戦前のセンバツ大会は現在の選考方法である秋季大会の成績による選抜ではなく、年間の成績などから東海、近畿、中国、四国の甲子園に近い地区から多く選抜されていた歴史があります。
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このため同一府県から複数校が出場するのは珍しくなく、昭和8年の第10回大会は和歌山県、昭和12年の第14回大会は愛知県からそれぞれ4校が出場した年もありました。
この頃は愛知、兵庫、大阪などは同一府県内から3校が出場することも多くあり、必ずしも決勝戦でしか対戦しないというわけではありませんでした。
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決勝戦以外で同一府県の高校が対戦したのは、
の13回です。この頃は同一府県の学校が2回戦や準々決勝で激突するケースもあり、必ずしも決勝まで当たらない組み合わせにされていたわけではありませんでした。
戦後以降は同一都道府県から複数校が出場する場合には、決勝ないし準決勝まで当たらない組み合わせとなっており同一都道府県対決は決勝戦でしか実現していません。過去には何回あったのでしょうか?見てみましょう。
選抜史上最初の同一県決勝対決は愛知の強豪中京商と東邦商のカード、現在の選抜大会最多5回の優勝回数の東邦高校と2位4回の優勝回数の中京大中京の対決でした。
第15回大会は参加校数20校のうち、愛知からはこの2校、大阪からは日新商、京阪商、浪華商の3校、兵庫からも明石中、甲陽中、滝川中の3校、和歌山からは海南中、海草中の2校でこの4府県から半分の10校が参加しました。
東海地区からは他に島田商(静岡)、岐阜商(岐阜)の計4校、近畿地区からは平安中(京都)の計9校と東海地区、近畿地区から13校参加してます。これだけ同一地区から多くの高校が出場していれば同一府県の決勝対決があってもおかしくはないでしょう。
この時期の東海地区は驚異的な強さを誇っていて、第10回大会(昭和8年)から戦前最後となる第18回大会(昭和16年)まで愛知、岐阜のどちらかの高校が必ず決勝戦まで進出していました。
「東海を制する者が全国を制する」とまで言われた時代、戦前までで東邦商が優勝3回、準優勝1回、中京商が優勝1回、準優勝2回、岐阜商(現県岐阜商)が優勝3回、準優勝1回、愛知商が優勝1回、一宮中が準優勝1回と全国を席捲していました。
最初の同一県決勝対決は、中京商が東邦商に1対0と接戦勝ち。愛知県内では現在でも私学4強としてしのぎを削る両校ですが、最多5回優勝の東邦は実は甲子園では中京と2回対決して1回も勝っていません。相性ってあるんですかね。
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第15回大会では同じ愛知の中京商に決勝で負けた東邦商ですが、その翌年には見事2回目の優勝を果たし第18回大会の前までは岐阜商の3回に次ぐ優勝回数でした。
戦前最後となった第18回大会では、参加校数16校のうち愛知県からは東邦商、一宮中の2校のみ、愛知以外では和歌山の海南中、海草中の2校が複数校の出場とこの2県だけでした。
そしてこの大会では東邦商が初戦で海草中、続く準々決勝で海南中の和歌山勢を撃破します。一方、出場3回目の一宮中も初戦を大田中(島根)を8-0で下すと、準々決勝で日新商(大阪)、準決勝では強豪岐阜商に12-2で大勝して決勝まで進みます。
準決勝で熊本工を5-4の接戦で下した東邦商は4回目の決勝に進出、一宮中との選抜史上2日目の同一県対決を5-2で制し、最多タイの3回の優勝を成し遂げました。一宮中はこの大会を最後に甲子園から遠ざかっていますが、この大会での快進撃ぶりは見事でした。
史上3回目の同一府県決勝対決は京都勢の対決、当時は京都市立だった商業校の対戦となりました。京都二商は京都一商が生徒数増加したため分かれた学校ですが、この大会の直後に廃校となってしまいます。
京都一商は後に西京商として甲子園に2回出場、選手権では第7回大会で準優勝もしています。対する京都二商も春夏1回ずつの出場経験がありますが、甲子園での実績は一商の方が格上です。
戦後の昭和23年あたりから選抜の方式も変わり、秋季大会の成績を参考に選抜される現在の方式に近くなります。参加校数はまだ16校ですが、同一都道府県から3校以上選ばれるケースはほぼなくなりました。
この大会では同一府県から出場したのは京都のこの両校と大阪の浪華商、北野中の2府のみでした。この一商、二商と京都二中の3校が出場した前年の大会に続いてアベック出場となった一商、二商は1回戦から快進撃を続けます。
一商は前年の夏に優勝した小倉中(福岡)を初戦で破れば、二商も負けじと準々決勝で享栄商、準決勝で下関商といった古豪を下します。一商も準決勝で北野中に勝利すると選抜史上3回目の同一府による決勝戦が実現します。
決勝戦は実績豊富な一商が二商に延長11回1対0のサヨナラ勝ちで初優勝を飾りました。この年の夏の選手権には西京商で甲子園出場、準決勝まで進みますが和歌山の桐蔭に0-1の接戦で敗退します。
この年の夏は選抜の初戦で対戦し下した小倉が2連覇を果たしますが、もし決勝に進んでいれば前年夏の王者と春の王者との決勝対決となっていました。この時点で史上初となる春夏連覇をあと一歩のところで逃したことになりますが、以降は1982年の選抜出場を最後に甲子園から遠ざかっています。
選抜史上4回目の同一都道府県対決は東京勢同士、しかも日大系の同じ系列校の対決となりました。さらに決勝カードの日大三高は前年の選抜で優勝、戦後初の選抜連覇がかかった決勝戦でした。
日大三高は戦前から甲子園大会に出場する古豪、第34回大会(昭和37年)の選抜では準優勝もしています。対する日大桜丘はこの大会が春夏通じての甲子園初出場、しかしエースはジャンボ仲根の愛称でのちにプロ入りする身長190㎝の仲根正広投手でした。
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日大三、日大桜丘ともに順調に勝ち続けともに進んだ準決勝では日大三は千葉の強豪銚子商を5-3、日大桜丘は東北を3-2とともに接戦を制し、史上4回目の同一都道府県の決勝戦となります。
決勝戦は仲根投手が強打の日大三を完封で退け初出場初優勝を飾りました。この年の日大桜丘は夏の選手権も東京代表として甲子園初出場しますが、選抜の準々決勝で下した高知商に1回戦で敗退してしまいます。
結局、この年に春夏連続で初出場した日大桜丘は以降甲子園からは遠ざかっています。甲子園の勝率は春は10割、夏は0割という成績、次回出場が期待されます。
選抜史上5回目の同一都道府県対決は、東京勢の対決となった第44回大会以降40年以上経って実現されました。野球王国大阪勢の大阪桐蔭、履正社のここ数年では全国でも屈指の強豪校同士の対決です。
大阪桐蔭はこの時点で春夏連覇1回を含む春1回、夏4回の優勝回数の実績、対する履正社も大阪桐蔭ほどではないものの春は準優勝1回、甲子園に出場すれば毎回優勝候補に挙げられるほどの強豪校です。
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この大会でも大阪桐蔭、履正社は優勝候補として挙げられるほどの前評判通り1回戦から準決勝まで順調に勝ち進みます。そして決勝戦では大阪桐蔭が先制し3点リードの終盤8回に履正社が一気に同点に追いつきました。
しかし9回表大阪桐蔭が5点を勝ち越し8-3で選抜2回目の優勝を決めました。この時の大阪桐蔭は3年生エース徳山、福井主将のバッテリーに2年生柿木、藤原、根尾、中川といったスター軍団、同年夏は3回戦で敗退しますが、翌年にはこの2年生選手を中心に選抜を連覇、夏も制し史上初の2回目の春夏連覇を達成します。
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一方、履正社も第101回大会、令和初の夏の選手権で初優勝、高校野球をけん引する強豪校として存在感を示しています。
夏の選手権大会は、各都道府県の予選を勝ち抜いた代表校で優勝を競うため基本的に同一都道府県対決はありませんでした。しかし第41回大会(昭和34年)からは北海道が南北からの代表校、第56回大会(昭和49年)からは東京都が東西からの代表校と北海道、東京都が2代表になりました。
また第80回大会(平成10年)以降は、第90回、第100回の節目の大会では、北海道、東京以外の埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫からそれぞれ2校代表校が出場しています(福岡は第100回大会から)。
このため東京、北海道と記念大会の埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫での同一都道府県対決は起こりうることになります。しかも夏の大会は現在でこそ3回戦までの組み合わせは大会前の抽選で決まりますが、以前は回戦ごとに抽選を行っていました。
初戦では東京、北海道の代表校が対決しないように振り分けられますが、2回戦以降は抽選次第で北海道、東京都の代表校が対戦することもありえ、現在でも準々決勝以降は抽選次第で対戦することもありえます。
そして実際には初戦での対決を避けるために振り分けられるようになった第60回大会(昭和53年)以前には東京都勢が初戦で激突したことがあります。さらに初戦の振り分けが行われるようになって以降も東京都勢、北海道勢の対決は東京都2回、北海道1回それぞれあります。
なお東京都、北海道以外の同一府県の対決は夏の大会では実現していません。また決勝戦での同一都道府県対決も1度もありません。
今後も抽選次第では同一都道府県対決の実現も起こりえますが、決勝戦での対決となると準々決勝以降の抽選次第にもなりますので確率的にも非常に低いのではないでしょうか?
夏の選手権では、北海道、東京都勢が2代表、記念大会ではさらに埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫、福岡が2代表となる以外では各都道府県からは代表校は1校ずつ甲子園に出場します。
しかし春のセンバツ大会は各地区から同一都道府県の高校が複数校出場する可能性があり、準決勝、決勝まで当たらない組み合わせとなります。過去のセンバツ大会では同一都道府県の代表校による決勝戦は5回ありました。
夏の選手権でも記念大会と北海道、東京都の代表校同士による決勝戦は制度上あり得ますが、今まで一度も実現したことはありません。決勝戦以外の対戦は春は13回、夏は5回同一都道府県同士の対戦があります。
しかし決勝戦での同一都道府県対決は全国的な盛り上がりはさておき、地元の高校野球ファンにとってはたまらないカードになるでしょう。地元の強豪校同士が全国の甲子園の舞台で優勝を争う、地方大会の決勝戦とは全く違った盛り上がりになることは間違いありません。
全国に強豪校がひしめく中、実現するのは相当ハードルが高そうですが、平成29年の大阪勢対決以降の同一都道府県の代表校による決勝戦は今後起こるのでしょうか?