルーキーとして西武ライオンズに入団して以降、途中不振による減俸があったものの8年間で1,300万円から3億3,000万円まで昇りつめます。さらにレッドソックスへポスティング移籍した時には6年総額5,200万ドル、日本円にして52億円と大幅に伸ばします。
メッツ時代は成績が下降気味だったこともあり一気に10万ドルまで落ちますが、翌年には1億1,500万円に回復、ソフトバンクとの契約では3年12億円と日本球界でもトップクラスの年俸まで復帰しました。
中日への移籍1年目はテスト入団からのスタートとなったため1,500万円とまたしても大幅減俸となりましたが、こちらも翌年には8,000万円まで増えています。
西武への古巣復帰となる2020年の年俸は3,000万円に決まりました。松坂投手本人は「プロ野球選手としてのスタートであり、育ててもらった所沢、ライオンズファンの前で再び野球ができることをとても楽しみにしている」とコメントしました。
生涯で79億円も稼いだ松坂投手にとってもはや年俸の金額は大きな問題ではないでしょう。あくまでも現役にこだわる松坂投手ですが、西武でのカムバックは果たせるでしょうか?
中日を退団した松坂大輔投手の埼玉西武ライオンズへの復帰が濃厚となりました。現役生活20年以上となる松坂投手の通算成績、生涯年俸をまとめました。通算成績の主な内容は
とレッドソックス2年目までは順調な成績を収めましたが、それ以降は故障に泣かされ低迷と復活を繰り返しました。
さらに生涯年俸は
といった具合にメジャーリーグでの大型契約などもありましたが、成績下降により大幅減俸と大幅増額を繰り返します。それでも21年のプロ野球、メジャーリーガーの生涯年俸は約79億円と夢のような金額を稼いできました。
もはや金額などの条件にはこだわりがない松坂投手、西武復帰も年俸8,000万円からの大幅減俸3,000万円で契約しました。現役にこだわる松坂投手のもう一花が見られるのでしょうか?来シーズンの松坂投手の活躍が見てみたいですね!