夏の大会では史上5人の選手が達成しており、杉田選手が6人目です。
第31回1回戦(1949年)対盛岡一高(当時盛岡高校)戦で達成、史上初。甲子園大会が開催されて初の達成選手ですが、当時はサイクルヒットそのものの認知度が低くあまり注目されていませんでした。
第57回2回戦(1975年)対桂高校戦で達成。本塁打、3塁打、2塁打、単打。土佐高校は攻守交代時に全力疾走で有名でしたが、サイクルヒットもマスコミに大きく取り上げられ脚光を浴びるようになりました。
第71回3回戦(1991年)対秋田高戦、延長戦11回で達成。2塁打、単打、3塁打、本塁打。大阪桐蔭は創部4年目でこの年初出場初優勝も達成しました。
第80回準決勝(1998年)対横浜高戦で達成。単打、本塁打、2塁打、3塁打。
1998年の藤本選手は、松坂大輔投手擁して春夏連覇を成し遂げた横浜高校からの達成です。この試合では松坂投手は9回からの登板ですので、袴塚、斎藤の控え両投手から達成したものです。
試合は歴史にも残る6点ビハインドから8回に4点,9回に3点を取って横浜高校が逆転勝利した試合でした。明徳義塾はサイクルヒットを達成した試合で唯一敗戦したチームとなってしまいました。
第86回準々決勝(2004年)対横浜高戦で達成。涌井投手(現千葉ロッテ)より本塁打、2塁打、3塁打、単打2本。この年の駒大苫小牧高校は北海道勢初優勝しています。
1998年の藤本選手、2004年の林裕也選手は横浜高校からの達成で横浜高校が唯一2回達成されているのも驚きですが、横浜高校がそれだけ甲子園の常連ということも言えます。
1974年に金属バットが導入されてからの達成者は5人ですが、唯一杉山選手は木製バットでの達成です。飛ばない木製バットでの達成は驚異的ですが、金属バットになっても達成者が多くないというのもサイクルヒットの難しさを示しているといえます。
やはり3塁打が最も難しいと言われるだけあって、俊足の選手じゃないとなかなか達成できない記録ではあります。
春の大会では1人しか達成しておりません。投高打低のセンバツ大会ですので達成するのは相当困難なことがわかります。
第51回(1979年)対浪商高校で達成。唯一の決勝戦での達成。
この時の対戦相手の浪商は、エース牛島(元中日、ロッテ)、捕手はドカベンの愛称で親しまれた香川(元南海)の後にプロ入りする注目バッテリーでした。
箕島高校はこの年、夏の甲子園も制して史上3校目の春夏連覇を成し遂げています。春夏連覇とサイクルヒットを達成した唯一の記録です。
サイクルヒットの達成は春夏通じて7回しかありませんが、1回戦、2回戦、3回戦、準々決勝、準決勝、決勝(センバツ)で達成されているのもサイクルなのは偶然とはいえ興味深いですね。
2019年第101回夏の高校野球甲子園大会で史上6人目のサイクルヒットを福井県代表敦賀気比高校の杉田選手が達成しました。101回の歴史で6人しか達成されていないほど難易度の高い記録です。
歴代の達成選手を紹介しましたが、ノーヒットノーランに比べても意外と達成者が少ないのが印象的です。特にセンバツ大会では1人しか達成していませんが、投高打低の春の大会なのでなかなか達成者が現れないのも仕方がないでしょう。
次に達成する選手が出るのは何年後になるのでしょうか?2024年第96回選抜高校野球大会から飛ばないバット、低反発バットが導入されました。この大会では本塁打数が3本、うちランニングホームランが1本と本塁打数が激減しました。
低反発バットへの対応が進めば長打も増えていくでしょうが、サイクルヒットの達成はさらにハードルがあがりそうですね。